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知識なしで語って何が悪い

本記事のまとめ

金くれ。


本題|壮大な言い訳

noteを始めた。
何か物を書く時にInstagramのストーリーは極めて使いにくかった。なぜもっと早くここに気が付かなかったのかは、今となってはもう分からない。

話は変わり、大学学部生が頭の良さそうなことを書くことについての是非を考えよう。尤も、それはかくいう僕が学部生で頭の良さそうなことを言いたいからに過ぎない。いや、言い訳にしたいからという方が的確だろう。

「学部生」という言葉は、「院生」や「研究者」などの知的活動に本気で打ち込む属性の対義語として用いている。無論、熱心に勉強する学部生がいることは理解しているが、学部生において最も致命的な点はやはり知識不足だと考える。

何かを語る上で知識は最上級の武器となる。説得的な論理の多くは、過去の知恵の蓄積とそれに対する無限の反論の上に成り立つものだからだ。
学部生である僕にはこれがない。あるにはあるが、院生や研究者と比べれば相対的に無いに等しい。

であるならば、僕は所詮22年の人生経験とそれに付随する価値判断(〜すべき)と稚拙な論理に立脚して何かを言うしかない。しかし、それでいい。

ここからが言い訳の本筋だが、僕は説得的な文章を書くためにnoteを始めた訳では無い。自分の心地いい世界を作るために文章を書きたい。所詮22年の人生経験とそれに付随する価値判断こそ僕の求めるものである。
自分なんてのは見つけようとしなくてもその辺に転がっている。ファッションに関わりたいと感じる自分は間違いなく本物の自分だ。
同時にあまりに虚弱すぎることも事実だ。その弱々しい身体を覆う鎧がこのnoteとなる。この選択は正しいんだと思い込むための、そして引きこもるための殻である。何かを書くという営為を通して、強くなった気にさせて欲しい。

自分を見つけるということを書いてふと思ったことがある。なにかしようと思った時全く思いつかなかったのは自分探しの旅だ。ありきたりすぎて驚くほどつまらない理想的な選択肢だ。楽しそうだな、自分探しの旅。探して見つかる本当の自分があると信じてやまない人生はどれだけハッピーだろう。生憎僕には旅をするお金が無い。徳川埋蔵金探しの旅の方がよっぽど楽しそうだ。

だれか僕を埋蔵金探しの旅に連れてってくれ。

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