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ひろえっちの本質ノート#1 編み物の本質

なんでも本質が知りたくなる「そもそも族」の私

1月から始まったEMSでの学び。
「本質行動学」というものなのだけど、読んで字のごとく、物事の本質を知り、それを掘り下げ、行動として実装していくプロセス。
これが実に私の性に合っていて、いろんなことがスッキリし続けているわけなのだけど、ここからまた「掘り下げ癖」が全開になってしまった(笑)。
でも、これはEMSの共有サイトで書くと分量が多くなり過ぎてしまうし、かといってあまりにマニアックすぎてwwアメブロには合わなさそうだし・・・と考えた結果、一度アカウントを作ったっきり放置していたnoteに新しく書き連ねていくことにしようと思い立った。

編み物している時の脳はたぶん「瞑想」と同じなのだろう

年がら年中、何かを編んでいる私にとって、編み物の時間は創作活動であるとともに、結構「思索時間」でもある。
おそらくかなり「ぼんやり」しているので、いろんなことが頭の中をよぎっては消えていく、みたいな時間だ。
じゃあ、そもそも「編み物の本質」って何なんだろう?と思って、考えてみると、いろんな面白い発見があったのだ。

現在制作中のアラン模様のベスト

「方法の原理」の適用

本質行動学にはいくつかの「原理」があるのだけれど、その中でも「方法の原理」は、物事を考えるときに頭を整理するためにとても役立つ。
簡単に言えば「目的に応じて方法が立ち上がる」というもの。
いや、全然簡単じゃないな(笑)。
めちゃくちゃ単純化するならば、料理を作るなら包丁やまな板・鍋などを用意するもので、そこにノコギリやトンカチを持ってきてもなんの意味もなさない、という感じのことだ。
ということは、何かを理解しようと思ったら、その物事の「目的」をわかること、というのが最初にやる作業ということになる。

ところが、この「編み物の目的」というのも、実はかなり多様性があるのではないか、ということが第一の発見だった!

  1. 編むことそのもの(その時間)を楽しむ

  2. 自分で編んだものを着たい、あるいは誰かに編んであげたい

  3. 新しい技術を習得したり上達したい

目的はこんなところだろうか。
私にとっては2が一番大きいものなので、基本的に「自分が着たいもの」や、家人に頼まれたものや着せてあげたいものを選ぶ、というところから始まる。
だから技術的難易度とかはほとんど考慮されないので、やったことがない技法が出てきたら「これはどうやるんだろう?」と本やYouTubeで調べて、トライアンドエラーを繰り返しながら、最終的には習得し、作品はいずれ完成する。
でも、1の要素もないわけではなく、特に、完成が近づくと「終わりを見たい」衝動に駆られて、夜中だろうとなんだろうとやり続けてしまう。
3についても欲求はないわけではないが、それ自体が目的にはあまりならなくて「どうしてもこれを作りたい」と思ったとき、スイッチが押される、という感覚だ。

「習いに行く」意味が理解できなかった

そんな自分にとっては、編み物教室に習いに行く、ということに対して、全く意義を見出せないのだ。
過去に何度か、私が大好きな編み物作家の先生のオンラインワークショップに出たことがあるが、それは、先生としゃべってみたい、という極めてミーハーな欲求と(笑)、そのときのテーマになっている技法を知りたかった、という明確な目的があったからだった。
教則本的なものがあって、順に技法を習得するスクールは、私にとっての編み物の「目的」と全く合致しないから、興味がわかなかったわけだ。
あ、そうか。これで私が、なぜ「習うこと」に興味がないかがはっきりしたではないか。

目的についてのメタ認知を試みた結果

この「自分で編んだものを自分や家族が着る」という目的で編み物をすることについて、もう少しメタ認知を試みたとき、発見できたのは「編み物は世界を救う」というアイデアだった。
そんな大袈裟な、と笑われるかもしれないけれど、今の世の中の流れを見ていると、私たちが当たり前のように1,000円台、2,000円台で入手できているニット製品が、この先もずっと安定的に手に入るかどうかと考えたら、極めて怪しいと言わざるを得ない。
もしかしたら今年〜来年くらいの時期に、輸入や海外拠点で製造されている衣服は、高騰するか、品物がなくなる、という事態が来るかもしれない。
モノがなかったらどうする?それはもう自分で作るしかない。
材料である毛糸についても、もしかしたら同じ状況になるかもしれない、という予測も成り立つ。
それなら、この北海道の十勝には有り余る土地があるので、羊を飼育して毛刈りをして糸を紡ぐという工程を自前でやれば、材料を得ることもできる。
将来的には麻の栽培もできるようになるだろうから、麻糸とウールの混紡糸も作れる可能性もある。
これは相当サステナブルだ。
衣服が容易に入手できなくなっても、糸を紡いで編むことができれば安心!やっぱり世界を救うことになるのだー。

原点はおばあちゃん

私の亡き祖母は大正生まれの「職業婦人」だった。
ずいぶん厳しい人だったけど、とにかく「何でもできる人」だった。
その祖母が、私にスキー用の靴下を編んでくれたのが、私にとっての編み物の原点だ。
山育ちの父は、近所の山でスキーをして育ったので、きっと、父のために編んでいたんだろうと思うその靴下は、私からみるとまるで魔法のようにものすごいスピードで、しかも編み図も何も見ずにどんどん編み上がっていくのだ。
横でそれを眺めていて、私はひたすら感動と尊敬でいっぱいだった。
そして出来上がった靴下は本当に保温性に優れていて、摩耗にも強くて、スキーの時は必ず履いていて、たぶん3シーズンくらい、私が成長してサイズが合わなくなるまで、スキーのお供になってくれていた。
このスピードと実用性が強くインプットされたのが、今の私の編み物のスタイルにつながっているのだ。

今後の展開

これから私がやりたいことは「編み物の部活」だ。
教室だと、カリキュラムがあったり、技術を指導する、という形だけど、部活だから、基本的にみんな好きなことをする。
作りたいものがあったら、自分でやってみるんだけど、わからないところを知っている人が教えたり、コツをシェアしたりして、みんながスキルアップできたり、アイデアが広がったりする感じになれば、いずれやってくる物不足の時代(まるでおばあちゃんの若い頃に戻るようだけど)になっても、とりあえず、セーターや靴下で困ることはなくなるに違いない、と思っている。
ちなみに、我が家の靴下の自給率(っていうのかな?ww)はすでに100%。
夏物も冬物も、自分で編んだものでまかなえている。
さて、次は・・・羊だな(笑)

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