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「美濃市 美濃町」 卯建の上る町並み

比呂池が撮影した重伝建シリーズ8

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美濃町は、「上有知」(こうずち)と言われ、平安~鎌倉時代に上有知氏と名乗る武士がいたことに由来します。

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1911年(明治44年)古来から美濃紙の生産地であったことから「美濃町」と改名され、
1912年(明治45年)岐阜~美濃町間の電車が開通し輸送量が増え製紙業は活況を呈し、
1923年(大正12年)越美南線が開通し最盛期を迎えました。

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現在の美濃町の町割りは、1600年(慶長5年)金森長近公が城下町を建設したことに始まります。

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町並みは、2筋の通りと4本の横町の「目」の字の型で、6つの町で構成されました。
2筋の通りの道幅が広くなってるのは、市(六斎市)を開設するためで、6つの町で順に市を行い地域全体が潤うように配慮しました。

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水害を免れるよう台地に町を造りましたが、水利に恵まれずたびたび大火が発生したことから、江戸時代には隣家との間に防火壁を造り、それが装飾を施され卯建となりました。

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10/17 卯建と秋葉様(火伏の神)

町屋の主屋は、切妻造り平入で、妻面には立派に建ち上がった卯建のある家屋が多く見られます。卯建がある町並みは各地にありますが、これほどまとまって軒を連ねている町並みはありません。

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町並みが残った理由は、紙産業は高度経済成長とは無縁であったこと、国道156号が町並みを外れて施設されたことがあげられます。

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13/17 小坂邸 国指定重要文化財

酒林(杉玉)があることから造り酒屋で、両側と中央に3本の卯建があります。
屋根が緩やかにカーブしているのは、比呂池のレンズの歪みではなく、
「起り(むくり)屋根」と言われるものです。

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町並みのすぐ北東に県立武義高等学校があり、夕刻学生達が下校していきます。

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1999年(平成11年)重要伝統的建造物群保存地区に選定


16/17 冊子「うだつの上がる町」

重伝建地区の撮影におじゃました時に教育委員会の方から、冊子「うだつの上がる町」をいただきました。
重伝建選定の翌年、平成12年初版から随時増版されている様で、地区の歴史・産業との関わり・現在の町並み・代表的な民家の紹介等がカラー写真と共に詳細に記された30ページの冊子です。各地で町並みの資料をいただきましたがいちばん立派な資料です。

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伝建協 > 美濃市美濃町 https://www.denken.gr.jp/archive/mino-minomachi/index.html


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