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儲けることに罪悪感を覚えてしまう自分に起きたちょっとした変化。

稼ぎたい、地位を得たいという志向ではなく、ほどほどの収入でも充実した毎日を送りたい。
最近はそう考える人たちが増えているようです。


お金だけがすべてではないし、むしろそれ以外にこそ人生の楽しみや幸せを見出す方向へ価値観がシフトしている現状においては、何か事業を成し遂げようと奮闘している人に対する見方も、少なからず変容してきているように感じます。

そんな中、自分は起業して事業を行っていく上で「利潤の追求」という言葉に過敏になってしまい拒否反応を起こすようになっていました。

私の口癖は「申し訳ない」です。
何をするにしても、対価として金銭の授受が発生するケースにおいては、お金が相手の笑顔に水を差すような存在に思われてどうしても躊躇してしまい、「こいつにお願いすると何をやってもお金をむしり取られる。」、そう思われるのが怖くて仕方がありませんでした。

逆に自分が支払う立場だったときはどうか。
これは報酬が発生する話なのか、発生するとしたらどのタイミングで確認すべきなのか、仮に値段を知らなかったとしても、成立しなかった時に「値段」が理由と思われやしないか(もちろんそれが理由の時もありますが)、といった具合に常に気になって、これら情報を得る前はなかなか会話に集中できないこともしばしばです。

できることなら世の中から「お金」という概念よ消えてしまえ!とさえ思う時もあります。

しかし、最近そうした自分のお金に対する考え方にちょっとした変化がありました。

コロナ禍での企業の対応

このコロナ禍において、人々を励ます様々な対応が多くの企業で見られました。

とある方がおっしゃられているのを聞き、ハッと気づいたことなのですが、それら企業の行為というのは利益を生み出している企業でなければできないということです。

自らが危機に瀕している状況では、勇気づける側に立つことは不可能です。

医療従事者への無償提供、従業員への特別手当、ユーザーへの無料でのプレゼントや招待...。

気持ちを行動で示そうとするこれら取り組みは無から生まれるものではなく、その元手となるのはこれまでのお客様から頂いた利益です。

そもそも順調に売り上げを伸ばし、成長を続けていることが企業として素晴らしいことですし、そうして積み上げてきた利益をもってして社会貢献を行う姿は、同じ事業を営むものとして尊敬します。

影響の大きさは業種によって異なってきますが、苦境に立たされている企業が多いのは事実です。
今回は自分もそのうちの1社ではありますが、もしも次にまたこうした事態に直面した時は、できれば周囲を勇気づける側に立っていたいと思います。

それはつまり、こうした不測の事態に直面しても対応できるような余裕を持った経営を行うこと。
さらに言えば、日々の売上をもとに効率的な経営を行い、利益を積み増しして、確実に成長へとつなげていける経営手腕を発揮していくということです。

自分が幸せでないと人を幸せにできない

今回はまさにそのことを痛感させられた出来事となりました。
自社はまだ従業員はいませんが、今後従業員を抱える企業となった時に、彼らを路頭に迷わすことが無いよう、安心をもって働ける経営環境を構築しなくてはならないと感じました。

とても短絡的で浅はかではありますが、自分の中では「利潤の追求」というのは、「暴利を貪る」「金の亡者」のようなイメージと結びつけて考えていた節があるようです。

思考が極端に偏っていたことを反省するとともに、むしろ利益は企業に必須の要素である(←当たり前)ということを言い聞かせ、これからも経営に向き合っていきたいと思います。


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