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『打って、合わせて、どこまでも』〜阿部さんと水野くんの永遠会議〜 第4回

2020.01.15

第4回 心地よいこじつけ

場所:それはきっと六本木の会議室

水野 これまで、「HIROBAってこういうものだよ」って、説明しやすいワードがずっとなくて。いわゆるコピーみたいなものですよね。そのコピーを考え出すのは、本質がある程度理解できて、自分たちのなかで咀嚼できている状態にならないと難しいと感じていたんです。でも、阿部さんにカウンセリングのように言葉を引き出していただいて。

阿部 いやいや、恐縮です。

水野 そのなかで出てきた「いっしょにを、広げよう」という、まさにコピーですよね。すごく引力のある言葉だなと思っていて、それが本質を突いているので、前面に出していったほうがいいのかなと。自分がやっていることを振り返って、「一人で完結するのは嫌だ」とか、「どうして、コラボなのか」とか、「どうして、つながるというワードが入っているのか」と考えたときに、自分の問題意識として、AさんとBさんという異なる考えを持っている人たちがいて、どっちが正しいか戦ってしまう。正しい競争をしていて、そのときに人数が多いほうであったり、もしくは強い力を持っているほうが弱いほうを叩き潰すみたいな感じになっている。でも、実際の政治やコミュニケーションは、きれいごとでしかないですけれども、AさんとBさんで話し合ってCという道を見つけることだと思うんです。

阿部 わかります、そうありたいです。

水野 お互いが新しい道、第三の道を見つける。これは一緒にじゃないとできない。一緒に考え出す。簡単に言うと、それは政治であり、すべてのエンタメコンテンツがそうで。わざわざ自分以外の虚像をつくるというのは、違う考え、違う自我を持っている人たちと共有するため、要はつながるために新しいものをつくっている。アニメにしても映画にしてもすべての創造物は、何かを共有するためにつくっている。だから、「いっしょに」というワードが実はすごく本質的なことで。このHIROBAというコミュニティというか、プロジェクトは阿部さんに出していただいた「いっしょにを、広げよう」というのが根幹の考え方になっていくのかなと思いました。

龍輪(編集) そうですね。一緒にというのは、つくる側が一緒にというのもあるし、阿部さんがおっしゃっていた、音楽でも映画でも、つくって完成して見てもらって完成するという意味での一緒もありますもんね。

阿部 まさにそうです。

龍輪(編集) 「いっしょに、広げよう」じゃなくて、「いっしょにを」というのがいい。そうすると自分たちの手から離れても「いっしょに」が広がっていく感じがしますよね。

阿部 そうなんですよ。「を」を入れないこともできるんですけど、「を」が入っていると水野さんが目指す「Cの道」にもつながるなと思って。HIROBAの対談コンテンツでは水野さんがいつも「AFTER TALK」を書かれていたので、僕もAFTER TALKをちょっと書いて…。

参照:『打って、合わせて、どこまでも』 〜阿部さんと水野くんの永遠会議〜 AFTER TALK with YOSHIKI MIZUNO

水野 感動しちゃいました。素晴らしい文章ですね。

阿部 HIROBAのサイトを眺めると、「with」というキーワードがあるなと思って。

水野 確かに。

阿部 「with」という言葉にハッとしたんです。あ、これだって。ここに書いてあったんだって。

水野 いやぁ、うれしいです。

龍輪(編集) 起こっているすべてを群像として見せていくということで、「with」の奥にある思いをしっかりと届けられたらいいですよね。

阿部 そうですよね。

龍輪(編集) アーティスト同士がコラボしても、例えばレーベルのサイトにアップされるコメントで、「今回こういう理由でお願いしました」くらいで終わってしまうことも多いじゃないですか。でも実際は、一緒に何かしたいという欲望やエネルギーってもっと大きくて、深いはずだから、それをちゃんと伝えたいし、知りたい。まさに水野さんがよくおっしゃっている「この人じゃなかったら成立しなかった」という核心の部分を。

水野 「いっしょにを、広げよう」は、「同じになろう」ではないですよね。「同じになろう」ではなくて、「違うことも一緒にやってみようよ」みたいな。違う人と違う人が同じ場所にいて一緒にやるということを広げようみたいな、そこがすごく大事で。

阿部 確かに。

水野 高橋優さんが僕を「水野くん」と呼んでドキドキしたみたいな、たまたま気づいてなかったんですけど。僕もさすがに「高橋さん」を「高橋くん」と呼ぶのは、たぶん勇気がいるんです。その話を嫁さんとしていて、「本当に距離を縮めないよね」と言われて…(笑)。それは僕の良くないところだと思うんですけど、一方で距離は取ったほうがいいと思うんですね。同化しようとしているわけじゃないから…。

龍輪(編集) 慣れ合いにはなりたくない。

水野 そうですね。高橋さんも違うものを持っている、小田さんも違うものをもちろん持っている。だから互いの立場を尊重し、互いに染まる必要もなくて、距離があるところは距離があってもよくて、だけどある一点においては妥協点というか、新しい道を探るみたいな。「いっしょにを、広げよう」ってすごくいいコピーだけど、それが小学校なんかでよくある「みんな一緒でいいよね」みたいな感じには絶対になっちゃいけない。

龍輪(編集) 「みんな一等賞」みたいな。

水野 そう。そうではないというコンセプトを伝えながら、進めないといけないなと。

阿部 HIROBAらしく行きたいですね。

水野 政治と文化ってよく言われる話ですよね。政治というのは本当にのっぴきならない現実なので、目の前で答えを決めないといけないという現実があるから、それはしょうがない。一方で文化は現実ばかり言っていてもしょうがなくて、理想論をずっと伝え続けないといけないという。文化が政治に対してアクションを起こせるのは、こういうことだと思うんですよね。政治においてはAかBのどちらかを選択するときに、間を見つけようとすることが難しいこともある。でも、文化においてはAとBからCの道を探りましょうということは言える。HIROBAができるアクションは、結局そういうことに結び付いていくと思うんです。

阿部 Cの道が見つかると、また違う目的地に行けますよね。

水野 「いきものがかりの歌は毒に薬にもならない」とよく揶揄されてきて。僕は何度も言いますけど実は非常に政治的なことをやっていると思っています。歌という個人の信条と離れた虚像を用意して、そこにいろんな人が思いを重ねていく。その虚像が個人の主義主張というものに深く結びついていて、「愛とはこうあるべきではないか」「人はこうあるべきではないか」という僕の政治信条、僕の主義主張に、皆さんが知らず知らずのうちに影響を受けていく。世の中に影響を与えることはすごく政治的な活動なんですよね。

HIROBAはまさにそうで、違う考えを持った人、違う個性を持った人とどう共存していくか。どう新しい答えを見つけて、何か新しいやり方で、お互いできることなら楽しく平和にやれないかということを探っていると思うんです。だから「with」の時代が来るという言葉も、まさに僕が思っていることをそのまま表してくれた言葉だし、「心地よいこじつけ」って本当に素晴らしい言葉ですね。まさに、それこそが文化がやることです。「心地よいこじつけ」は本当に必要だと思います。

阿部 向かい合った時に、違いを認めるというのは大事ですよね。

龍輪(編集) それはもう、小田さんと制作していたときから言ってましたもんね。小田さんに対しても、「いや、違う」と思うときもあると。

水野 そうなんですよね。

阿部 このHIROBAのコンセプトをどうやって伝えていくかなぁ。

水野 難しいですよね。

龍輪(編集) HIROBAのコンテンツを頻繁に見ていただいている人でも理解するのはなかなか難しいかもしれませんね。

水野 僕自身、阿部さんとの会話を通して、やっとたどり着けているような感覚があるので…それをHIROBAを見てくれている人に全部理解してもらうことは不可能だと思うんです。

阿部 そうですよね。

(つづきます)

Text/Go Tatsuwa

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