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出会い

 誰にもあると思う運命的な出会い。
妻ともそう。上村さんともそう。
そして、山崎先生ともそう。
令和4年9月末に院長先生が、がん共存療法の試みの講演に参加して欲しいと打診あり。自然に、「はい、大丈夫です」と即答。周囲にも声掛けを依頼され、それも了解。ところが周囲は、本気ですか?楠本先生、と怪訝な顔。一体どういうことか色々ヒアリングしてみると、何と殆どのスタッフが講演会は一応聞くが、その先は乗り気なし、とのこと。 参加すらしない人もいる始末。
 どうなっているの?
この病院では最大の功労者、いや世間でも山崎先生は緩和医療の第一人者。なのに、この皆の反応は?自分には、むしろ皆が、変だと思えた。
講演を聞いた。素直に、内容が解りやすく、面白いと思いながら聞いていた。大学の授業で大嫌いだった生化学が、今、山崎先生の講演では、スーッと理解でき面白い。相当に探究されていることもわかる。
 その講演が終わり、少し間があった。
すると、山崎先生は自分の前に歩いて来て、「先生、お名前は?」と。
そうだよな、15年前の病院入職時、何かの会で前々院長:石島先生から紹介頂いたが、あまりにも雲の上の方なので、ご挨拶はしたがスーッと次の方々に向かって行かれた。まあ、自分なんかには関心がないかなと思った。その後も、臨床で肺癌の患者の相談を頂いたが、あまりに自分の医療とかけ離れていたため、自分とは違うなという印象だった。あとは、テレビで今後の在宅での緩和医療を講演されていたのを少し夕飯を食べながら、ぼんやり見ていただけ。その人が、自分に名前を聞いている。「はい、楠本です。先生は僕のことを覚えていないと思いますが、2度ほど前に会ってます。」と返事。
「ああ、そうですか、ああそうかもしれない」と少し恐縮されて、かえってこちらも申し訳ない感じ。でも、「面白かったです先生の話、よーくここまで研究されましたね。感心しました。」とお伝えし、その場は終わった。それから2日後の夕方、総務課から「楠本先生、山崎先生から電話です」と。何故かビーンと来た。今度夕方に話を聞いて欲しいと。 もちろん、いいですよ(その時から、自分の心、頭の中にあったのは Yes という言葉だけだった。)と返事した。
木曜午後4時から二人で会議室で話した。案の定、がん共存療法を病院で、できないか?その支援をしてくれないか?との要望。
山崎先生には、この席に着く前に既に自分の答えは、Yesです。と返答。
ただし、周囲の殆どが90%がNo.(自分を含めて数人だけがYes) かなり厳しいですよ。でも、自分でよければ協力します。
 そして自分は、この病院では異端児。先代の柴崎院長が、私を初めて見た時の第一声が、お前、悪(ワル)なんだってな?と、言われるほどの人間ですよ? いいんですか?と。
 山崎先生は温和な笑みで頷いた。
不思議な感覚だった。緩和医療界のスーパースターが自分に協力要請を。夢の中の会話の気がした。
 家に帰って妻に話したが、あまりインパクトが無い感じで少し不満だった。 おい、ホスピスの神様みたいな人が、協力要請をくれたんだぞと。
きっと、また大袈裟な話としか思っていなかったんだと思う。  

(今回、山崎先生にはブログでの氏名公表、写真掲載の許可を得てます。)

2023年 3月8日
  新横浜ヒロクリニック訪問診療
      院長 楠本 洋




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