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「100%満足したことはない」は、禁句である。

いや、全然言っていいんですけど。僕もかっこつけてよく言ってましたし。

でもこれからは言わないようにしようとB’zを見てあらためて思いました。

なにかをつくって100%満足した!という感覚を味わったことはないといえばないし、あるといえばある。

100%満足したことは「ない」の仕組みは"それをつくったときより振り返ってる今の方が成長してるから"であって、
"そのときのベストを尽くしたか?"という見方で考えると、「ある」。

進んで妥協したことはない、と言いたい。言えるかな。ないはず。妥協は死。神風動画。

もちろん頭の中で想像していたものの通りになにかができあがることは、ない。頭の中で想像していたものを100%と基準におくなら、予算やスケジュールやスケールやタイミングによって何かしら妥協は避けられないし、飛行機の着陸が"制御された墜落"と言われるように、無条件で頭の中にあった作品が、いざ現実に完成するということも"制御された崩壊"みたいなことがいえるっちゃいえる。

でも最初頭の中にあったものを超えてくることもある。映像で言えば役者さんの芝居だったり、技術部の人々にいただく提案だったり。ディレクターとしてなんとなく100を頭に描いて100を求めてお願いして(ディレクターはお願いして、お願いに責任を持つ仕事だ)、80に届かずちくしょーというときもあるにはあるけど(そりゃ自分もそう思われることもあるだろうすいません)、100って言ったのにff0000みたいに想像もしてなかったところから「100なんかよりこっちの方がええやん!」と思えるものに出会うことが、よくある。

そういう、想像以上をいかに出せるかがポイントやで、と先輩に教えてもらったことがあります。中2で自分で映画をつくり初めて、その頃はまわりで自分がいちばん映画みてたし、自分より映画においてすげー人はいなかったはずだから、全部自分でやるー!というモードで20代中盤くらいまで生きていたけど、「自分の限界が作品の限界になっちゃいけない」という誰から聞いたか忘れたアドバイスがずっと心に残ってて、自分でやんのやーめた、じゃないけど、自分だけでできるもんなんでほぼねーな、と納得していかにお願いできるかにシフトして生きて数年。

人にめっちゃお願いしてがんばってもらっといて、そもそも人に頼まれて全力を尽くして完成させといて、「100%満足したことはないです」って言うのはねーな、と。「100%満足したことはないです」って言わなきゃいけない感じというかそう言ってた方がかっこいいと思って、飲み会とかで言っちゃってました。いま思えばかっこわるい。ディレクターは画家や写真家とは違うのだ。「100%満足したことはない」というかっこいいコメントは、自分の限界=作品の限界で、その限界を拡張していく求道者的なシングルクリエイターにのみ許される言葉ということに、気づいていなかった。

純粋にたったひとりでつくれるものって何があるだろう。世に出ないものなら可能かも。そういう個人的なものに対して「100%満足したことはない」というのは自由だ。自主活動ならいいってことか。

限りなくたったひとりでつくったものだったとしても、世に出して客を得たりお金をもらえたりしてたら、「100%満足したことはない」って言っちゃうのはどうなの?という話。いや、全然言ってもらってかまわないし僕がなにか物申す権利もないんですが。

当時ベストを尽くしされたものに対して、「最高すぎた!」と客が思ってるのに、提供してるサイドが「100%満足したことはない」って公言されちゃうと、「え、こっちは1000くらいに思ってたのに冷める」て思う。冷めるまでいかなくとも、こういう発言に僕はずっとひっかかっていた。

よくハリウッド俳優や監督が言う「白状しよう。あれは成功だったとは言い難いね。脚本家組合のストがあってね…ハハ」的なやつ。これに近い、ひっかかりがある。えーなんだよ「最高やろ!どや!くらえ!」って思ってると思ってたのになんだかなぁー、である。

極端に言えば小学生が50mを全力で走ったあとゼェゼェ言いながら「今日は調子悪いなぁ本気出せなかったなぁ」と言ってるのと近いし、

なんか企画とかアイデアを提案するときに「まだぜんぜんまとまってないんですけど…」「全然だめだと思うんですけど…」って免罪符打っとくのと一緒か?

とも思ったがちょっと言いすぎたと思う。あくなき向上心からくるコメントでしょう。そう信じたい。自分が使ってたときが、ちょっと自分を大きく見せるためだったから疑いました。すんません。

毎度毎度全力超えしてる人だから出るんだろう。自分の限界を拡張しつづけて、ついこないだの100が80とか60に見えるような成長をしつづけてる人だから出てくるセリフなのかもしれない。

冒頭にも書きましたが、「100%満足したことがない」って言っちゃうのが"それをつくったときより振り返ってる今の方が成長してるから"っていう説だとしたら、じゃあなんと言えばいいのか。

「次はもっとうまくやれる」だと思います。

僕の大好きなB’zはですね、LIVE-GYMの終わりに毎回こういうこと言ってくれるんですよ。インタビューとかで「100%満足したことはない」って言うかわりに、歌詞とかツアーをやりきったときのMCで「まだやりたいんですよ」とか言うんですよ。
TAK MATSUMOTOは最新のファンクラブ会報でファンからの「パッと浮かんだB’zのベスト3は?」っていう質問にまさしく最新アルバムの3曲をこたえてるんですよ。

走り続けてるんですわ。

2008年、20周年ツアーの最後、稲葉さんは言いました。

「いっぱい練習して、いっぱい勉強して戻ってきます」

びっくりしましたよ。社会人1年目、翌日からひとり暮らしを始める僕は。
到達点のようなド級のパフォーマンスの最後の言葉が「いっぱい勉強して戻ってきます」とは。

思えばファンであるアーティストが活動を継続しつづけてくれるのはほんとに幸せですね。

あれから10年、B’zは今年30周年です。

僕も監督業を仕事として取り組んで10 周年。

デビュー30周年ライブを見届けたあとは、僕もいよいよ監督作『東京彗星』の一般公開が控えています。

「100%満足したことはない」とはもう言いません。

『東京彗星』はベストオブベストを尽くしたし、
10年間で出会ったたくさんの人の力をかりて、
当然ながら100%以上満足いく出来になってます。

ただし…

次はもっと、うまくやれる。絶対に。


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また映画つくりたいですなぁ。夢の途中です。