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思い出のゴゴ嬢(前編)

先日のパタヤ旅の最終日、6年くらいFF関係にある方とようやく会えましたね!な朝食会をした。

会話の中でそういえばさいあむさん、昔オキニ嬢をめぐってある人と揉めてたよね?と、もう誰も覚えてない事を言い出したので一瞬焦ったが(笑)同時に懐かしいなというので、このNoteも復活したのでXではしていない嬢の話でもしようかな。わざわざ長文を読みにくる人に少しは還元しないとなーという気持ちになり、今回の話となりました。


2018年のパタヤ 。この年は私にとってとても印象的な一年だった。会社の永年勤続による記念休暇を2週間もらい、パタヤにどっぷり浸かることができた。人生初のナンパ成功がまさかのこの年のパタヤだったこと。そしてこれから話すゴーゴー嬢との出会いだった。

ゴーゴー嬢はブリラム出身の当時20代前半。どこのゴーゴーかはトップ画像見てもらえたらわかると思います。女の子の順位をつけることはしないけど間違いなく今の自分のパタヤでの遊び方は彼女の影響が大きい。

XでのポストでPBした嬢が帰ってくれないよー!というイキりをたまに見るけど、そんなことあるかいなー!!
今までそんな嬢に一度も当たったことなかったが、彼女がまさにそれだった。それまでパタヤで経験できなかったことのほとんどを彼女と過ごすことで経験することができた。
出会った日は帰国を翌日に控えた日。よく聞く「パタヤ最終日にいい子に出会えた」だった。


私はパタヤにハマり始めたころから朝散歩を毎日していた。ロングでPBした嬢が朝6〜7時に帰るので、一緒に外に出たついでに散歩に出かけたしいつまでも寝続けるという嬢がいなかったので困ることもなかった。

ところが彼女と過ごすとウオーキングストリートのinsomniaだったり当時人気だったMiamiやルシファーなどのクラブが好きだったので、ホテルに戻るのがもう4時くらい。そこから寝るから朝6.7時に帰るということはほぼ不可能。

暑がりな彼女は冷房つけたまま寝るので、電源直結のカードキーを抜くことができず、彼女をPBする時は2枚くれるホテルか電源直結ではないホテルが必須だった。その条件を満たすのがLKメトロすぐそばのメトロポールだったので、この年はほぼメトロポールづくしだった。当時から仲良くしているフォロワーさんは私のホテルイコールメトロポールというイメージを持っている方はいたと思う。そういう理由だったのです。

(中編につづく)


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