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[お題短編] 定位置

お題:夕焼けの照らす海で 溶けるように あなたを赦した
 
――海沿いに住んでるなんて羨ましい!いつでも泳ぎに行けるじゃん!
職場で住所を尋ねられる度にそういわれるけれど、うちの海は泳げるような優しい場所ではない。
防波堤の下には大きなテトラポットが敷き詰められていて海に近づくことはできないし、10分くらい歩いた先の大きな砂利ばかりの浜辺にはいつも波が強く打ちつけていて“遊泳禁止”の大きな看板がじっと辺りを見張っている。

子どものころから悲しい時にはよくこの防波堤に腰かけて泣いていた。
強い波の音と海岸沿いを猛スピードで駆け抜ける自動車の音が私の声を消してくれるし、何より海辺で黄昏れて泣いている私はきっと何かいい雰囲気を醸し出しているに違いない。
エモいとかそういう感じで、海で泣く女にしか醸し出せない何かが私の傷ついた心を癒してくれるように思う。

 リモートワークを終えてすぐに出てきたので太陽がゆっくり地平線に沈もうとしている。
薄く散り散りの雲が少しずつ明るく染まり、今まさに夕焼けがうまれようとしている時間。
いい女が涙を流すのに相応しいタイミングで千花はいつもの防波堤に腰かけた。
出社しなくていいのは嬉しいけれど一人っきりで作業をこなしていると自分のことを考える時間ばかりが増えてあまり集中できていない。
現に今日の作業量は出社していたころの半分以下で、それなのに誰に怒られるわけでもないのでさっさと作業を切り上げて散歩に出てきてしまった。
どうせ集中できないし、と言い訳をしながら気が付くといつもの定位置にたどり着いている。

 習慣というのは不思議なもので、定位置に座れば自然と涙があふれてくる。千花の頭をグルグルと回っているのは付き合って1年になろうとする彼のこと。
一目惚れから強引に始めた恋で、ここ最近は幸せとは呼べない事ばかりの日々を過ごしている。
何があったのかなんてイチイチ思い出すこともできないほど、彼は千花を軽視していて、軽んじられる度に千花は彼にのめり込んでいる。
彼を想うほど、彼の心は千花から離れていってしまう。
 

次から次へと溢れてくる涙をブラウスの袖で拭うとファンデーションが移ってしまった。
1万円もしたお気に入りのブラウス。女性らしいホワイトで襟元には繊細なレース。ふんわり膨らんだ可愛らしいシルエット。
どれだけ可愛い私になったって、彼はちっとも愛してくれない。
このブラウスだって用済みだ。何の役にも立たない、ただの布と同じ。

太陽が千花の目線の高さに降りてきて立派な夕焼けを作っている。
堂々と今日を終える太陽が恨めしい。
ブラウスがオレンジ色に染まり、やがて紫に変わる。
だんだんと夜の空気がやってきて、海からの風が少し温度を下げる。
太陽を失って、世界が少し静かになったように感じる。

千花の涙は自然に止まり、そろそろ帰って夕飯にしようと思い立つ。
やっぱり習慣というのは不思議なもので、太陽が沈んでしまえばさっきまで思い悩んでいたことがすっかり薄れて消えてしまう。
夕焼けの熱が高ぶる感情を連れて行くみたいに。

ブラウスは帰ってからきれいに洗って、終わってない仕事は明日きっと取り返そう。
いつものように適当な決意をして堤防を降りた。
海岸沿いを走る車はどれも猛スピードで駆け抜けていくので気が抜けない。

きっと明日になったらまた同じように彼のことを思って、理想と違う人生を溶かしにここに来ると思う。
昨日も一昨日もそうだったし、その前の日は雨が降っていたので泣かなかったけれどそのまた前の日も同じ。
変わることなんてできないんだから、いつもの場所でまた泣けばいいだけ。

太陽はすっかり沈み、波が一層強くテトラポットを叩く。ひっきりなしに自動車が通り、暗い防波堤をヘッドライトがなめていく。珍しく彼からメッセージが来ている。今日がもうすぐ終わる。

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お題メーカーにエモいお題をいただきましたが、なんだか中途半端な感じになってしまいました。
でも初めて短いお話を書いたので、情景を思い浮かべたり構成を考えたり、とても楽しめました。
夕焼けは私にとっては力強く優しい印象が強くて、無事に明日を迎えられる約束のような存在です。
ダメな自分を夕焼けに許してもらって、明日からもまた自分らしく過ごせるといいな、と思いつつ今日は雨でしたね。
お読みいただきありがとうございました。


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