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北へ飛ぶ

4月14日、約一ヶ月(29日)ぶりに東北新幹線、山形、秋田、青森新幹線が全線で復旧を果たした。
現場で復旧作業を担った方々は本当にすごい苦労があったのではないかと思う。そのオペレーションも優れていたのではないかと推察し、敬意と感謝を伝えたい。
地震翌日、高架の柱脚が圧損して鉄筋が暴露していた状態を見て、
これは一ヶ月では復旧しないな。。。正直思ってしまったが、見事復旧してくれたことに、重ねて驚くばかり。
どのように復旧作業をしたのか調べてみたい。
本数を減らし、速度を落としているとしてもこの短期間で運行再開までこぎつけたのは、偉業といっても過言ではないと思う。

そんな1か月前の記憶をたどりながら、今日は北に初めて飛んだ時のことを。

地震は起きた

3月16日、深夜に起きた地震の翌日、私は仙台に出張の予定だった。
この2年程定期的に仕事で仙台を訪れていたその出張を前にして、
起きた地震は、関東エリアを停電させ電車などの交通機関を一瞬にしてマヒさせ、停電を引き起こした。弊社のある神田エリアも目の届くエリアで停電が起き、高架で電車が止まっていることを確認した私は混雑といつ復旧するか分からない状況を予測し、帰宅を諦め、出張は中止となる予感の中、施主や担当現場の状況を早く知りたいと思いながらソファで寝ることになった。

そんな中でも不思議な感覚に襲われた。
会社の本棚に収まる数百冊の本が波を打つように揺れ、もう少しで全部飛び出すところだった。
地震のエネルギーが本棚に生命力を与えたかのような本たちの躍動ぶりにはさすがに恐怖を覚えた。まるで、ディズニー映画の魔法のようにモノに命が吹き込まれ、お皿や燭台が踊りだす映像とどこか共通したものを感じた夜でもあった。

そして飛ぶ

月1回程度の頻度で2年ほど仙台に通い続けてきた。
コロナで頻度が下がったり、Web会議で行かなくてもいいことも増えて、
時間的な効率は格段に上がったが、仕事柄現場のチェックという意味では、
まだカメラの解像度はその役には不十分な性能かも知れない。(WEBカメラは人間の視覚解像度を超えてはいないし、リアルと錯覚するにも立体感は不足している)

頻度は下がったが、いかなければならない仙台出張の日程が3月末にあった。復旧作業中の東北新幹線に代えて、羽田~仙台の飛行機で向かうことにした。
そう。これが初めての北へのフライトになったのでした。
北海道には行ったことがないし、青森もない。
自身の最北端経験は、今泉。全て新幹線で訪れたことしかない。
石川県小松空港には何度か飛んだことがあるが、東北や北海道方面には飛んだことがなかったのだ。
こんな非常事態によって、はじめての経験をさせてもらうことになった。

なんという回り道

空港チェックインから搭乗まで40分
(バスで機体に搭乗するパターンなのでやたらと時間のかかるやつ)
羽田の滑走路で40分
(臨時便、朝の時間帯ということもありよくあることではあるが。。)
離陸から着陸まで40分弱
(確実に滑走路にいた時間の方が長かった!)
空港から仙台市内まで30分
(電車は30分に1本しかないので逃すと1時間はかかる。)
飛行機の時間に合わせて運行している電車は順調にいけば何の問題もなくのれるのだが、この日はなんと!機内にiPadを忘れるという超絶間抜けなことをしてしまい、焦ってJALのチェックインカウンターに駆け込む。
さすがJALというべきか地上スタッフが着ないとすぐに連携をとってくれた。かつ、搭乗機と地上スタッフの連携も見事でカウンターから搭乗口(自動ドア以降逆流できないあの場所)付近のスタッフに私のiPadは届けられていた。見事な連係プレイなのに、各所のスタッフにしかお礼を言えなかったがこれも見事なチームワークを見せつけられたのでした。
JALスタッフの皆様、ありがとうございました!
というのも、30分に1本しかない電車の3分前に到着口から久しぶりのダッシュで飛び乗り30分のロスは避け切ったものの、羽田空港到着から仙台市内までの移動時間は、150分。

通常なら、東京駅に定刻5分前に到着していればいい。
そこから、80分で仙台市内ど真ん中だ。

それに比べて何と効率の悪い、空の上の滞在時間よりも東京の海辺にある広大なアスファルトの上をドライブしている時間の方が長いという体験価値も低い移動だったのだ。という、感想もひとつありながら。

北に飛ぶ初めての経験はいろんなことを感じさせてくれた。

①数日前に中国で墜落した同型機でのフライトという偶然でいつになく過る不安

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②離陸直後の西方面とは違う東京の街
スカイツリーを手前にして、皇居を囲む超高層ビル群の向こうに富士山を望む。整然とした区画と歪んだ都市軸の軋みを感じる

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③平地は建物に、ほどよい丘陵地はゴルフ場に食い尽くされた郊外
平地が建物で埋め尽くされる風景は日本の古今東西同じ風景が広がり辟易とする一方、日本的な風景であるとも味わい深く楽しめる。そんな平地にあるゴルフ場は北関東エリアではあまり見かけない(飛行機からはひとつも見つけられなかった)関東平野の周縁としては経済効率性を考えれば宅地となるし、山奥では造成費用がかさんで商売にならない。ほどよい起伏がゴルフ場を誘い込むのだろう。見事に食い尽くされていた。また、突然変異的に現れるソーラーパネルも散見。環境問題でその効果が注目される一方で数十年後に機能しなくなったパネルは耕作放棄地のように、自然と同一化していくのだろうか?風雨にさらされた太陽光パネルは環境に悪影響をもたらさないのだろうか?新たな郊外の風景として受け入れられるのか?はたまた、第2の地平としての利活用が考えられるのか?いろいろと複雑な想いになる。

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④生糸のような高架1線
この下でも復旧作業をしてくれている人がいるのだと想像できる人間であり続けたいと思った。

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⑤光輪に包まれる機体
早起きも悪いものじゃない。7色の光輪に機影が包まれた。
4時半起などという日頃は絶対にしないことも、この貴重なタイミングのためだと思えば、納得できる。

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早起きをして体験することができた、
北への初フライト。

様々な風景と発見を与えてくれた。
自然災害の影響での回り道だったけれど、
いい出会いをくれたと感謝。

最後に、担当物件は想像よりも自身の影響は少なくひと安心。
帰りは、暗くなった地平を眺めながら居眠りをしていたら羽田でした。

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