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松井五郎さんにきく、歌のこと 8通目の手紙「あなたが、あなたの言葉を手にするために」水野良樹→松井五郎

松井五郎様

かなり厚手の上着を羽織っていないと街を出歩けないような日も増えてきました。
夏から冬へのあいだに、なだらかなグラデーションとして色“暖か”にあるはずの秋が、この頃はどうも簡単に飛び越えられてしまっているようです。これまで秋の名曲は数えきれないほどにあるわけですが、少し拗ねたように言ってみれば、ちょっと物語にしにくい季節になってしまったのかもしれません。

いささかこじつけが過ぎるかもしれませんが僕らも含めた“世間”がつかう言葉たちが、東か西か、右か左か、正か負か、いささか極端めいたものになりすぎているのも、比喩として言い換える“秋”のような、物事と物事との“あいだ”を埋めてくれる存在が、少なくなっているからかもしれません。判然としない、どちらともつかないものにこそ僕らの“ほんとう”があるはずで、難しいことだとわかりつつも、そこに意地を張って立ち止まっていたいなとも思います。

頂いたお手紙のなかでの貴重なお話(もうほんとに毎度のことながら…)、とても興味深く拝読しました。それぞれ才能をもった個性との対峙は(考えてみれば当然なのですが)ひとつの決まり切った型で乗り切れるものではなく、まさに一期一会と言える他者と他者との出会いのなかで、その関係だからこそのルールができあがり、その場だからこその空気が立ち上がり、それらに育てられ作品ができあがっていくのだなと改めて思いました。

そして、その一期一会を幾度も繰り返し、松井さんが歌詞を書かれてきたことそのものがいつのまにか大きな物語になっている。写真で見せていただいた文庫サイズにまとめられた膨大な作品集がただよわせる壮観さは、これは“一覧”ではなく、“ストーリー”だなと思わされました。陽水さんの一声に緊張していた松井さんがいて、氷室さんとスタジオのなかで心を組み合わせていた松井さんがいて、なかには作品にならなかった歌詞たちがあって、一瞬、一瞬がつらなって、それは現在までにつながっていて。そのストーリーに僕はうしろから憧れて。また僕も自分の短いストーリーをつないで。

その意味では、その時々の空気を、時間を、意図しなくても含んでしまう作品という“記録”を残すことができる作り手という生業は、幸せなのかもしれません。

さて、コロナ渦をこえての歌がどうなっていくのか。投げかけを頂きました。
それこそ阿久悠さんのごとく「時代を喰って歌を書く」と呟いて、まるで社会学者のような視線で社会を見るわけではないにせよ、しかし、誰もが「いま、ここ」で生きていることには違いありません。多くの作り手が目の前で吹いている風に無関係でいられるわけはなく、ましてや無関心でいられるわけもなく、大いに影響を受けて書いているのだと、自分のことを含めて、思います。

これほどまでに当事者性を“誰もが”、“つよく”突きつけられる時代はなかったのかもしれません(日本でいえば、戦前にまで遡るのかもと)。

僕は80年代の前半に生まれ、それからの時代のことしか知りません。ですが、その約40年ほどのわずかな時間のなかでも歴史的という枕詞をつけられる多くの悲劇が起きました。そのいくつかは、それ自体が社会性を帯び、世の中の空気といったものに還元されていきます。このコロナの一連も、今まであった多くの悲劇のうちのひとつであるはずですが、やはりこの日々が今までと違うのは、誰もがレトリックでも比喩でもなく本当の意味で、当事者になってしまうことです。

明日、感染してしまうかもしれない。明日、職を失ってしまうかもしれない。それらの恐怖感が大きくなったり小さくなったりしながら、誰の背中の後ろにも影のようにじっと潜んでいます。そのうえで誰もが、そのひとが身を置いている環境によってそれぞれ全く異なる “個別的”な状況下に置かれています。

こういう職業で、これくらいの収入があって、こういった家族構成で…と今まではいくつかの要素を洗い出せば、状況を想定して、類型化できたと思いますが、このコロナ渦においては本当に“ひとりひとり”の状況が違うと言っていいような事態です。

多くの出来事は、それが災害であれ、事件であれ、騒動であれ、どこか精神的あるいは物理的な距離を持っていました。記述すると少し残酷な事実ですが、悲劇というものは“劇”という言葉が象徴するように、こちら側とあちら側とを分け隔てる境界があります。

遠くの街で起きた災害はやはり“遠く”にあるものであり、災害に遭ってしまったひとと、災害に遭わなかったひととを必然的に生み出します。それはある意味で“たすける”側の人々を生み出すとも言えます。多くの悲劇のかたわらで僕らは“勇気付ける歌”というものをかたちにしていった歴史があります。“勇気付ける歌”という構図が可能なのは、僕らが遠くにいるからに他なりません。

しかし、このコロナの悲劇には、そういった“距離”がありません。もちろん感染して症状が出てしまったひとと、そうではないひととでは隔たりがありますが、災害であれば“被災者”という言葉でくくられるはずの“罹患者”に、今回の悲劇ではあまり歌のフォーカスはあたっていないように思います。

歌のフォーカスがあたるのは、むしろこの社会全体をつつむ息苦しさ、社会が変容してしまったことに対する呆然、より分断が進んでいくことへの恐怖、などなど、いわゆる“空気”に関する抵抗ばかりで、それはつまり遠い“誰か”のことを歌っているのではなく、自分自身を含めた“僕ら”のことを歌っているのだと思います。

誰もが当事者になっているがゆえに、遠い誰かを励ます言葉ではなく、誰よりも“自分”が今必要とする言葉を、多くのひとは求めているのではないでしょうか。そして自らも当事者になった作り手たちが、意識的であれ、無意識的であれ、その風を感じ取っているようにも思います。

これだけ言葉が溢れている世界です。インターネットの普及、そしてそれに伴うSNSの発展によって歴史上、この現代は人類がもっとも“文字”を見ている時代だとも言われているようです。でも、皮肉なようですが、今、僕らが必要としているのは、他人の言葉ではなく自分の言葉なのだと思います。

自分を語るための言葉。
自分の人生を、状況を、想いを、語るための言葉に飢えている。

しかし、自分の言葉というのは、本当に難しい命題です。
「自分の言葉で語れよ!」というセリフは、社会のいたるところで自然にみかけられますが、その真意を理解することも、そして実践することも大変難しいことです。

そう考えていけば、SNS上の強者が言った言葉を、さも自分が考えたかのように借用し、極端な論理を内面化していくひとがなぜこれほどまでに多いのか。それぞれまるで違う人間なのに、文体まで似通ってしまう不気味なSNS上での話法の光景。

それらは自分の言葉に飢え、安易に他者の言葉に手を伸ばしてしまった、結果なのだと思います。

歌は主語を聴き手に預けることができる存在だと思います。
これからの歌は、どうやったら自分の言葉を立ち上げたいと思っているひとたちの要求に応えられるのか。安易でセンセーショナルな答えを与える(おしつける)のではなく、聴き手が主語となって自分自身を語るために、自分自身の記憶や感情が自然と立ち上がってくるような歌、、、

こう書くと小難しいようですが、何も哲学的なことを言いたいわけでも、そういったことで想像しやすい内省的なイメージの歌をつくりたいわけでもないのです。

たとえば煌びやかな幻想だって、俗物的な欲望の妄想だって、誰かから与えられるより、自分自身で想像(創造)したほうが聴き手の感動は深く、そして広いところにたどり着けるはずです。

そう考えると「津軽海峡・冬景色」で聴き手の視点をコントロールしながら、聴き手を場面のなかに没入させたような阿久さんの方法論は参考になるでしょうし、阿久さんとは対極に位置する私小説的な歌を書いてきたシンガーソングライター的な方法論もある意味では参考になるでしょう。

歌の主語がゆれうごいていったなかで、もっと主語が自由なものになればいいなと思ったりするのです。書いている僕の歌でもあり、聴いている誰かの歌でもあるような。そしてその流転の連続が、いつか“ぼくたち”となるような。。。

松井さんは、今、歌はどのようになっていくと思われますか?

水野良樹

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