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八千代八福神めぐり

♫目次

♫はじめに

八千代市観光協会主催の八福神巡りバスツアーに参加しました。

八千代市郷土歴史研究会のエキスパートの方が、バスの移動中やお寺の散策中に、みちみち詳細で丁寧な解説をしてくださりました。

八つの寺を回遊し、数奇な運命・武勇伝・破天荒な人生・不可思議な出来事…などなど、時空を超えたローカル歴史ミステリー満載のストーリーの数々と出会うことができました。

七福神はメジャーかと思いますが、八福神というのも元々あるらしく、八千代だから八、というわけでもないらしいです。

どの神様もそれぞれ特徴あるキャラ、特殊能力や徳をそなえていて、福や富、健康を日本にもたらすために世界から集結したアベンジャー、もしくはサイボーグ009といった感じです‼️

七福神のうち、インドの神様だったのが大黒天(だいこくてん)・毘沙門天(びしゃもんてん)・弁財天(べんざいてん)。

中国の神様だったのが福禄寿(ふくろくじゅ)・布袋尊(ほていそん)・寿老人(じゅろうじん)。

そして唯一日本の神様が恵比寿(えびす)となります。

ちなみに八つ目の神様は吉祥天(きっしょうてん)です。吉祥天もインドがルーツの神様です。

八福神のうち唯一、歴史上実在した人物は、布袋尊です。

それでは一つ一つのお寺で観たこと、聞いたことを、個人的な忘備録として、書き記していこうと思います。

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❶村上 正覚院

最初のお寺は
正覚院
この釈迦堂には秘仏の
釈迦如来像が安置されています
この釈迦如来像は
正覚院に安置されている
秘仏の実物の2分の1の
サイズのレプリカで、
郷土歴史博物館では
常設展示されています

市民ギャラリーや郷土歴史博物館のすぐそば。お蕎麦屋さん古久のお隣り。

果樹園を営んでいる友人の梨を買いに宮内へ自転車で向かうときなど、入り口の前を何回も通り過ぎていたのだけれど、中に入るのは初めて。

毘沙門天(八千代八福神1/8)

毘沙門天(八千代八福神1/8)


八福神として、この寺に祀られているのは、毘沙門天(びしゃもんてん)

仏教で言う四天王の一人。北を守る神、多聞天(たもんてん)って人がいて、彼が東西南北、俺一人で全部大丈夫!って覚醒しちゃった状態が、毘沙門天ってことらしいです!スーパーサイヤ人みたい?!

おしどりの伝説

お寺の名前って、山とか、院とか、寺とかカテゴリが色々あるみたいです。ここは…

八福神 毘沙門天(びしゃもんてん)
山 号 池證山(ちしょうさん)
寺 号 鴨鴛寺(おうえんじ)
院 号 正覚院(しょうかくいん)
宗 派 真言宗 豊山派(しんごんしゅう ぶざんは)
ご本尊 大日如来(だいにちにょらい)

鴨鴛寺の名の通り、このお寺にはおしどり伝説、と言うのがあるそうです。

おしどりといえば、思いつくのがおしどり夫婦。そう、仲睦まじいおしどりの雄と雌の愛に心打たれて出家してしまったお侍さんの話。

ある日のこと、一人の武士が一羽のオスノおしどりを射止め、持ち帰りました。するとその夜、女が現れ「あなたは私の夫を殺した。どうか私の夫を返してくれ」とせがみます。

人を殺めたことなどない、と武士は女を追い返しますが、翌朝、射止めたオスのおしどりの横で、寄り添うように横たわり、冷たくなっているメスのおしどりを見つけました。

「そうだったのか!気の毒な事をした」

侍はたいそう心を痛めて、このことを契機に出家し、この寺を建てたのだとか。

鴨鴛寺には伝説にちなんだ
おしどりの像もありました

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❷米本 長福寺 

四天王がお出迎え

米本長福寺の参道、
二つ目の門、鐘楼門をくぐると…

米本長福寺では、色鮮やかな四天王がお出迎えしてくれました。

八福神 弁財天(べんざいてん)
山 号 米本山(よなもとさん)
院 号 -
寺 号 長福寺(ちょうふくじ)
宗 派 曹洞宗(そうとうしゅう)
ご本尊 阿弥陀如来(あみだにょらい)

四天王は、東方の持国天(じこくてん)・南方の増長天(ぞうちょうてん)・西方の広目天(こうもくてん)・北方の多聞天(たもんてん)の四神で、それぞれ須弥山・中腹に在る四天王天の四方にて仏法僧を守護しているそうです。

すでに記した通り、北方の多聞天は最強で、毘沙門天となり全ての方角を守れるのだとか。

四天王は須弥山頂上の忉利天(とうりてん)に住む帝釈天を筆頭に、八部鬼衆を所属支配し、その中腹で共に仏法を守護する役割があるそうです。

弁財天(八千代八福神2/8)

この写真は一つ前のお寺
村上 正覚院の弁財天

弁天さまの呼び名で知られる弁財天は、インドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーが、仏教に取り込まれた呼び名です。神仏習合によって神道にも取り込まけれ、かなり日本風になりました。下の絵はインドのサラスヴァティー。

水の女神なので、池・川・海など水が近いところに祀られることが多いそうです。

芸術・学問などの知を司る女神とされています。さらに、才を成す、が財を成すとなり、福徳神となりました。

音楽神、学芸神、福徳神の性格に加え、戦勝神の性格も持つものがあり、その場合、トグロを巻いた蛇のような姿だそうです。

ここ、米本長福寺の弁財天はとても小さく、暗いお堂に祀られていたので、目視でも写真でもあまりハッキリ見ることができませんでした。

米本長福寺 本堂

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❸保品 東栄寺

福禄寿(八千代八福神3/8)

背が低く長頭で長い髭をはやし、
杖に経巻を結び、鶴を伴っていることもある。

八福神 福禄寿(ふくろくじゅ)
山 号 星埜山(ほしのさん)
院 号 -
寺 号 東栄寺(とうえいじ)
宗 派 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)
ご本尊 薬師如来(やくしにょらい)

福禄寿は、幸福と富貴と長寿が三拍子そろった中国の神様。長頭短身で杖をつき鶴を伴うこともあるそうです。

この福禄寿は南極星(カノープス)の化身ともいわれ、後述の寿老人(じゅろうじん)と同一視される場合もあるそうです。

保科(ほしな)の地名、昔は星名と書いたそうです。この土地で、福禄寿が祀られるようになったことと何か関係があるのかもしれませんね。

美しい薬師堂

美しい薬師堂
薬師堂のガラス越しに
薬師如来、
左右に日光・月光菩薩、さらに
十二神将が並ぶ姿が実に壮観である…
と、配布された冊子には
書かれていたけど…
よくわからなかったです💦
また来てみようと思います

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♫ランチタイム

お弁当とお茶とお菓子

ランチは農業交流センターで。

お弁当はネイバーフードプレイスのもの。


ネイバーフードプレイスは、米本団地内の京葉銀行跡地を改修して作られたおしゃれなカフェレストラン。

ネイバーフードプレイスの店内は美しい絵画・鉄のオブジェ・かわいいポップ書きのメニュー・厳選された書籍棚・安心して子どもを遊ばせながら食事ができるお座敷コーナーなど、こだわりがいっぱい。そして地元野菜を使った料理がなんといっても嬉しいですね。 

今回、お弁当の他、温かいお茶、
老舗宗吾郎の八福神煎餅や
紅梅の和菓子なども
ツアー料金内に含まれていました💕
昼休憩はまるまる1時間あり。
ゆっくりできました。
写真は後日自宅で頂いた、
宗吾郎の八福神煎餅

道の駅へ 


出発まで時間が余ったのでブラブラしてみました

新川をまたいで、橋向こうの道の駅
焼き芋ゲット
お土産に黒糖のケーキ、ゲット
いろいろ売ってました
後日自宅で頂いた、胡桃入り黒糖ケーキ。
うまし、でした。

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❹小池 妙光寺 

吉祥天(八千代八福神4/8)

八福神 吉祥天(きっしょうてん)
山 号 常寶山(じょうほうさん)
院 号 -
寺 号 妙光寺(みょうこうじ)
宗 派 日蓮宗(にちれんしゅう)
ご本尊 釈迦牟尼像(しゃかむにぞう)

吉祥天(きっしょうてん)は日本では七福神に入ったり、入らなかったりと言った感じだったそうですが、八千代では8番目の福神としてエントリしています。 

五穀豊穣と天下泰平の神様で、その美しさから美女の代名詞として使われることもあるとか。

前述の毘沙門天の妃です。

美しさだけではない吉祥天の魅力

吉祥天はその美しさとはウラハラに、母は鬼子母神、父は竜神という強烈な生い立ち。

鬼子母神といえば、自分は1000人もの子どもを持っているにもかかわらず、人の子供をさらって食べちゃう鬼です。

鬼子母神の像にはツノがない。

ある日お釈迦様が鬼子母神の1000人の子のうちの一人を隠してしまったところ、鬼子母神は大いに嘆き、その様子を見てお釈迦様は「これでお前も子どもを失う気持ちがわかっただろう。人の子ををさらって食べるのはやめなさい。代わりにザクロを食べなさい」と諭したところ鬼子母神は素直に受け入れ、その瞬間、頭のツノがポロリと取れたそうです。

そんな鬼子母神がママで、パパは龍神で、ダーリンは最強の闘将・毘沙門天…吉祥天の美しい容姿の奥には並々ならないパワーが秘められていそうですね。

そんなワイルドで神秘的な生い立ちの美女に憧れる貴族のファンも多かったのだといいます。

日蓮宗では吉祥天を祀ることが多いという事です。七面天女は当初、日蓮宗総本山である身延山久遠寺の守護神として信仰され、日蓮宗が広まるにつれ、法華経を守護する神として各地の日蓮宗寺院でも祀られるようになったそうです。

その日蓮ですが、多くの受難に遭ったようです。

日蓮四大法難

スライドショーのような透かし彫りがありました。

松葉ヶ谷法難

日蓮は1253年安房の清澄寺から、今の神奈川県鎌倉市大町の名越(なごえ)に含まれる一地域あたりの松葉ヶ谷に、草庵を構ました。

「天変、地妖、飢饉、疫病あまねく天下に満ち、広く地上にはびこる。牛馬巷にたおれ、骸骨路に充てり、死を招くの輩既に大半をこえ、これを悲しまざるの族敢えて一人もなし」法華経を信じなければ、このような事が起こり、外国からの侵略や内乱が起こると予言しました。

そして法華経以外の、人々を惑わす法然の念仏宗などを禁じなければならないとまで説いたのです。

これに腹を立てた念仏信者らによって、草庵は焼き討ちされてしまい、日蓮は下総国への一時避難を余儀なくされます。

この時、白猿に導かれてお猿畠へ避難し、ショウガをもらったとか。

伊豆流罪(伊豆法難)

その後日蓮は再び鎌倉に戻りますが、1261年(弘長元年)に、伊豆流罪となってしまいます。

日蓮は、材木座海岸から船で護送される途中、伊東沖の「まないた岩」と呼ばれる小さな岩に降ろされ、置き去りにされてしまいます。

それを助けたのが、漁師の舟守弥三郎(日実)であったと伝えられています。

小松原法難

日蓮による念仏批判を受けて激しく敵対心を抱いていた東条景信らはついに日蓮一行の襲撃を決行します。

文永元年(1264年)天津に向かっていた日蓮一行は小松原(現千葉県鴨川市)に差し掛かったあたりで襲撃されてしまいます。

弟子の鏡忍房日暁と信者の工藤吉隆は殺害されてしまいます。

日蓮自身も額を斬られるとともに、左手を骨折するなどの重傷を負いました。

しかし、斬りつけた東条景信が落馬して逃亡したので、日蓮は難を逃れたということです。

お寺によっては、冬になると日蓮の像に白い綿をかけてあげるところがあります。これは古傷が痛まないようにという日蓮への思いやりだそうです。

龍口法難

文永8年9月12日(ユリウス暦1271年10月17日)、鎌倉幕府は幕府や諸宗を批判した罪で佐渡流罪を言い渡し、鎌倉の松葉ヶ谷草庵の日蓮を逮捕します。

佐渡流罪とは名目で、翌日の深夜、日蓮を土牢から引き出し斬首しようとします。

あわやこれまで!と、その瞬間、江ノ島方面より光の玉がやってきて、刀が折れ、首を刎ねることができなかったという話です。

このような日蓮の四つのエピソードを日蓮四大法難と呼ぶようです。

いずれにせよ、日蓮がピンチになると、猿・漁師・馬・火の玉などに、助けられるというオチがついています。

この人は何か大きな力に守られているんだな、と感じさせられるようにできていますよね。

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❺真木野 妙徳寺 

大黒天(八千代八福神5/8)

米俵の上の大黒天



「大黒さん」として親しまれている大黒天は、日本に密教の伝来とともに伝わりました。

八福神 大黒天(だいこくてん)
山 号 高譽山(こうよさん)
院 号 -
寺 号 妙徳寺(みょうとくじ)
宗 派 日蓮宗(にちれんしゅう)
ご本尊 一塔両尊四菩薩(いっとうりょうそんよんぼさつ)

ルーツのインドでは天部と言われる仏教の守護神達の一人。軍神・戦闘神、富貴爵禄の神マハーカーラです。

その3つの性格のうち、中国においては特に財福を強調して祀られたようで、日本にもそう伝えられたようです。

密教を通じて伝来したことから初期には主に真言宗や天台宗で信仰されました。

合わせてインドでは厨房・食堂の神ともされていました。日本においては最澄が毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒を比叡山延暦寺の台所の守護神として祀ったのが始まりだといいます。

後に大国主神(オオクニヌシノミコト)と習合し、室町時代になると日蓮宗においても盛んに信仰されたということです。

日蓮宗の様式

妙徳寺は、前述の妙光寺と目と鼻の先、すぐ隣にあります。
妙徳寺も、妙光寺と同じ日蓮宗であることから本堂の一塔両尊四菩薩が一緒でした。ちなみに、一塔両尊四菩薩とは

 一 塔 題目宝塔
 両 尊 釈迦如来と多宝如来
 四菩薩 安立行菩薩・浄行菩薩・
     上行菩薩・無辺行菩薩

であり、さらに一塔両尊四菩薩の左右は四天王に守られています。

また、中央に日蓮上人像の鎮座、右手に鬼子母神、欄間に4大法難の彫刻など共通点が多かったです。

日蓮上人誕生

蓮が咲き、鯛が踊ったそうです。

七面天女

竜神の娘、吉祥天は、身延山の日蓮の説教に女性に化身して通っていたという話。

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❻吉橋 貞福寺

恵比寿(八千代八福神6/8)

恵比寿

恵比寿さんは漁業の神・商売の神。
ご利益は五穀豊穣・開運招福・学業成就などなど。

「えびす様」は、七(八)福神の中では唯一の日本古来の福の神さま。

※その他の福神はルーツがインドまたは中国です。

吉橋の城址

ひっそり佇む吉橋城址の石碑

吉橋城址、一の丸は今や見る影もありませんが、二の丸には吉橋貞福寺が。

辿り着くまでも楽しい吉橋貞福寺

八福神 恵比寿(えびす)
山 号 愛宕山(あたごさん)
院 号 地蔵院(じぞういん)
寺 号 貞福寺(じょうふくじ)
宗 派 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)
ご本尊 血流地蔵尊(ちながれじぞうそん)

寄進によるズラリ並んだ石仏群
こわーい馬頭観音も混じってました
階段の上の方に行くにつれ菩薩や…
…如来もいます
フィニッシュ付近では地蔵がお出迎え
全部で66段

八福神だヨ!全員集合

実はこのお寺、八福神が全部見れてしまいます‼️(あたた)

一番奥にどーん!と恵比寿さん

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❼高津 観音寺

布袋尊(八千代八福神7/8)

大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿

布袋は、唐代末から五代時代にかけて明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在した禅僧です!

富貴繁栄をつかさどり、広い度量と円満な人格を持つ人であったと言われています。

所持品である袋はいつの頃からか「堪忍袋」ではないかとのウワサです。

八福神 布袋尊(ほていそん)
山 号 高津山(たかつさん)
院 号 -
寺 号 観音寺(かんのんじ)
宗 派 曹洞宗(そうとうしゅう)
ご本尊 十一面観音(じゅういちめんかんのん)

韓国式鐘楼

関東大震災の時の韓国人や
朝鮮人の犠牲者慰霊のための
韓国式鐘楼。

高津比咩伝説

藤原時平の娘・高津姫を祀った神社、高津比咩神社には復縁の御利益があるとか。

菅原道真を追放した藤原時平がたたりで命を落としたのち、その妻と第5息女高津姫は都落ちをします。

東下りの末、下総の久々田(谷津あたり)でたちまち船は石になり、姫は三山(実籾と薬園台の間くらい)を経て、ようやく高津で落ち着きました。

花の洛の昔を偲び、亡き父を慕いながら、この高津の地で一生を終えたとのことです。

亡き父のことを心から慕っていた高津姫。領主の千葉さんはこれに心打たれ、地名を「高津」と命名したのだとのことです。

姫が守り本尊としていた十一面観世音菩薩は高津観音寺に安置されました。

また高津姫はこのあたり一帯の人々に大変に慕われたので、高津比咩神社に祀られ、産神様となったそうです。

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❽萱田 長福寺 

寿老人(八千代八福神8/8)

寿老人といえば鹿

長頭の老人で、鹿(しか)をつれ、巻物をつけた杖(つえ)をもっています。

中国の道教に由来し、福禄寿とともに夜空に輝く一番明るい星シリウスの次に明るい南極星(カノープス)の化身です。

七福神では吉祥天が抜けて寿老人が加わることもあるそうです。

赤寺と仁王像

八福神 寿老人(じゅろうじん)
山 号 萱田山(かやださん)
院 号 -
寺 号 長福寺(ちょうふくじ)
宗 派 真言宗豊山派(しんごんしゅうぶざんは)
ご本尊 阿弥陀如来像(あみだにょらいぞう)


通称「赤寺」と呼ばれる所以の、朱塗りの山門と黒光りする迫力ある二体の仁王像の対比が印象的でした。

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♫最後に

こうして駆け足ですが、八福神ツアー全体を振り返ってみました。

最後のここでは八福神とはちょっとズレますが、今回のツアーで特に興味深かった2点について記しておきたいと思います。一つは地蔵について、もう一つはについてです。

お地蔵さんの正体

お地蔵さんって、そのルックスやサイズから子どもが化身した神様だと思っていました。つまり、早くに亡くなった子どもが地蔵になるとか、勝手に今までずっとそう考えていたのです。

ところが、地蔵は菩薩でした。正式名称は地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、別名 無辺身菩薩(むへんしんぼさつ)。

調べてみると、さらに菩薩には2つの意味があり、

 ❶悟りを開く前の修行僧の呼び名。

 ❷悟りを得ているにも関わらず衆生
  を現世の苦しみから救うために
  活動する者。


地蔵菩薩は後者で、煩悩に苦しむ人々を救うために日々活動しているそうです。お釈迦様が亡くなられた後、世界が荒廃する恐れがあるので、弥勒菩薩(みろくぼさつ)が救世するまでの56億7000万年の間は、地蔵菩薩が弥勒菩薩の代わりに衆生を救うとのことです。

仏教の六道輪廻の思想

全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする仏教の六道輪廻の思想。地蔵菩薩は地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六道すべての世界に現れて命ある全ての衆生を救うとのことです。

六道とは衆生がその業の結果として輪廻転生する6種の世界のこと。死を迎えると、閻魔大王様の審判により罪の重さに従ってどの世界へ行くのか決定されます。どの世界にも大きさの程度の差こそあれ、例え天道でさえ、必ず苦しみがあるのですが、それを救ってくれるのが、地蔵菩薩だと言うことです。

天 道 天道は天人が住まう世界。
 天人でさえ死を迎えるときは5つの
 変化と苦しみ(
天人五衰が現れる。
人 道 人間が住む世界。四苦八苦に
 悩まされる。
 四苦 生・老・病・死
 八苦 愛別離苦(あいべつりく)
     親・兄弟・妻子など愛する者
     と生別・死別する苦しみ、愛
     する者と別離すること。
    怨憎会苦(おんぞうえく)
     怨み憎んでいる者に会う 
     苦しみ。
    求不得苦(ぐふとくく)
     求める物が思うように得られ
     ない苦しみ
    五蘊取蘊(ごうんしゅく)
    /五蘊盛苦(ごうんじょうく)
     五蘊(人間の肉体と精神)が
     思うがままにならない苦しみ
修羅道 阿修羅が棲み、終始戦い争うた
 めに苦しみと怒りが絶えない世界。
畜生道 鳥・獣・虫など畜生の世界。
 苦しみを受けて死ぬとされる。
餓鬼道 飢えと乾きに常に苦しむ世界。
 食物や飲物は手に取ると火に変わって
 しまうので、決して満たされることは
 ない。
地獄道
 等活地獄 「殺生」を犯した者が 
  堕ちる地獄で、何度もよみがえり、
  殺し合いを続ける。
 黒縄地獄 「殺生」「盗み」を犯した
  者が堕ちる地獄で、黒い縄で体に
  升目状の線を付けられて、
  切り刻まれる。
 衆合地獄 「殺生」「盗み」
  「邪淫(不倫)」の罪を犯した者が
  堕ちる地獄で、鉄でできた山の谷間
  に追い込まれ、両側から迫る山に挟
  まれながら圧死させられる。
 叫喚地獄 「殺生」「盗み」「邪淫」
  「飲酒」の罪を犯した者が堕ちる地
  獄で、真っ赤に焼けた鉄の地面を
  走らされ、溶かした銅を喉に
  注ぎ込まれる。
 大叫喚地獄 「殺生」「盗み」
  「邪淫」「飲酒」「妄語(嘘をつ。
  く)」の罪を犯した者が堕ちる地獄
  で、熱い鉄の針で唇と舌を突き通さ
  れ、熱い鉄のハサミで舌を抜かれる
  苦しみが繰り返される。
 焦熱地獄 「殺生」「盗み」「邪淫」
  「飲酒」「妄語」「邪見(正しく
  ない見方)」の罪を犯した者が堕ちる
  地獄で煮えたぎる大釜風呂や炎に
  包まれた鉄室に入れられる。
 大焦熱地獄 「殺生」「盗み」
  「邪淫」「飲酒」「妄語」「邪見」
  「強姦」の罪を犯した者が堕ちる
  地獄で、熱い鉄の板の上で焼かれた
  り、熱い鉄の棒で体を突き通された
  のち、あぶり焼かれる。
 阿鼻地獄 父母や聖者、主君の殺害や
  仏教の教えを謗るような重罪を犯し
  た者が堕ちる地獄で、他の階層の地
  獄の一千倍といわれる激しく厳しい
  苦痛を絶えることなく受け続ける。
  「無間地獄」(むけんじごく)とも
  いわれる。

六地蔵像

今回のツアーでは、地蔵菩薩の像を6体並べて祀った六地蔵像がいくつも観られました。これは六道輪廻に基づき六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものだそうです。つまり生きとし生けるものが繰り返す生まれ変わりのエリアごとの救済の担当者がいる、といった感じでしょうか?それぞれスラッシュ(/)のあとの二つ目の名前は、まだ自分が不勉強で、そういう呼び方もある、くらいの認識です。

 ▶天 道
  日光(にっこう)地蔵
  / 預天賀(よてんが)地蔵
 ▶人 道
  除蓋障(じょがいしょう)地蔵
  / 放光王(ほうこうおう)地蔵
 ▶修羅道 
  持地(じじ)地蔵
  / 金剛幢(こんごうとう)地蔵
 ▶畜生道
  宝印(ほういん)地蔵
  / 金剛悲(こんごうひ)地蔵
 ▶飢餓道 
  宝珠(ほうじゅ)地蔵 
  / 金剛宝(こんごうほう)地蔵
 ▶︎地獄道 
  檀陀(だんだ)地蔵
  / 金剛願(こんごうがん)地蔵

子どもの味方

お地蔵さんは日本の民間信仰においては道祖神と習合し、「子供の守り神」を始めとしてとげぬき・いぼとり・眼病・赤子の夜泣きまでカバーしてくれる身近な存在として信仰を集めてきました。結果、六地蔵・言うな地蔵・しばられ地蔵・笠地蔵・田植え地蔵など多数の童話でも語り継がれています。

講について

さて、ここでもう一つ心に残った、について記しておきます。

講は歴史的にいえば色々厳密に分類されるようなので、講とは?という問いには勉強不足でまだ一言では答えられないのですが、数ある講の中のある一つの流れを切り取れば簡単に言って、地域のよりあい的な性格を持った集団だと言えます。

女性の場合、出産・子育ての時期には子安講に所属し、子育てが終われば観音講、年をとれば念仏講と、人生のフェーズごとにコミュニティが用意されていたようです。

これらの講で当時の女性たちは一時、子育てや家事から解放されて、息抜きや情報交換・わきあいあいとしたコミュニケーションができる場であったようです。いわば女子会です。

一方、男性専門の講もありその一つとして庚申講があります。
人の体は上肢・中肢・下肢と分かれますが、そのそれぞれに虫がいて宿主の日頃の所業を監視していて、60日に一度やってくる庚申の日に宿主が寝ている間に上肢・中肢・下肢から抜け出して閻魔大王に密告に行くのだそうです。

閻魔大王は虫たちの報告を精査し、罪に応じて宿主の寿命を縮めるのだそうです。

それではたまらん!ということで、トゥーランドットではないですがその日は「寝てはならぬ」と言うことで男どもは夜通し酒盛りをして起きていると言うのが庚申講だそうです。

庚申待を3年18回続けた記念に建立されたのが庚申塔であり、今回のツアーでもそれを「たくさん」確認することができました。

子安講を始めとするいくつかの女性向けの講も、男性向けの庚申講も、いやはやなんとも人間らしく、微笑ましいものですよね。


ツアー料金に含まれるもの

実際はもっといろいろなことを解説してもらったと思います。取りこぼしや消化しきれない情報もたくさんあったと思います。

参加者には豪華で充実した八福神の詳細な解説が載ったフルカラーの小冊子が配られました。


また、8箇所の寺の御朱印の色紙や、

記念品もプレゼントされました。バスの運賃、ランチタイムのお弁当やお茶、お菓子、そして寒さ対策の携帯インスタントカイロまでツアー料金に含まれていました。

昨年から八千代市観光協会が主催するやちよ浪漫紀行(年4回の講座)や、八千代市郷土歴史研究会の茶話会、ウォーキングツアーなどにも参加し、地元の歴史を少しずつ学び始めました。

断片的に学んだ知識が、イベントや講座でだんだんつながったり、広がる楽しさはまさに学ぶことの醍醐味です。これからも継続して積み重ねていきたいと思います。

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#千葉県八千代市
#八福神めぐり
#八千代市観光協会
#八千代市郷土歴史研究会

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