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松井五郎さんにきく、歌のこと 5通目の手紙 「器と水と、そして変わりゆくものと」 水野良樹→松井五郎

作詞家の松井五郎さんに、水野良樹がきく「歌のこと」。
音楽をはじめた中学生の頃から松井五郎さんの作品に触れ、強い影響を受けてきた。
もちろん、今でも憧れの存在。
そんな松井五郎さんに、歌について毎回さまざまな問いを投げかけます。
往復書簡のかたちで、歌について考えていく、言葉のやりとり。
歌、そして言葉を愛するみなさんにお届けする連載です。

5通目の手紙「器と水と、そして変わりゆくものと」
水野良樹→松井五郎

松井五郎様

 お変わりないでしょうか。東京都内の感染者数が再び多くなり、また先行きの読めない展開が訪れているのだと強く感じます。9年前の震災の時もそうでしたが事態の分析について専門家でも意見がわかれ、社会がどこに向かって走って行けばいいのかさえも、なかなかどうにも見当がつかないところです。新種の感染症の世界的拡大という未知なる厄災は、今の東京がそうであるように、何度にもわたって“波”があると聞きます。頭ではわかっていても、不安や緊張を持続させるというだけでも人間には酷な作業で、僕らが歌で描き続けていた“日常”ははたして本当に再び訪れるのだろうかと思うばかりです。


 さて、お手紙のなかに「器」と「水」という言葉がありました。
 松井さんがお手紙のなかで意図された文脈とは、少しずれてしまうかもしれませんが、自分も常々、歌というものを説明するときに「器」と「水」という言葉を用いていたので、思わず目を見開いてしまいました。

 若い頃、自分は「器」を作ろうとしていた気がします。つまり、形、記録、スタイル…しかし、いつからか「水」を作りたいと思うようになってきたかな。その時々で時代に相応しい形状に変化する言葉。同じ言葉、同じ表現が、あるときは励みに、あるときは救いに、あるときは挑発に、あるときは拳に…

 自分は人間の感情というものは液体のようなもの(=つまり水ですね)で本来は輪郭の不明瞭なものだと考えていました。それぞれの感情はたとえば「嬉しい」とか「悲しい」といった言葉で表現されていきますが、Aさんの「嬉しい」とBさんの「嬉しい」は当然のように全く別の感情です。また同じAさんでも今日の「嬉しい」と明日の「嬉しい」とは全く異なる感情です。また「嬉しい」から「悲しい」のあいだにも無数のグラーデーションがあって、すべては判然としないものです。
 とらえることのできない。かたちにならない。形状が安定しない。
そんな液体のような感情を歌というコップ、言葉というコップですくいとる。コップですくわれて、そのコップの“かたち”となった感情を外から見てやっと、ひとはそれを「嬉しい」と名付け、判然としなかった感情をおおまかながらも理解することができる。
 で、あるならば自分は、どんな感情も注ぎこむことができる、あるいはどんな感情も受け止めることができる、そんな大きな器のような曲を書きたい。そのように思っていました。
 たとえば「上を向いて歩こう」は、日常でのささいな失敗から立ち直るときの感情にも、死に関わるような深い悲しみから立ち直ろうとするときの感情にも、どちらにもつながることができます。「上を向いて歩こう」というワンフレーズの言葉が、あらゆる種類の感情を受け止めてくれる。だからこそあの曲は名曲となりうるのだ。僕はそう思っていました。
 恋人への感謝の気持ちも、両親への感謝の気持ちも、ひとが感じるありとあらゆる感謝の気持ちにこのメロディがつながるなら。そんなふうに思って自分が書いた「ありがとう」という曲もあったのだと思います。

 ただ、松井さんがおっしゃられているのは、さらに踏み込んで作り手が意図していた様相も飛びこえて、歌が聴き手の感情にそって無限にかたちを変えていくことを願うようなことだと思います。作り手の書くという行為はもはやきっかけでしかなくて、歌がまるで生きているような…
 
 「歌が育つ」などとよく言いますが、たしかに広く誰かに愛される曲というのは決まって作り手の想像などはるかに超えて、そして不思議なほど(ときに恐ろしいほど)時代の要求に応えて、様々な意味を包摂して、そこに存在するような気がします。その成長や変化を作り手がすべて読み切ることはもはや不可能ですが、ただできることは(懸命につくることはもちろんとして)ひとつは「願う」ことなのかなと思います。拍子抜けしてしまうような精神論かもしれませんが、自分の未熟で短いキャリアのなかでも“経験論”として、それは思います。
 「願う」ことが行為への熱量と変わり、まわりに伝染し、やがて出会い頭の事故のように、予期もせず社会の風と絡まる瞬間がくるように思います。
 


 音楽の未来について、水野君はどんな事を考えていますか?
 ハードの進化によって作り方が変化していく中、一方でアナログである価値も見直されたり。積み重ねられてきた歴史の延長にあるものと、そことはまったく別の価値観もある。生業としての音楽が成り立たなくなってきている現状もコロナ禍によって加速している気もします。

 政治や経済の世界同様、音楽の世界も、悪しき慣習もきっとあるでしょう。守らねばならないものと変わらなければならないもの。水野君の活動は、単に「水野良樹」という所謂ブランドプロモーションのようには見えません。阿久悠さんの企画やこの往復書簡も、未来に向けられている視線があるように思えます。批判や意見というのではなく、差し支えない範囲で、水野君はなにをしていこうとしているのか聞いてみたいです。



 少し、長い前段を書きます。

 このHIROBAという、音楽活動とも著述活動とも言いきれない、なかなか枕詞をつけることのできない不思議な活動を始めてみたり、かたやいきものがかりでは独立して自分たちで会社を立ち上げてみたり。たしかにここ数年の自分のアクションはまわりからは「どうした?どうした?」と心配さえされてしまうような、突飛なアクションだったのかもしれません。


 
 松井さんのお手紙は、いつもどこか見透かされているような気がしていて「水野くんは次はこんなことを話したいんじゃないか」と、僕の心の引き出しが半開きになっているところをすぐに見つけてくれ、すっと優しく引いてくれるようなご質問ばかりで、手紙でも甘えてしまうなと思うばかりです。

 音楽業界を変えたいとか、誰もやっていない新しいことを切り開こうとか、そんな大それたことは思っていません。
 すべてのアクションは、変化がすさまじい社会のなかでどうすればより長く、そしてより自律的に自分が(あるいは、いきものがかりが)音楽を生業として続けているのか。その不安の延長線上にあるのだと思います。端的に言えば“自分のこと”でしかありません。

 いきものがかりというグループを離れ、ソングライターとして楽曲提供を始めたことも、このHIROBAという活動を通して様々な才能をもつ方々と交流を始めたことも、そしてメンバーとともにいきものがかりというグループを独立させたことも、すべてには数えきれないほどにたくさんの個別の事情があって、語り尽くせないほどに長い文脈があって、たどり着いたアクションです。

 その途中には正も負も、様々な感情で一杯になる局面がたくさんありました。語れることも語れないことも、ともにあります。すべてが100点満点の状態で進んだわけでもありません。ですが、自分は自分ができる最善を尽くしてきました。良くも悪くも、これが自分程度の器量では、やり通せるベストだったのだと思い至っています。

 さて、視点を外へ向けたとき。
 同じように、膨大なストーリーを背景にしてキャリアを進めているたくさんのアーティストたち、ミュージシャンたちがいます。彼らにも個別の事情があって個別の選択があります。ひとつとして同じものはありません。それぞれが苦悩しながら、目の前の日々を過ごしています。

 社会も変容し、一般論として、エンターテイメントの楽しみ方は多種多様化しています。かつてのメジャー、マイナーといった括り方は意味をなさなくなっていて、すべては相対化され、マネタイズにおいても主要とされているビジネスモデルだけが覇権的になる光景は少なくなってきました。音楽ビジネスと一言で言っても、楽曲の権利収入(出版)を主としたものか、原盤を中心においたモデルのものか、あるいはそれらをPRアイテムとして活用したタレントビジネスか、そのどれでもないライブ興行ビジネスか。千差万別です。

 無数に選択肢があり、組み合わせがあります。
 そのうえで、今の音楽業界(あまりこの言葉が好きではないのですが)をいちプレーヤーの立場から眺めたときに、その多様性に応えられるような構造になっているのだろうか。そう思うことはよくあります。

 レコード会社や、大手芸能事務所が多数のアーティスト、ミュージシャンと契約を結んでいます。もちろん個別の案件ごとに様々な細かい差異があるとはいえ、大きな組織のひとつのレギュレーションに沿って多種多様なアーティストたちを運営していくのは、これほど変化のスピードの速い社会に対して、あまりに脆弱すぎやしないか。
 かつて制作(原盤制作)、製造、流通、宣伝という面において、大きな資本や人員(組織)が必要だったエンターテイメントも、前よりずっとコンパクトなチーム体制で大きなことができるようになりました。
 決裁をアーティストに近い範囲で素早く行い、アクションも小さな組織で柔軟に次々とトライアル&エラーを繰り返す。そんなチーム体制のほうが今の社会ではより大きな成功を収めやすく、また、なによりアーティストの意思に直結したエンターテイメントが届けられるのではないでしょうか。

 いやいや、そんなわかったようなことを知ったかぶりで…と言われそうで(実際に知ったかぶりはその通りなので)すが、今、はからずも自分が起こしてきてしまったアクションは、その実験台のようになっています。
 自分は旧来型の音楽業界のシステムでヒットを経験した、最後の世代の人間だと思います。いきものがかりというグループはまさにそんなグループでしょう。しかし、だからこそ、新しい時代と古い時代とをつなぎあわせる役目もあるような気がしています。過去を否定して新しさを打ち立てる破壊者でもなく、新しさを拒絶して過去の輝きに固執する懐古主義者でもなく。
 両者をつなぎとめるような接続部分に、僕らはいま立っているのではないでしょうか。やがてそこには“新しい普通”が育っていくはずです。

 少し長くなりすぎてしまいました。
 僕の方から問いかけを投げなくてはいけないのに、すみません。
 松井さんの長いキャリアのなかでは、音楽をとりまく環境もいくつもの大きな変化を繰り返してきたはずです。なかには創作そのものにも少なからず影響を及ぼす変化もあったのではないでしょうか。松井さんは書き手として、どのようにして幾度にも渡る時代の変化を通り過ぎてこられたのでしょうか。

 夏が近づいてきました。眩しい日差しが照りつけるなかで、世の中はまだ不安のなかにあります。どうかご自愛くださいませ。


水野良樹

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