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読む『対談Q』 水野良樹×上田慎一郎 第2回:いつも破壊を求めている。

HIROBAの公式YouTubeチャンネルで公開されている『対談Q』。こちらを未公開トークも含めて、テキスト化した”読む”対談Qです。

今回のゲストは映画監督の上田慎一郎さん。


前回はこちら


音楽でいうと、メロディーが先。


上田:水野さんはどっちが先なんですか? メロディーと詞っていうのは。

水野:僕はメロディーのことのほうが多いですね。

上田:メロディーをもって伝えようとするときってありますか? たとえば、極論ですけど、1曲のなかでバラードから急激に明るくなったりして、「人生には悲しいこともあれば楽しいこともある」みたいなのをメロディーそのもので伝えようとする試みというか。

水野:そこまで説明口調にはならないと思いますけど、ありますね。映像でもここからアップに持っていったら、ここにフォーカスが行くだろうという流れのわかりやすいものがあると思うんですけど。メロディーが浮かんだときに、共感覚的に「こういう感情が浮かぶだろうな」みたいなのはあるんですよ

上田:はいはいはい。

水野:上田さんが脚本を何回も書き換えているうちに、自分が言いたかったことを見つけていくのと近いと思うんですけど。メロディーに対して歌詞を書くので、仏像を彫るというか。

上田:なるほどね。

水野:「そっちか!」ってことはありますね。そこはちょっとリンクしているのかなって。

上田:僕も音楽でいうと、メロディーが先。テーマやメッセージから映画を作る方もいるんですよ。どちらがいいとかではなく。僕はおもしろい物語が先。それは多分、音楽でいうとメロディーなのかな。だから、水野さんが書いているうちに歌詞を発見していくところと一緒なのかなって思いました。


映っちゃったもの。


水野:脚本を書くと、ご自身のなかではもうプランが出来上がっているじゃないですか。で、いざ役者さんに演じてもらったり、ロケに行ったりしたら、自分のイメージと違うものも飛び込んできますよね。それは許容できるんですか?

上田:できます。むしろそれを楽しみますね。構築と破壊と再生って呼んでいるんですけど。

水野:はいはい。

上田:撮影前、シナリオ書いたりリハーサルしたりするときに、僕はわりと固めるタイプなんですよ。

水野:そうなんですね。

上田練り込んで固める。そして、現場ではそれが壊れてほしいと思って撮っています。

水野:おー、ドM(笑)。

上田:そのとおりにやると段取りっぽくなっちゃうんです。嘘が大きくなりすぎるというか。おもしろくなくなっちゃう。だからちょっとしたトラブルが起きてほしいと思いながら撮っている。人生ってトラブルだらけじゃないですか。

水野:はい。

上田:で、破壊されたものを編集でもう一度再生する。壊れすぎたところをちょっとだけ整える。このステップを踏むのが、自分のスタイルではあります。

水野:なんで破壊が挟まるといいんですかね。

上田:やっぱりフィクションじゃないですか。嘘じゃないですか。嘘のなかに本当が混ざらないと、スペシャルなものにならない感覚が自分にあるので。

水野:へぇー。

上田:だから毎回あります、そういう「映っちゃったもの」が

水野:映っちゃったもの。おもしろい。

上田:わかりやすいところでいうと、カメ止めのワンカットのなか、最初のほうでレンズに血がかかっちゃうのはトラブルなんですよ。


水野
:あ、そうなんですか!

上田:急にかかっちゃって。でも止めることができないから、そのまま続けたんですね。

水野:あれ、ちょっと拭いてるし。

上田:はい、止められないからカメラマンが思い切って拭いたんです。

水野:それもそのまま残して。

上田:僕はあのときにカメラの後ろを一緒に走っているんですけど、「うわー」と思いながら、「よし!」と同時に思っているというか。

水野:へぇー!

上田:二度と撮れないものが混ざったぞって。ドキュメントが入んないとダメだって思っている。だから順調にいきすぎると、不安になってきます、逆に。現場で。

水野:そうですよね。「完全」になっちゃいけないわけですもんね。

上田:しばらく破壊がないぞ、って。そういう感覚は音楽でもあるんですか?

水野:音楽は演奏してもらわないとできないものじゃないですか。演奏の段階でもう、ひとに預けちゃっているというか。だから破壊というより、どう料理されても大丈夫なようにしておきたい気持ちが強いですね。骨格しか与えていない気がする。骨格が強ければどんな肉がついても大丈夫だ、って感覚ですね。

上田:そうか。そこでもう、うまい白飯を出しているような状態ですもんね。


骨組みが見えすぎるとひとは冷めていく。


水野:でも映画は音楽よりもさらに総合的な集団創作のイメージがある。監督とか軸になるひとたちがいて。そのひとの作品なんだけど、起きていることはこのひとだけのことじゃないというか。それがいいことなのか、どうなのか。たとえば、小説って本当にひとりの世界じゃないですか。

上田:そうですね。

水野:どこに机を出すか自分で決められるというか。そことは楽しみは違うんですか?

上田:僕、高校の頃、音楽もバンドもやっていたことがあるんです。マンガも書いていましたし。

水野:なんでもやる(笑)。

上田:いろんなことやっているんですけど、いつも破壊を求めているかもしれないです。小説を書いているときも、日常生活のなかでアンテナ立てながら生きていて。何かの風景を見たとき、「あぁ、これで破壊できる」みたいなことは探しているかもしれません。

水野:その破壊欲求は何なんですかね。いったん壊れてほしいというか、予想外のものが来てほしい?

上田:いったん壊れてほしいと思っています。でもそれは僕だけじゃない気がしますね。結構、話がQから脱線している(笑)。このQに関しては、はっきりとした答えを持って作っている方もやっぱりいますよね。映画監督でも、ミュージシャンでも。

水野:多いですね。でも僕、得意じゃないんですよ。ディスっているわけじゃなく、どっちの立場を取るかって話なんですけど、余地がないなって。これは脱線したようで破壊の話と近いと思っていて。観客に預けるって予想外のものが飛び込んでくるじゃないですか。曲も、思ってもいないところで感動しているひとがいっぱいいる。

上田:あー、わかります。

水野:で、思ってもいない、そのひとの個人的なことに繋がっていたりもして。それはむしろめちゃくちゃ嬉しかったりするんですよね。

上田:さっき、メロディーそのものでテーマを伝えることはあるか訊いたじゃないですか。僕の場合、カメ止めに思いもよらない感想がわりと来て。で、「構造自体がゾンビ映画ですよね」と言われたんです。つまり、一度死んで蘇って、最後にもう一度死んだと思ったら、またエンドロールで蘇って、構造自体がゾンビ映画になっていると。「上田さんは、構造自体で伝えているんですよね」みたいな。そんなこと考えてなかったっていう(笑)。

水野:メタのメタ(笑)。

上田でもそれを計算してやると、そのドヤ顔が映画に映っちゃうんですよ

水野:なるほどねー。

上田:だから伝えたいこととかメッセージを、こっちが持ちすぎてはっきり言いすぎると、押しつけがましさを感じるような気がしますね。

水野:昔、阿久悠さんの生誕80周年、没後10年のときに阿久さんを追いかける番組をやらせていただいたんですよ。で、いろんなひとに会って。阿久さんって、作詞家としては超一流で、もうなんでも書ける人気作詞家であったんだけれど、だんだん時代とちょっと合わなくなってくるというか。いろんな時期があるなかで、「骨組みが見えすぎているんじゃないか」っておっしゃった方がいたんですよ。

上田:ほうほうほう。

水野:たとえば「津軽海峡・冬景色」って、カモメが飛んできて、後ろ姿が見えて、すごく映像的な歌詞じゃないですか。でも、当時の段階ではよかったんだけど、その狙いが見えすぎるとひとは冷めていくって。

上田:あー、おもしろい。

水野:書くのがうますぎるから、歌詞の狙いとか、こういうふうに思わせたいっていう意図が見えすぎちゃう。それがよくないんじゃないかって指摘した方がいて。今の上田さんの話とまったく同じ。

上田:たしかに。

水野:あまりに構造の狙いが透けて見えると、ドキュメントの部分がなくなっていくのかもしれないですね。


次回は2月16日に更新予定です。


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