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松井五郎さんにきく、歌のこと 7通目の手紙 「書く道具、書かれた道具」松井五郎→水野良樹

水野良樹様

 数字は未だ安心とは言えませんが、街は少しずつ日常を取り戻しつつあるようです。ただ、撤退せねばならなくなった店も目につき、空き家になったテナントのウインドウが映し出す現実は、胸に迫るものがありますね。そこに集った人々はどこでどうしているのでしょうか。そこにはどんな歌が流れているのか?水野君の周囲も変化の時かもしれませんが、創作とどう向かい合っているのでしょうか?

 さて、貴重な画像拝見しました。過去の原稿ってなんだかぬくもりがあっていいですよね。手書きのものは特に、その頃の空気や感情もそこに封印されているようで。僕が若かった時代はまだワープロもありませんでしたから、手書きでしたが、流石に残っているものがありません。こんなに続けて来られるなら、もっと整理しておけば良かったなと思います。

 手書き原稿でふと思い出すのが、井上陽水さんとはじめてお逢いした時の事です。安全地帯にはじめて書いた「マスカレード」という曲のレコーディングの時だったと思います。目黒の地下にあるスタジオ。まだ安全地帯のレコーディングの勝手もよくわからなかった僕は、中央のソファではなく、片隅に並んだパイプ椅子に座っていました。そこへ陽水さんが現れました。10代の頃から憧れていたあの陽水さんと最初の接近遭遇です。はじめましてと型通りの挨拶をするのがやっとでした。陽水さんは僕の隣の椅子に腰掛けて、浩二の歌入れをしばらく聴いていました。こちらは緊張MAXでした。すると、目の前にあった僕の手書き原稿を徐ろに手にして「見ていいですか?」とあの声で尋ねてこられました。当時の僕の歌詞原稿は5ミリ方眼にマス目いっぱいに文字を埋めて書いていました。レタリングを少し勉強していたこともあって、ワープロのようにきっちりと書きたかったのです。陽水さんが歌詞に目を通している時間の長いこと。浩二の歌入れに集中できませんでした。スタジオに流れていた音がふと途切れた時、陽水さんが耳打ちをするように、「印象的な字ですね」と。。。どう返していいか咄嗟に思いつかなかった僕は、ありがとうございますと妙な返答をしていました。褒め言葉と受け取ってよかったのだろうか?いやいや「印象的」という意味は必ずしも良い意味ばかりではない。一人悶々としてしまいました。結局、その日はお疲れ様でした以外会話もできず。ただ、帰り道、駅への道をとぼとぼ歩きながら、せめて「印象的な詩ですね」と言って欲しかったと思いました。「し」ではなく「じ」だった事が、ちょっとショックで。。。陽水さん濁点余計です(笑)。

 歌詞原稿といえば、10月10日まで大阪で開催されている「氷室京介展-揺るぎなき美学と挑戦-」に1992年にリリースされた「KISS ME」の原稿が展示されています。全部で10通り?くらいあったでしょうか?初稿はまったく違うタイトルで提出していて、久しぶりにそれを見て僕も当時の事を思い出しました。そこには氷室君が手書きで修正している痕跡が残っていて、スタジオで僕たちが推敲を重ねていた事がわかります。KISS MEという言葉も初稿にはありません。それがどういった経緯で変化していったかは歌詞を見ただけではわかりませんが、少なくとも、皆さんが最後に耳にした形に着地するまで、見えない道を手探りで進んでいる様子は感じてもらえるのではないでしょうか。氷室君はよく「鳴り」という言葉を口にしていました。聴感上の事もあったと思いますが、恐らく、もう少し感情に近い部分が共鳴するという意味だったと思います。その点で、表記上とは別に言葉の深層を、きちんと含んでおく必要がありました。「抱きしめたい」というような一件シンプルな言葉でも、彼のどこで「鳴る」のかをレコーディングしながら探る必要がありました。声の調子や表情を見ながら、頭での理解ではなく、体感しながら言葉を同期させてゆく作業。更に、例えばひとつの単語で平面的でなく、立体的なイメージを意識して表現していたかもしれません。KISS MEの1コーラスの冒頭「メビウスのHighwayを駈ける夜」というフレーズも、メビウスの帯の形状で都会の夜の背景を印象づけたいという意図があったと思います。初稿ではメビウスという言葉がありましたが、実は途中で一旦そのフレーズが消えている段階がありました。恐らく、氷室君は抽象的過ぎると感じたのかも知れません。代わりに書き直した部分は、もっと感情的でストレートなものでした。ただ、サビとのコントラストが薄まり、結果的に現在の形に落ち着いたのだと思います。

 HOUND DOGの大友康平さんとの共作も思い出深いですね。パソコンではなくワープロが出始めた頃です。互換性があるようにと同じメーカーのワープロを買い込み、深夜まで二人で一緒に歌詞を書きました。当時のワープロはウインドウが狭く、歌詞が2、3行しか表示されないので、後半になってくると一番で何を書いたかわからなくなり、数行書いてはプリントするを繰り返していました。結局、最後の方はまわりが紙だらけになり、ひとつの歌詞を書くのに相当の紙を要したものです。あの歌唱法から大友さんは豪放に見えますが、とても勉強家で、水野君のようなノートにいつも手書きで準備をしていました。普段から思いついた言葉を記していたり、ひとつのメロディに何通りも歌詞を付けていたり。僕はどちらかというと即興型で、一気に書いてしまうタイプなので、大友さんの熱量にはいつも関心させられたのを覚えています。

 そうそうASKAとのやり取りも思い出しますね。彼と共作する時は、まず彼からメロディにははまらない状態の言葉も含めて、大量にフレーズが送られてきます。
それだけで10編くらい歌詞が出来そうな分量です。そこから調整していきながら、まずは歌ってみる段階まで仕上げていきます。水野君は、仕上げていく過程で、まずは紙面で仕上げますか?それとも選択肢を残し、歌入れしながら仕上げますか?ASKAは、決めた歌詞を持ってマイクブースに入りますが、突然違う歌詞で歌い出したりするんですが、それがまたよかったりします。氷室君の「鳴り」とは別かもしれませんが、一度は決めても、言葉が常に巡っていて、それを捕まえようと、即興にも近い形で歌いながら作詞もしてる感じです。一緒に共作してる僕にすれば、「ASKAそれはずるいよ(笑)」ということになりますが、いいものはいいですし、むしろ感動させてくれるので、そこは参りましたですよね。

 苦い思い出もあります。まだ仕事がそれほどなかった頃、メールもない時代です。書いた歌詞をディレクターに渡さなければならなくて場所を指定されました。そこは多摩川土手の市営の野球グランドでした。外野で守っているディレクターに柵越しに手渡しました。もちろんそんなタイミングで歌詞を見てくれるわけもありません。彼は土で汚れたユニフォームのポケットに無造作に歌詞を詰め込むとベンチに帰っていきました。徹夜して書いた歌詞がそんな風に扱われるのは、ちょっとショックでしたが、いつかきちんと目の前で見てもらえるような仕事ができる作家になろうと思ったものです。

 歌詞が生まれる瞬間には、当然の如く、文房具があります。筆先が流れてしまうボールペンが苦手で、書くならシャーペンか万年筆です。最近は仕事はほとんどパソコンのワープロですが、時々筆圧を感じたくて原稿用紙に書いたりします。紙に滲んでいくインクを見ているのはなんだか、言葉に血が通っていくようです。
ただ感覚的には、記すと言うより、捕らえるとか剥がすという感覚に近いかもしれませんね。言葉は空-KUU-を舞っている。ペンは自分の肉体も含め、空想を具現化する装置。ほんとうは万年筆も作ってみたいと思いますが、流石に良いものがたくさんあるので、インクだけはオリジナルで作りました。自分だけの色。ほとんど黒に近い碧色です。先日阿久悠記念館に伺った際に展示してあった自筆の原稿は迫力がありました。まさに言霊が宿る感じですよね。到底及びませんが、せめてインクくらいは自分の色でとオリジナリティを追求しています(笑)。

 それと、特に作詞する時に必要なものはないのですが、儀式的?に昔からなにか書くときは手は洗いますね。お清めじゃないんですが、インクや文字より先に紙が汚れるのが嫌で。ほとんどPCワープロになった今でも、それでもその儀式は続いています。たまたまコロナ禍、「Wash Your Hands」を書かせて頂きましたが、それ以前から手洗いは創作のルーティンでしたね。

 さて、水野君のようにお見せできる写真があまりないのですが、これはどうでしょう。

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 PC時代になって便利になったのはいいですが、データが消えてしまう悲劇に何度も見舞われているので、一応紙で残しておこうと、これまでの記録を文庫サイズに製本しています。音源にならなかったもの、依頼とは別に書いたもの、散文やイラスト、コラージュ、形になった作品はアーティストの名前順に一冊100篇くらいでまとめてあります。現在35巻くらいでしょうか?

 長くなりました。さて、水野君は言葉の世界を体系的に分析もされていると思いますが、コロナ後の歌の世界はどうなっていくと思いますか?或いは、最前線にいる者として、どうしていこうと。戦争や災害、そしてコロナ。どんな苦しい時代にも歌は常に人と共にありました。ただ、以前も書いたかもしれませんが、傾向として歌詞に遊びが少なくなったなと感じています。内省的な世界は僕も好きですが、歌がある種の心象風景を歌うものばかりになるのは少しさみしい気もします。新しい古いとは違う多様性があればいいのにと、密かに抵抗もしています。また水野君の話も聞かせてください。

 そうそう、吉川晃司君と共作する時は、まず初稿を書くのに僕がスタジオに監禁されます(笑)。その後吉川チェックを受けて、彼のアイデアを盛り込んでいき、完成へと進みます。みんな、凄いです!!

松井五郎


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