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松井五郎さんにきく、歌のこと 10通目の手紙「最後の質問」松井五郎→水野良樹

水野良樹様

 この書簡もいよいよ最後になりました。この期間はそのままコロナ禍の一年と重なります。自由を奪われる形での自粛や延期に苦しい思いをしている仲間も多く、閉めざるをえなくなったライブハウス、職を変えなければならなくなった人たちも少なくありません。周囲がそんな状況の中で、この書簡を書く時間が、改めて「なぜ作るのか」を自身に問うた時間になったことは言うまでもありません。読み物として第三者がどれほど楽しめたかはわかりませんが、大変貴重な時間を頂きました。

 緊急事態宣言の効果もあったのか、陽性者を示す数字は下がりつつあります。ただその数字の1がどれもまったく違った人生の1であり、数字が下がったとはいえ、心はなかなか落ち着きません。後遺症は肉体的なものだけでなく、それぞれの人の人生に及ぶものです。2020年という年は未来をどう変えてしまったのでしょう。我々の業種で言えば、コロナのせいでキャンペーンができなかった歌も多くあったと思います。直接コロナにかかるというのではなくても、歌は限りなく影響を受けました。作者としては不憫でなりません。

 一方で、この年だからこそ生まれた歌もありました。過去の災害や有事の際同様、励ましや救い、或いは癒やしとなればと、光に手を伸ばすように書いた歌もあります。

 ジャニーズの依頼で書いた「Wash Your Hands」もそんな一曲です。あの曲は最初の緊急事態宣言が出された直後、作曲家の馬飼野康二さんと僅か2日ほどで煮詰めて、そこからCHOKKAKUさんがアレンジ、屋良朝幸さんが振り付け、そしてジャニーズのアーティストがほぼ参加した動画制作と公開までに一週間ほどで出来上がりました。その間、曲だけの事で言えば一度も顔を合わせることなくLINEのやりとりだけで制作は進みました。スタッフも含め関わった方たちすべてのエネルギーを感じた時間でした。

 歌は娯楽である以上、個人がそれぞれの楽しみ方をすればいいものです。作る側の価値観を押しつけるのはどうかとは思います。ただ、それでも、命にはライフラインが必要であるように、心には歌が必要であってほしいと願います。これまでも、チャリティのための歌は書いてきました。それらの多くは、心に向けて作ったように思います。そう考えると、「Wash Your Hands」は実際に手を洗うという効果も考えたライフラインに近い歌としても、意味のある経験でした。

 悲劇が起こるたび、歌が果たせる役割、それを考えずにはいられません。辛いニュースの合間を縫って娯楽番組やCMは流れ、そこから聴こえてくる歌。それは時に現実をフィクションのようにも思わせます。そこに自分が関わっていれば、自分の思いとはうらはらに響く言葉を複雑な思いで聴く事になります。

 オリンピック委員会元会長の発言問題にしても、考えさせられる出来事でした。言葉は怖い。意図していなくても意識は簡単に言葉として現れてしまう。それがユーモアのつもりでも、捉える側の価値観と相違があれば、傷つく者もいる。なんでもハラスメントが付いてしまう時代です。「歌だから許される」の境界も狭まってきたようにも感じます。なにより制作側の過剰な自浄作用で萎縮している自由もある。歪な正義が生むことば狩りのような空気もある。

 歌が与える影響を考える時、1969年のシャロン・テート殺害事件を思い出します。殺人の首謀者チャールズ・マンソンが影響を受けたという逸話によって、ビートルズの「ヘルタースケルター」は暴力を助長するかのようなイメージが付きました。しかしポール・マッカートニーにその意図はなかったはずです。自分たちの作った歌が人の命を奪う事に加担するなんて、考えるだけでも恐ろしい。1980年ジョン・レノンは凶弾に倒れました。その時ポールの脳裏には69年の事件がフラッシュバックしたのではないか。当時、ふとそんな事を思いました。

 ただ傷ついた心を癒やすのも、そう、歌でした。「イマジン」はどれだけの人の心を癒やしたでしょう。

 歌が世界を変えるとは思わないものの、歌が未来を変える。それは信じています。バタフライ効果の地球の反対側で嵐になるかもしれない蝶の羽ばたきだと思います。その曲の数分間が、その歌の歌詞の一言が、誰かの心を変える。その変化が別の選択を促し、起きたかもしれない悲劇とは違うより良い未来に関わるのだとしたら、歌は意味がある。

 さて、作詞をしていて幸せか否か?最後に答えるのが難しい質問を頂きました(笑)。この問いに答えるには、そもそも僕が「幸せ」をどう捉えているかお伝えした方がいいかもしれません。理屈っぽいと言われそうですが、「幸せ」という概念は「幸福」と「不幸」で一対のようなものと捉えています。良い状況と悪い状況、或いは、辛い状況と楽しい状況と言ってもいい。「幸せ」は相反するアンビバレントな要素の集合体。ですから、例えば、精神的にも物質的にも満たされていることが幸せかと問うなら、そうとも限らず、絶望のどん底にあっても不幸せとは言えない、と思うわけです。それなりに結果が残せてきたことを指すのであれば、こんなに運の良い事はありません。ただ、プレッシャーや自身の才のなさを痛感する時の苦悩もないわけではない。

 そんな風に考えている人間なので、作詞をしていて幸せか否か?を問われれば、幸せではあるが、そこは陰陽合わせての意味で、Happyとは違うものだと答えるしかありません。リアルタイムでは答えるのが難しい問いでもありますね。つまり一生終えてみなければ、本当のところはわからない。

 その上で尚続けることができているのは、以前にも書きましたが、言霊が宿った瞬間の「快楽」があるからと言うほかありません。快楽とは、例えば、苦労して、苦しんで、傷も負い登りきった坂道の頂点で見る絶景のような。簡単に楽な登頂では味わえないものでもあるのかな。言葉の置き換えにしかすぎないのかもしれませんが…

 もちろん日々喜びはたくさんあります。テレビを付けた瞬間流れてくる自分の作った歌が流れてくる時。町中でどこからともなく自分の作った歌が聴こえてくる時。アリーナを埋め尽くす聴衆が一斉に自分の作った歌を歌ってくれる時。公園ですれ違った子供が歌う勇気100%を聞いた時。…それらが創作を続けてこれた理由であるのも事実です。

 十代の自分の視点から見れば、それはどれも約束された未来ではありませんでした。どこをどう歩いて来たかも、実はよくわからない。目の前のひとつひとつの歌と向かい合ってきただけで。奇跡と言うのは照れ臭くもありますが、軌跡と言い換えられるなら、点と点が繋がった長い線というだけ。そして、その点は、きっと僕にとって歌=言葉だったのだと思います。

 約一年間、書簡という形で思いを交わせる場を作ってくれた事、感謝しています。
 また、別の形で、いつか、どこかで。

                                   松井五郎


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