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音楽との素敵でややこしい関係

10年ぶりに戻った場所はやっぱり素晴らしかった

2月18日は、札幌で「フィラルモニカ・マンドリーニ・アルバ」の演奏会だった。

リハーサルの様子(ダンナさん撮影)

せっかくだから、とリハ中も写真撮りまくり。

お客様も250名と、なかなかの盛況で、私自身も本番をとても楽しめたし、本番ならではのハプニングはあったものの、いい演奏ができたな、と極めていい気分で終わることができたのだった。
そして、素朴に「マンドリンっていい楽器だな」とか「やっぱりマンドリンが好きだ!」なんて思うことができて、本当に良かった、と思えた。

あ、またあの病気が再発してしまった。

どうも、この演奏会が終わった後、虚脱状態が続いてしまっている。
仕事は普通にしているし、相変わらず好きなものを食べて寝たいだけ寝て、特に健康上の問題もないのだけれど、ふと考え込んでしまうことが多くなってしまった。

今は、作詞作曲や編曲、音源制作なども、一部は仕事としてやるようになったので、感傷的になってる場合じゃないのだが、自分の師匠がミックスダウンを手がけた作品を聴いて、技術とセンスにすっかり圧倒されて、ちょっと「嫉妬」のような感情を持っていることに気がついて「そんなこと考えても仕方ないのに」と自分にダメ出しするなど、本当にどうかしてる。

マンドリンを弾いていても、理想の表現に程遠い自分の演奏にため息ばかりついて「私って、何事も中途半端だなあ」とついつい嘆いてしまう。

この感覚、前にも感じたことがあるぞ、と思い出した。
それこそ、先日演奏会が終わったあの団体で、私が過去にコンサートマスターをしていた時、こういう感覚によくなっていたのだ。
指揮者の橘さんの音楽に引き込まれていくうちに、音楽の持つエネルギーに「当てられてしまう」ような状態になることがある。
すごく変な表現だけど、恋愛中のような、あの感情だ。
でも、別に指揮者に惚れてもいないし(笑)、音楽を離れると、くだらない話をする友人のような感じなので、これがまた不思議。

誰かを好きになると

  • 好きで一緒にいたいのに離れたくなる

  • 好きなのについ意地悪しちゃう

  • 好きすぎて苦しくなっちゃう

みたいな状態になること、あるよね。
今、私は音楽に対してそういう状態になっちゃってるんだな、と気づいた。
そういえば、中学生の頃、なんとなく
「音楽を仕事にしちゃいけない気がする」
と思ったのは、なんとなくこれを感じてたからなのかもしれない。

もう音楽を始めて50年にもなるのに、自分が音楽との距離感をいまだにうまく作れていないということに気がついて、愕然としてしまう。

そろそろ音楽との新しい関係を作ってもいいんじゃないか?

気づいてみたら、私の音楽ライフはいつの間にかすごく多様になっていて、よく言えば、マルチプレイヤー、悪くいえば器用貧乏。
だけど、どれも「そこそこ」のレベルだとしても、いろんなことをやっている自分をもっとプラスに捉えてもいいんじゃないだろうか、と思う自分もいる気がする。

この前、歌の師匠に「私、どこに向かってるのかわかんなくなってきちゃいました」と話したら「それでいいんですよ。ひろえっちっていうジャンルだから」と言われて、ハッとした。
そうか、私は、既存のジャンルの中に入ろうとすると、どうにも不自然な感じがしてしまうんだな、と、なんだか納得したのだ。

恋愛関係から、キュンキュンはないけど落ち着いた人生のパートナーみたいに、関係が変化してくれば、もっと自由になれるのかな。
まだしばらく時間はかかりそうだけど、ひろえっちっていうジャンルがどんなふうに確立されていくのか、楽しみにしながら、今まで以上にいろんなことやってみてもいいかな、そんなことをぼんやりと考えている。

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