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やがて哀しき 「考査」の聖帝サウザー化

さいきんよく「考査が厳しい」という状況を目にする。

クリエイティブ表現で「面白い企画」とは、たいてい「見たことない表現だけど、見ると、つい欲しくなっちゃったりやりたくなっちゃったりする絵や言葉」のことをさす。強力に人を魅了しそうな表現ほど、タブーに触れる可能性が高まるので、すぐ陳腐化し「考査で×を喰らい、世に出せない」ことが多くなる。

優秀なチームから面白い企画が出るときほど、考査に×をくらう頻度が増えるわけだ。

が、当然企画する側も、そういったことを意識して企画するわけで、リスク回避は充分考慮されている。が、きちんと考慮したポイントにおいても「こんなの別によくね?」という自意識過剰的な理屈で、ひっかかってしまうことが実に多くなってきたように感じる。

考査には3つの立場がある。

1) クライアント側の法務
2) 広告代理店の表現コンサルタント
3) テレビ局や媒体・ネットメディアの考査

1)の、クライアント側が気をつけなければいけないポイントは、これはもう絶対ルールで、当然のように遵守されることは大前提になっているが、2)と3)が難しい。

広告は特に、視聴者が意思を持ってその情報を受け取る(例:エロ動画をお金を払って意思を持って観る)のではなく、他のコンテンツを見ていたら否応なくプッシュ型で差し挟まってくるものだ。R指定なども効かないものが多いので、情報を受け取った側が不当に嫌悪感を持たないよう、充分に配慮する必要がある。

そもそも基本的に広告は嫌悪される。
広告ブロックアプリが常に人気ランキング上位に入る。

どこが「嫌悪感」の線引きなのか?は、いたちごっこのように、常にアップデートされている。

2)と3)の規制の高まりを感じる場面が、ますます多くなってきたのだ。


考査は報われない絶対権力


考査という立場は、たいていどの部署よりも偉い。

大クリエイティブディレクター様が何か言おうが、社長が言おうが「ダメなものはダメです」と言うのが仕事なので、その権利を与えられている。

いっぽう、網の目をかいくぐって生まれた表現やビジネスが世の中に出て喝采を浴びるとき、そこに考査の姿や名前はまずない。表現物のスタッフリストで「考査」を見ることはない。報われない陰のような存在なのだ。

考査の仕事は、白色に見える表現の中から、黒いシミを探す行為だ。
企画者のみならず、クライアント、全スタッフにとって揚げ足をとられたように感じる。
したがって、考査が好きな人はあまりいない。


少数派が修羅に堕ちる

そこに、少数派の考査が存在する。

リスクと表現の可能性を天秤にかけ、きちんと双方を評価し、気をつけなければいけない点を指摘しつつも「これはシロです。でも気をつけてね」とGOを出してくれる考査、というのが稀に存在するのである。

周りは「リスクがあったら全部NG。ポジティブな回答は行わず、すべて△」で返す人たちのなか、話をわかってくれようとする人。
当然、そういった人には、たくさんの仕事が集まる。

その結果、どうなるか。


ある日突然、その人が、人が変わったかのように厳しくなるのだ。

これはどういうことか?

たくさんの集まった仕事において、考査もシロを出すということはリスクになりうる。100回に1回、1000回に1回のクレームや炎上事件に当たってしまったとき、「あなたが大丈夫って言ってたのに……どういうことなの!?」と非難されてしまうのだ。
炎上を一斉に叩くこの国の風土のなか、その人は深い悲しみに陥ることになる。

権力を持つことは、責任を持つことと裏腹。

せっかく、まわりを笑顔にしたいと思ってリスクを承知で「気をつけてね」とGOを出してきたのに…。
私は、世の中をつまらなくする側の人間じゃないはず。
そう思って、いくらいいことをしても、評価されてうれしそうにしているのは、いつも自分勝手なことを言ってくる、自称「表現者」たち。
なのに、トラブルになったときだけ、考査である自分が責められるなんて……。


ひどすぎる!!


こんなに悲しいのなら……


こんなに苦しいのなら……


愛などいらぬ!!!!

ドドオオッ!!!


そして彼は、次の日から、他の多数派と同様、シロに黒い染みを見つけ、NOだけを語る人と化すのだ。

察するにあまりある。悲しすぎる。


彼らにインセンティブを

この闇堕ちを回避するにはどうすればいいか。

もともと、どんな表現でもリスクというのは大なり小なりある。
リスクをきちんとふまえたうえで、クロを是正しシロに変え、GOを出した彼・彼女を褒め讃えるしくみが必要だ。

たとえば、エンドロールやスタッフリストに載るだけでもずいぶんちがう。
名前が出ると「この表現にも、あの表現にも、あの人の名前が」と注目されることになり、自然と少数派の名士が評価されることになっていくだろう。
×を出すゼロ回答ではなく「だったらこういうことならどうだろうか」と、その先をクリエイトする人間が評価されていく。

考査という名前を、クリエイター側、ディレクター側の「陽の属性の職名」に変えてもいい。おそらく、「表現コンサル」という役職名は、そういったことを慮られた名称なのではないだろうか?

規制が強まり、閉じていくなか、もう一歩、制度を変えるだけで、この国はもっと面白い表現が増えていくはずだ。




追伸


この記事をアップする前に、知り合いの考査に「どう思う?」と見せたところ、


「このサウザーの挿絵は著作権侵害です」と言われた。


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