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『打って、合わせて、どこまでも』〜阿部さんと水野くんの永遠会議〜 第3回

2019.11.23

第3回 いっしょにを、広げよう

場所:それはきっと六本木の喫茶店

阿部 「広場」において、この“広い”という部分にキーがあると思うんですね。ただの「場」ではなくて、一緒に感動するとか、一緒に喜ぶとか。広く共有していく感じですね。

水野 人ではなく「場」を軸にすると、政治の話をするときも、もう少し課題解決的に取り組めると思うんですよね。人を軸にするとぶつかりやすくなる。例えば、阿部さんと二人で政治の話をしますよね。「僕はこの政策はこうしたほうがいいと思うんですよ」「いやいや、水野さん、そうじゃない」ってなると、戦いになって。

阿部 確かに。「人」軸で語ってしまうとそうなりますね。

水野 つきつめると、僕の正義が勝つのか、阿部さんの正義が勝つのかという話になってしまいがちです。でも本当の意味での政治って、異なる両者が納得できる“ここ”を見つけることが政治じゃないですか。

阿部 そうそう…。

水野 基本原則だと思うんですけど、違う考えを持った二人で第三の道を見つけるという姿勢はとても大事というか、今それが必要とされている気がしていて。

阿部 本当ですね。

水野 HIROBAをかたちづくるなかでは、そんな問題意識が混ざっているのかもしれないですね。星を並んで眺めることで理解しあうという比喩も、要はひとつの問題を横に並んで眺めると、お互いを責めることが目的にならず、課題解決が目的になりますからね。

阿部 めっちゃ面白いです。

水野 Aという政策を主張するやつは人間じゃねえ!みたいな言い方だって、よくみかけるじゃないですか。その人の人間性まで否定してしまうというか。でも本当は「この課題を解決するためには、どっちの方策がいいのか、あるいは折衷した新しい方策がいいのか」という話をしているだけじゃないですか。感情をはぶいて物理的には。

もちろん政治だから、それによって自分の生死が左右されるという当事者意識とバランスをとるのは大変に難しいことなんだけれど。経済政策なんて、ひとつ変わっただけで本当に人が死にますから。自分の生命や立場の保存を主張しながらも、ただ、もうちょっと議論の勝敗だけに重きをなすのではなくて、客観的に課題を解決していくという姿勢も、とても大切だと思うんですよね。

阿部 ほんと、面白いですね。A or Bじゃなくて、二人でCを見つけようという、まさにそこですよね。第三の何かをという。このことをHIROBAでぶつかり合わないでやることができたら、幸せなことですよね。さあ、一緒に、どうしようか?ということを考えられることが。

ちょっと話が戻っちゃうんですけど、音楽ってメッセージを届けるうえで活用されていて、そこから発展してきた歴史があるように、広告も同じところがあるんですよね。

広告も戦争と絡み合ってきた歴史がある。広告する相手を「ターゲット」と呼んだり、「キャンペーン」だって軍事行動の意味だってある。仕事において、それらの言葉と触れることはあるけれど由来や語源を知ったときに怖いなとも思うんですよ。みんなが使っているから良いという、世の中の空気感に流されるだけじゃなくて、その空気をちゃんと俯瞰して見ておかないといけない。

議論をぶつけ合ったり、広く主張するだけではなくて、「さあ、どうしようか?」という問いをを生産していかないと、クリエイトしていかないと、進化がない。この考えを持つことをめちゃくちゃ大事にしたいんです。

実際のところ、結構A vs Bだけを見て、楽しんで終わっちゃうというか。
みんな、「C」を考えようよ、のところまでいけていない。

水野 そうなんですよね。想像するってことなのかな…。AとBとの戦いとかって、変な話ですけど、想像する必要が発生しないというか。勝敗を分ける要素はあるけれど。それはゲームであって、結果が出ちゃうから。

阿部 そこで止まっちゃう。

水野 君は何を考えているのって。そうか、じゃあ、それだったら、こう言うかっていうのは、想像ですよね。 想像できるというのが、人間を人間らしくするところで。例えば僕が今「すごくおいしいラーメン屋さんを知ってるんですよ」って言うじゃないですか、ここで。そう言ったら、みなさんのなかで、まずラーメンの画像が浮かぶでしょう?

阿部 そうですね。

水野 でも、厳密に言うとみなさんそれぞれ違う画像を想像しているんですよね。僕が想像するラーメンの画像と、阿部さんが想像するラーメンの画像は厳密に言うと同一のものじゃないですよね。

でも、僕らはラーメンというイメージを、ある程度の枠のなかで共有しながら、想像できているんですね。ざっくりと、これくらいのどんぶりに入った麺類のなにかを、みんな想像していて。そこに米は入っていないし、おそらく豚カツとかは乗っていない。みんな違うものを想像しているけれど、ある一定の近いイメージを共有している。だから会話ができる。

それが人間らしい共有の仕方だったり、理解の仕方だと思うんです。それができるから、こんなに深いコミュニケーションができたりするんですよね。

阿部 共有しながら、話し合って深くなっていきますね。

水野 自分の利益だけを考えるというルールのなかで人間が稼働させられたら、人を殺すことって、物理的にはすぐに実行できてしまうと思うんです。だけど刺されたら超痛いよねって思うから、踏み留まったりする。それから、反撃されたらどうしようって想像できるからとどまる。そういうシンプルな想像から始まって、他者への思いやりとか、もう少し、複雑な感情にたどり着く。

阿部 ほんとですね。どう思うだろう、を繰り返しながら。

水野 でも、これ全部、互いが自立して想像できていないと成立しないことだから、難しいな…。想像しない人間が登場してきたとき、もしくは、何らかの理由で想像を奪われた人間が登場してきたとき、対処できないですね。

阿部 ぷつりと、思いの連鎖が途絶えちゃう。まさしくですね。

水野 頭がこんがらります(笑)。

阿部 今のHIROBAは、具体的に渋谷区に場所があるということではなく、オンラインのウェブ上にそういうイメージとして、HIROBAという場があるということですよね。まさしくここには何もないけれど、どこまでも広げられるイマジネーションというか、自分と他者との間に生まれる想像の場がある。

水野 阿部さんに何かやりましょうって言ったときに「最終的にはモノになるものがいいと思います」って伝えたのは、一緒に考えて、何か新しい創造物をつくっていくということの楽しさを広げたいという。そういう気持ちがあったのかもしれないです。

普通の対談だと、僕が司会で、ゲストの方に質問していくスタイルになりがちですよね。それも楽しいんですけれど。ゲストのなかにある答えを聞き出すだけで終わってしまいがちで。そうではなくてゲストと水野とで一緒に考えましょうというスタイルが大事だなと。
つまりはAとBとで考えながら、新しいCを生み出すということですね。

「幸せって何ですかね?」って問いをたてて。
答えにならなくても、それについて考えていく。そうすると僕が経験してないことを相手の人は経験しているわけですよね。当然、別々の人生を生きているわけだから。

僕が知らない寂しさであったり、こういうことがあったんですというエピソードだったりがこぼれていく。それを受けて、じゃあ、幸せってこういうことかもしれないですねって、ひとりで考えるときとは違う答えが生まれてくる。それはただ、その人の話を聞くというのとは違うと思うんですね。一緒に並んで星を眺めるのと同じで、一緒に並んである問いをみつめるというか。

阿部 面白いですね。予想もしなかったことが起こるという。一緒に何かする、一緒に考える、一緒につながる、一緒につくるという、言葉としてはシンプルですが、一緒に広げるというような。

水野 ああ、「一緒に広げる」はいいですね。何か、道が通りますよ。

阿部 はい、一緒に広げる。HIROBAのイメージ的には、ひらがなで「いっしょにを、広げよう」のほうが合うかもしれませんね。水野さんがしたいことって、そういうことなんですね。水野さんが糸井さんと話しているときに、出てきた言葉のなかでも「一人で完結するのが嫌だ」っておっしゃってて。ほんとそうですよね。きっと水野さんが一人でやっちゃうのはもったいないというか、一人で完結させるなんて、もったいなくないですか?という感じですね。

水野 ああ、そうかもしれないですね。もったいない。

阿部 いま、そうだよな、そうだよなって、すごくすっきりしてきました。毎回、水野さんが対談後に、一人で放送後記的にAFTER TALKを書かれているじゃないですか。あれもHIROBAでの出来事を味わってるんですね、一緒に。噛みしめてるとも言えるかもしれない。

水野 それもあるし、ひとりの人間としてのアウトプットも提示しないといけないんですよね。“一緒”というものがあるためには“ひとり”というものがないといけないという。
あなたと違う自分がいるんだということを、ちゃんと主張していかないといけない。 

阿部 うん、そうですよね。

水野 「全部あなたに合わせる」のではないということも、すごく大事なことなんですよね。おのおのが独立しているということが。

阿部 ほんと、そうです。二人それぞれ独立してちゃんと立ってないと“一緒”にがないし、そうじゃないと、どちらかが…。

水野 従属するみたいな感じになっちゃう?

阿部 ええ。主従関係と同じになってしまう。互いに独立しているから、はじめて“共作”ができるのであって。

水野 そうですね。いや、すごい何か道ができたな。

阿部 いわゆる師弟関係でもない。お互いを対等にリスペクトし合える関係性であれることの喜びとか。そうだな…。ほんとにシンプルな言葉なんですけど、一緒に何かやってみようという人なんですね、水野さんは。

水野 向き合いたいんでしょう。本来の性格が、向き合うことができない人間だから。コンプレックスの裏返しというかね。人とつながることができないと思って生きてきた時間が長い。でも、なぜかグループでデビューちゃって(笑) 。

阿部 そうですよね(笑)。

水野 誰かと一緒にいることで人生が前に動いていった人間なんですよね。グループもそうだし、結婚もそうだし。家族ができると、大変なこともたくさんあるけれど、結局、それによって自分の意思を超えて前に進んでいくみたいな。家庭をつくると、ひとりの人生じゃなくなることで、前に進ませてもらえるんですよ。

阿部 うんうん…。

水野 阿部さんに話を引き出してもらったおかげで、広がりがありますね。

龍輪(編集) とりあえず、今の話を全部文字に。(笑)

水野 (笑)すごい文字量でしょ。

阿部 いやぁ、面白かった!

水野 結局、何か人間について考えてくることになってきますよね。

阿部 ほんとにそうですよ。この概念としてつくったHIROBAというものは、人間とは何かという。

水野 最近、仕事で AIを題材にした作品があって。
その手のことをずっと考えている人に、コンピュータープログラムがどういうふうに人間性を獲得していくかみたいな物語をちょっと説明してもらったことがあったんですけれど。

AIがどう“人間らしくなっていくのか”って話を突き詰めていくと、まさに人間って何でしょうみたいな、生命って、意識って何でしょうみたいな話につながっていくんですよね。

僕が思ったのは、想像できるというのが人間の強さだと。虚像を共有するということが人間らしいんじゃないかなと。戦争における正義、大義でもそうですし、もっと生活に身近な家族の思い出とかもそうなんですけれど、人間は虚像に、場合によっては命よりも重い価値を置いてしまって、それを集団で共有できる。これが人間らしいのかなと。

こじつけかもしれないけれど広告コピーもそうじゃないですか。
コピーにおける言葉って「ビール」って書いたら、ビールを指差しているだけじゃない。

ビールを飲む場所のイメージであったり、ビールを飲んだときの爽快感のイメージであったりが言葉に詰められているんですよね。虚像がそこに立ち上がる。
それをうまく機能させたりできると、受け取り側のほうでイメージがボンと広がって、つくり手が狙っているような想像をさせることができる。

だから、それは逆にいうと、人間の想像力をコテにしている。

阿部 そうなんです、ほんとにそうです。コピーの話を伝えるときにも、言葉が人の意識の引き出しを開けるんですと言ってます。ラーメンでもビールでも、その言葉から連想されるイメージや経験、そこに紐づく感情をそのひとの心から引っ張りだす。うまく引き出せるものが、よりイメージの広がるコピーということだから。

水野 もう今日の会話で4日分ぐらいのエッセイがいけるんじゃないですか(笑)。

龍輪(編集) (笑)ほんとにそうです。

(つづきます)

Text/Yoshiki Mizuno

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