引っ越し

9日後に引っ越しをするので、荷物を片付け始めている。新しい家にはあまり持っていかないつもりだ。机やベッドなど、古い物を処分することになる。

18歳の春に和歌山の実家から大阪に出てきた。その時から使っている物だ。もう16年。

大阪に引っ越した日、父と母と車で和歌山から荷物を持ってやって来た。
一緒に机を組み立てたのを覚えている。

父は僕が22歳、大学を卒業する年の2月に亡くなった。75歳だから若くして亡くなったというわけではない。ある意味で十分生きたんじゃないか、僕はそう思った。

最近、運動不足が気になって夜少し歩いている。歩くのが好きだから苦じゃない。
歩きながら色々考える。
今日は父のことを考えていた。

父が53歳の時僕が生まれた。それから18年一緒に暮らして22年目に父は亡くなった。
十分生きたと思っていたけど、その22年は父の人生の中ではきっとあっという間だったんじゃないか、と言う考えが、ふいに胸を突き上げた。

父は亡くなる1年くらい前に全身麻酔で手術を受ける時、僕と兄と母に向かって、「お母さんと結婚して、二人の子供にも恵まれて、お父さんは幸せな人生やった。ありがとう。」と少し照れくさそうに、淡々と言った。
その時の言葉は、なんだか台詞じみていて、重みがないように思って、僕と兄は少し笑って、「何言ってんねん、大丈夫やって。」と言った。実際手術は無事終わって、最後の言葉にはならなかった。

しかしどうしてだろう、今日その言葉を思い出して、歩きながら涙が溢れてきた。
その言葉の真実味が今になって胸に迫ってきた。もしかしたら22年は、父にとっては思いがけない、予想していなかった贈り物のようなものだったんじゃないだろうか。そしてあっという間に過ぎ去って。。
人生は儚いものだ。

そして同時に、今、命をもらって生きているという、無意識的な、ある種無意味でもある、自然の営みの、計り知れない大きさ、美しさもまた僕の胸に沸き起こった。

机は捨てるだろう。机にはもう父はいない。
父の声や仕草もだんだんと朧気になってきた。
僕の中に父が生きているとか、そういう事でもない気がする。もっと大きなところ、理解できないところで確かに繋がっている。
そんな風に思った。

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