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P10_脳と手で、理想を彫り出す -企画・脚本・絵コンテ- 丨 『東京彗星』オンラインパンフレット_映画制作とは①

僕が企画・脚本・監督した短編映画『東京彗星』のオンラインパンフレットも、公開まで20日を切ったところでやっと10ページ目です。

公開を控え最近はせっせと紙の方のパンフレットをつくっています。

そのなかでPRODUCTION NOTEというメイキングみたいなページがあって端的に制作過程をまとめたのですが、そういえばちゃんと映画のつくりかたをじっくり書いたものって、あんまないなぁと思ったので、あらためてまとめてみようと思います。

僕は学生時代にまず映画の現場で業界を知り、
CM業界で仕事をしてきて、
CMと映画界のハイブリットチームで短編映画(長編じゃない)を撮った、
というわりと帰国子女みたいな感じなので、
CMと映画のつくりかたの違いみたいなことにも言及しながら語れるんじゃないかと。

伝統的ノウハウなんかはよくわかってないので、
超絶主観的な分析になりますが。

ちなみに紙パンフレットのいわゆるPRODUCTION NOTEページはこちら。

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なるべく流れがわかるようにデザインしてみたんですが、
本職がデザイナーじゃないので、いろいろご容赦願いたいところ。

紙パンフレットは9月23日(日)のシネマート新宿での上映で販売します。
ネットで買えるようにもしようと思ってます。

では、本題に。
これはあくまで僕の、
今回の『東京彗星』の場合ですので、
あしからず。

大きく分けて5段階に分けました。

【プリ・プロダクション】
①企画書
②プロット
③脚本
④リライト
⑤ショットリスト
⑥絵コンテ

【撮影準備】
⑧ロケハン
⑨オーディション

【撮影】
⑩メイン撮影
⑪実景撮影
⑫サブ撮影

【ポスト・プロダクション】
⑬仮編集
⑭カラーグレーディング
⑮音楽/楽曲制作
⑯CG、画面制作
⑰本編集
⑱MA
【完成後】
⑲試写会
⑳映画祭
㉑公開

という流れになってます。長い。

※CM系の監督やCGを多様する作品以外は、コンテを描かない監督も多いようなので、監督次第でいろいろやりかたはあります。今回は美術制作品がなかったので、美術関連のトピックは抜けてます。

あまりに長くなりそうなので、今回は撮影準備前までの脳内ワークやデスクワークである、【プリ・プロダクション】でとめときます。(ほんとは撮影準備も含めてプリ・プロダクションなんですが、今回は分けることにします)


【プリ・プロダクション】

撮影を基準点として、それ以前の準備を「プリ・プロダクション」と言います。なぜ撮影を基準点とするのかというと、一番人的モノ的時間的コストがかかり、やりなおしがきかないからでしょうね。監督がなんにも決めずに「あれもこれも撮っておこう」となるとどんどんお金がかかってしまうので、事前にみっちり想定し、準備し、無駄をはぶいて、撮影までの計画をたてます。それは企画そのものから脚本、コンテでのカット割り、美術、登場人物数などすべてにおいて言えます。

デジタルですべて完結する作業を生業としている人たちといちばん食い違うのが、このへんの考え方
です。

WEBサイトをじぶんでつくって初めてわかりましたが、デジタルクリエイションはundoが可能だし、前提です。リリースしてからどんどん改良していけます。このnoteを書く作業もそうです。公開してからちょくちょく修正できます。

「この部屋にタンスをいくつ用意するか」は映画の撮影なら決めとかなきゃいけないですが、デジタルクリエイションだとコピペでタンスを増やして間引く、という検証が可能です(雑なたとえですが)。

あとインタラクションがからむものは、「やってみなきゃわからない」側面が大きいというのもあると思います。物理的な限界がある撮影では、「やってみなきゃわからない」はあまり許されることではありません。だから実際の撮影の前に、徹底的に脳内検証やディスカッションして、現場にはなるべく最適解のみ用意するようにつとめます。(だから編集段階になってから映像の根本的なところを直したいというオーダーをいただくと、みんな、"ぐぬぬ…"となります)


①企画書


映画全体がどのような作品になるのか、誰をターゲットにしているのか(これは正直どうでもいいと思ってますが。老若男女にぶっささる作品なら結果的に狙ってたターゲットにも届くと思うので)、どんな話か、誰に出てもらいたいのか、ウリはなんなのか、いくら予算が必要なのか、などを簡単にまとめます。実際の映画業界がどうなのかは資料があまりないのでよくわかりませんが、自分はネットに出回っているエヴァの企画書を参考につくりました。世の監督たちが持つ、いまだ実現していない映画の企画書は、きっと無数にあるんだと思います。

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②プロット


作品の企画にGOが出たら、というかほんとは企画書をつくる段階でできていないといけないのですが、物語のおおまかな流れをまず「プロット」というかたちでつくります。

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僕の場合はこのように箇条書きで流れをつくってから、それを文章化して、それをPCで文字打ちします。みんなこうやってると思ってますが、どうなんでしょう。

プロットは"出来事シート"といった感じで、こまかいセリフのやりとりなんかはふつう書きません。行動のきっかけとなる大事なセリフなんかは書くかもしれませんが、個々の表現よりも全体の流れです。いつどこで誰が何をしてどうなるのか、これの連続で、おもしろい話、無駄のない話になるまでプロット段階で練り込みます。

絵でいうと下書き、音楽で言うと鼻歌を録音する感じでしょうか。ゆくゆくは結果的に完成品から抽出した「あらすじ」とほぼ同じような文章になります。(ジェームズ・キャメロンはこの段階(脚本を書く前)で、「スクリプトメント」という数百ページにわたる詳細なプロットをツメるそうです。すげー)

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③脚本

プロットで話の流れが決まると、細かく具体的にどのようなシーンにするか、どのようなセリフにするか、を脚本にしていきます。

脚本は柱、ト書き、セリフで構成されます。柱はシーンの情報(場所、天気、時間など)、ト書きは発話のない動作や舞台設定、セリフは…セリフです。

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映画は映像表現なので、脚本は、"カメラが映すことで表現するもののリスト"のような意味合いです。

お芝居のニュアンスや詩的なエッセンス、言葉でないと表現できないようなことは書くべきではないと言われています。

目の覚めるような満月が、僕を見つめているようだった。手が届くような気がして、「そっちに行く」とつぶやいた。おかしいな、飛べると思ったのに。地面に打ちつけられたところで、目が覚めた。

これではなんとも映像で明確に表現できません。太字の部分が無理です。カメラで撮れないからです。ここが小説との違いです。人物が思っていることも、過去形も無理です。映像は現在進行系で、客観です。

このシーンをそのまま脚本で表記するとたぶん

○屋上・夜
   満月。手すりの外に立ってそれを見上げる太郎(人物名)。
太郎「そっちに行く」
   太郎、飛び降りる。どんどん落ちていき、焦る太郎。地面に激突。

○太郎の部屋・内・朝
  太郎、飛び起きる。

といった感じでしょうか。

逆に、脚本に書けない"目が覚めるような"や、"おかしいな、飛べると思ったのに"みたいな部分は、むしろ撮影やCG、お芝居で感じさせる、腕の見せどころです。

あっさり落ちるのをスマホで撮ったように撮って音楽もナシでいくのか、じっくりスローモーションで何カットにもわけて撮って音楽も大げさにつけるのか。同じ脚本でも、監督によって無限に表現の可能性はあります。

ちなみに人々が言う「脚本がいいわるい」って言われるのは結局その骨格と流れ、プロットのことを言ってることが多いように思えます。プロットがよくないと結局おもしろい脚本にはあまりならないので。

逆にプロットはおもしろいのに脚本はクソ、というのはあるのでしょうか。あるようです。『スピード』の脚本のクレジットはグラハム・ヨスト。「80km以下になると爆発する爆弾が仕掛けられたバスでいろいろ大変」という話の流れは彼のものですが、劇中の気の利いたセリフのほとんどはリライトしたジョス・ウェドン(アベンジャーズの監督)だという話があります。

④リライト


ここが従来の映画のつくり方系の記事ではすっ飛ばされているのですが、めちゃくちゃ大事なところです。「脚本」のくくりで処理されて紹介されるのが常だと思うのですが、もはや別工程だと思います。脚本をよりよく更新していく作業です。

第1稿は初期衝動で書ききれることもあります(2時間映画はどうか知りませんが…今回は30分の短編だったので)。初期衝動がうまく作用して、エネルギーが宿った第1稿が出来上がったとしても、完璧なことはほとんどありません。『スリー・ビルボード』はそんな感じだったらしいですが。天才か。

雰囲気に酔った無駄なセリフ、展開を伝えるための無駄な手、場面、シーンの順番や長さなど、いろいろ自分でツッコミます。これが難しい。自分で一生懸命書いた話ですからね、しかも書き終わってへとへとです。完璧だと思いたい。けど、あるんです。よりよくできるところが。

鳥の目で企画書やプロットを書き、虫の目で脚本を書いたあと、もういちど鳥の目でみなおせるかが勝負です。つらいです。書き上がった直後は無理です。1週間くらい忘れて暮らして、頭が忘れてた頃に自分が書いた第1稿を読み直してやるのがよいです。自分の場合は。

こっちをなおすと、あっちが崩れる。その繰り返しです。第1稿は一気に書くので自動的につじつまを合わせながら駆け抜けるのですが、リライトは部分をいじったりするので、逆にバランスが崩れたりします。ここで泥沼にハマると、ポンコツが出来上がります。粘りどころです。

僕の師匠の教えは"前回のを参照せず、白紙に手書きで全部書き直す"です。

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打ち文字でディスプレイ上でundoし放題の状態でチマチマなおしてても、全体のバランスはとれません。もう一度衝動とエネルギーを奮い立たせて、もう一度いちから書くのです。

そうすると、機能していなかったり、無駄だったシーンは覚えてませんから、ほんとうに大事なところを大事に書き、さらっとしたことはさらっと書く、みたいに、自分にかかったバイアスでバランスがとれていくのです。

脳とつながっているのはキーボードではなく、手です。
そのセリフを演じる役者は、生身です。

ここでデジタルに頼らずいちど肉体を通すことが、結果的には作品の身体性というか、真に迫ったものになるコツのような気がします。

何度も何度もやりなおして、脚本が完成します。というか、締切が来ます。そこまでで上げられるまで上げたクオリティで、undoできない撮影に向けての勝負を始めます。

⑤ショットリスト


この工程をはさむのは僕のやりかたです。通常は脚本に線をひいて"この行からこの行までは一気に撮り、そこでカットを割る"というのを記した"ワリ本"をつくるのがふつうっぽいです。

監督のワリ本を助監督がうつして、勉強する。これは学生時代助監督インターンのときにやりました。まぁなんにもわかんない状態でただうつしても、よくわかんないです。いまやればすごい勉強になりそう。

『海猿』シリーズのDVDやBlue-rayの豪華版には、羽住監督の現場使用脚本レプリカというのがついていますが、あれがまさに"ワリ本"です。

この"ワリ本"と近いことなんですが、僕の場合は脚本をもとに、エクセルで別シートをつくりました。

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魂こめた脚本を、冷静に分析し、切り刻んで、論理的に最適な伝達が達成できるよう、「人物」「行動」「セリフ」を、「そのシーンで観客が得るべき情報」「そのためにどういう表現であるべきか」にもとづいて細かく設定します。

なんとなく撮るんではなく、明確に狙いを持って撮る、そのうえで、現場ミラクルみたいなのを取り込む。もちろん現場の状況で狙い通りに撮れないことも多いですが、そのシーンの目的や伝達すべき情報はなんなのかを言語化して脳からアウトプットしておくことで、他の人と共有するときの言葉選びに困らない、という、自分のための準備でした。

「監督、これなんでこうなの?」と聞かれた時にしどろもどろだったり、「いいからやれ!」っていうんじゃ、カッコ悪いですからね…。

あとは、僕はいきなり絵コンテを描くと「撮りたい映像」にすぐもっていかれてしまうので、「お前このシーンはこれ伝えなきゃ意味ないからな、忘れんなよ!」と自分に言い聞かせるため、という意味もありました。

⑥絵コンテ

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これも描く人描かない人分かれると思いますが、僕はCM業界にいるので、これ描かないときついです。

CMには絶対コンテがあります。こんな映像撮ります、という絵です。文字から映像を想像するのは用意ですが、そのイメージを他人と明確に共有するのは大変です。

CMはクライアントのお金でクライアントのためにつくるので、クライアントと明確にイメージを共有して約束しておく必要があります。こういう映像を撮ります、というのがクライアントからスタッフまで統一されたイメージの絵で共有されていれば、クライアントも判断しやすいし、スタッフも準備しやすいです。

CMは画面の構成要素が多いってのもあります。
商品に種類があるときはどの商品なのか、テロップはどんな書体でなんて出すのか、など…。絵で共有しておかないと事故ります。そして15秒など短い時間で表現するので、現場でふわっとつくった芝居が編集で入り切らなかったら大変です。

CMはキッチリ考え抜いて決めたかたちに、現場の芝居や要素をハメこんで、パズルを組むようにつくるイメージかもしれません。約束してないことやると怒られたり揉めたりしますし。だからコンテを描きます。

今回は撮影、照明などスタッフをCM畑の人たちにお願いすることが決まっていたので、慣れた方式であるコンテで共有した方が話が早い、というのもありました。脚本って、美しい表現とかで読者を魅了する必要がなく、わりとストイックな文章なので、慣れないと意外と読むの大変だと思います。それでも惹きつけるのが、いい脚本家なんでしょうけど。

CMと違って、映画は基本的にCG多用とか画面構成要素が多くなければ、その人物が誰と何をして何を言うどんなシーンなのかが焦点なので、脚本でことたりるというか、それがすべて、という説があり。その脚本をどう芝居で表現するか、まず人間の芝居でシーンをつくり、それをカメラがどう撮るか。コンテにとらわれないほうがいいっていう人が多いように思います。

コンテを描かないと全体のビジュアルストーリーテリングとしての鋭さが担保できないかもしれませんが、コンテで決め込んだ映像に役者をハメていくとせっかくのいい芝居が死ぬっていうこともあると思います。これは僕も現場でもかなり揺れました。結果で言うと、撮影が進むにつれてコンテを見なくなりました。でももうちょっとコンテ見とけばよかったと今では思います。詳しくは次回。

さあ、どんな映画をつくりたいのか、具体的な設計図はできました。
ただ、まだ絵に描いた餅です。

どのもち米をどこから仕入れて、どんな杵と臼を用意して、誰がどこでどんな力で何回つくのか…
本物の餅をつくるため、いよいよ【撮影準備】そして【撮影】に入ります。

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短編映画『東京彗星』はVimeoとU-NEXTにて全編配信中です。



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