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【スピーチ全文】令和4年度 新潟市二十歳のつどい (旧成人式)お祝いの言葉

 2023年1月8日(日)に新潟市の朱鷺メッセで開催された、『令和4年度 新潟市二十歳の集い(旧成人式)』の式典特別ゲストとして、お祝いの言葉を述べさせていただきました。時間は10分。会場の皆さんはもちろん、8年前に同じ場所で成人を迎えた自分、そして8年後にここに立たせていただいている自分に向けて、心の奥底にある想いを言葉で綴りました。

【お祝いの言葉 スピーチ全文】

 ご紹介いただきました、Flags Niigata代表の後藤寛勝と申します。
会場にお集まりの20歳を迎える皆さま、また、会場に足を運ぶことが叶わず配信でご覧になっている20歳を迎える皆さま、本日は誠におめでとうございます。本日、このような場に私を呼んでくださった関係者の方々、本当にありがとうございます。

 私は18歳から若者と政治をつなげる活動を始めました。そして、学生時代に政治教育のカリキュラムを展開する事業で起業しました。大学卒業後は広告会社に就職。コロナ禍で「Flags Niigata」という新潟出身の20-30代をつなげるオンラインコミュニティを立ち上げ、独立。現在は、地元新潟の経済活動に貢献できるような事業をコミュニティからつくるプロデューサーとして活動しながら、ラジオパーソナリティーやテレビ番組でのコメンテーターなど自分自身が発信するお仕事をしています。
私も8年前、みなさんと同じようにこの場所で20歳を迎えました。8年前はこんな場所に立たせていただけるなんて思ってもいませんでした。ほんの少しだけ長く人生を生きている自分から、少しでもこの先の人生のヒントにつながるキーワードになったと、たった1人の人でも思ってくれれば良いなという思いで、お祝いの言葉を述べさせていただきます。
 
 皆さんは、大人と子供の違いはなんだと思いますか?僕は今日このメッセージだけは、皆さんに覚えて帰ってほしいと思っています。僕は、大人と子供の違いは「自分の選択に責任が伴うこと」だと思っています。
 
もちろん子どもにだって選択はできます。現に今この瞬間に至るまで、たくさんの選択を繰り返してきたと思います。どんな学校に行くのか、誰と友達になるか、友達とどんな場所に遊びに行くか、どんな部活に入るか、どんな服で今日この場所に来るのかも。小さな選択の積み重ねが、今この瞬間、つまり未来につながっていることは皆さんもわかっていると思います。しかし、ぶっちゃけてしまえば、子供のうちは、その選択は誰かのせいにできます。誰かが責任を取ってくれます。ですが、大人はそういうわけにはいきません。自分が選択したこと、その未来に自分自身で責任を取らなければならないからです。では、選択に責任を取るということはどういうことなのか。
 
 今日は、この「選択」について僕自身の経験を踏まえながら皆さんにメッセージを送りたいと思います。
 
 少し自分の20歳の頃を振り返ります。僕の20歳の選択は起業です。ただ、大それた責任なんてものはありませんでした。20歳の頃の自分に溢れていた感情は不満と傲慢。
「いつか」他の誰でもない何者かになりたい。
「いつか」こんな社会を変えたい。
「いつか」新潟のために自分の実力を還元してやりたい。
ただ常に自分の理想に現実・実力が追いつかないことのもどかしさくる不安や、世の中への不満。でも俺は人とは違うんだという、周りを見下すような傲慢さ。
うまくいかないことは全て「世の中」のせい、「誰か」のせい。
 
偉そうに「選択に責任を伴うのが大人」と言っていた私は、何者かになりたい自分が、いつまで経ってもちっぽけなことも、「いつか」という言葉に逃げて、「誰か」や「世の中」のせいにして、何事も先送りにして生きていたわけです。
 
 そしてとうとう、僕は本当に逃げ出しました。起業し、政治を変えてやる!と大口を叩いていた私ですが、「まだこの世の中ではこのビジネスでは稼げない」「就職しないと飯が食えない」と、諦めて就職するという選択を取りました。当時は自分が「諦めた」という感覚はありませんでした。
 
しかし、僕は、「世の中」のせいにして、逃げるという選択肢を取ったのです。
 
こんなこと言うと批判を受けるかもしれませんが、会社員は楽でした。もちろん仕事は苦しい辛いことも多かったのですが、何をしていても給料は変わりません。たとえ気が向かなくて仕事が進まない日があっても毎月同じ金額が決まった日に入ってきました。東京では、最高の上司・最高のチームに恵まれ、これ以上にない環境でキャリアを積むことができました。裏を返すと、ただその日を乗り切ればそれでいい。そんな毎日だったのかもしれません。そして、私が学生時代から志した「いつか」は遠くなるばかりでした。
 
 しかし、あることをきっかけに、僕は、人生には大きく勝負に出ないといけない日があるということを思い知らされます。2020年4月7日。新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出された日です。人生が変わる時というのは、大体ジワジワではなくて、1日なんですよね。この日を境に急激に仕事はなくなり、外出はできない、家にこもる日々。悶々とした気持ちに毎日自分が押し殺されそうになるのがわかったし、寂しや孤独から「死にたい」と思うこともありました。今思えば、当時よくニュースで聞いていたような若者のコロナ鬱状態だったと思います。
 
そんな時に心の支えになったのが、同じように新潟出身で東京に上京していた仲間でした。彼らももしかしたら僕と同じ気持ちだったのかもしれません。新潟どんな感じかな?何かできることないかな?そんな話を無我夢中で10人にもちかけて、Flags Niigataをつくりました。コロナ禍でも東京から新潟にできることを、オンラインベースで施策を打っていくことから始まりました。
 
新潟出身の仲間を集めて、東京と新潟を繋いで、新潟を変える。
それは「今」なんだ。と。
僕は、仲間のおかげで逃げてきた「いつか」を、「今」やらなければいけないこと、に変えることができたんです。

 
自分が10代から続けてきた、政治や制度を変えるためのシステムを考えること。社会人になって学んだコミュニケーションやブランドづくり、メディアの使い方。そして、今まで培ってきた人間関係の全てを掛け合わせて、勝負に出てみたんです。

僕は一度逃げたけど、「いつか」を諦めなかったから、今、この場所に立たせていただいていると思うんです。
 
 少し長くなってしまいましたが、僕がここで言いたいことはひとつです。逃げても良い。目を背けたいことからは、目を背ける日があっても良いってことなんです。他人は大体適当です。周りの人は色々なことを言うけど、その人たちは責任を取りません。だからもしあなたの周りの人たちが「逃げるな」と言うなら、その人たちの言うことは嘘です。逃げても良いんです。向き合わなくても良いこともあるんです。でも、これだけは覚えておいてください。

僕は冒頭で、大人と子供の違いは「選択に責任が伴うか」どうかだと言いました。選択に責任を取るというのはつまり、「自分の選択した道を、正解にする」ということなんです。
 
 この先の人生、自分で100%納得がいく選択ばかりできるわけがありません。納得いく選択ができることもあれば、無理やり妥協してでも選択して前に進まなければいけない日も来るかもしれません。でもどうか、選択することを諦めないでください。諦めない限り、負けることはありません。やめない限り、可能性は0にはならないからです。いつだって、小さな選択で、未来は大きく変わっていきます。
 
 きっとこれから先おこることに胸が高鳴り、希望に満ち溢れている人よりも、不安な人の方が多いんじゃないでしょうか。私も同じです。毎日不安で、毎日押しつぶされそうになっています。でも僕が前に進めるのは、どんな選択をしたとしても、必ず自分なりの正解に辿り着ける「自分の選択した道を正解にする」ことの尊さを知っているからです。
 
 新潟のいいところはたくさんあると思いますが、一番はふるさとへの愛です。こんなことはもしかしたらどこの地方でも同じこと言うのかもしれませんが、僕はFlags Niigataを通して、「新潟出身」という、なんの努力もせずに手に入れた肩書きだけで、こんなにも助け合い、こんなにも頼り合い、どんなバックグラウンドだろうと「新潟ために」と一緒に多くの人と前に進めることを、新潟に生まれた1人の人間として、誇りに思っています。
 
 そして、僕には夢があります。新潟を日本一の都市にすること。たとえ誰かに無理だとか甘いとか浅いとか言われようと、僕は、やめないので負けることはありません。僕は18歳からずっと、この道を正解にするために進んでいるんです。僕は「いつか」この夢を叶えてみせます。
 
 二十歳を迎える皆さん、逃げてもいいんです。今は、負けたって良いんです。回り道もきっといいものです。だから決して、皆さんの心の中にある「いつか」の火を絶やさないでください。選択することを、諦めないでください。絶対に誰かそばにいてくれます。手を貸してくれます。もし、それでも苦しかったら、ここに「新潟出身」というだけで居場所になるコミュニティがあるということを思い出してください。僕らは新潟出身という同じルーツを持った、一つの大きなチームです。だから、どうか、安心して。

新しい新潟は僕らでつくろう。
 
本日は誠におめでとうございます。
ご清聴、ありがとうございました。

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