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【この本】リターンマッチ 後藤正治

何がきっかけだったか、活字中毒になって15年ほどが経った。
その経験が自分の人生の大きな方向を決めたし、その中で幾つも素晴らしい本に出会ってきた。良書はいつも自分を贅沢な時間を提供してくれ、人生観にも大きな影響を与えてくれた。これまで読んできた書籍の中から人生観や仕事の仕方に影響を与えた本、良書を紹介していく。(若干のネタばれあります)


長い間ノンフィクションを書きたい、と考えてきた。どんな本を書きたいか、と考えた時にまず思い浮かぶのがこの作品である。発刊は1994年。すでに25年前の作品であるのだが、それだけの時間が経ってもなお色褪せていない。今でも時折読み返す。名作なのだ。

舞台は兵庫県西宮市の定時制学校。そこに創設された「ボクシング部」である。主人公はこの学校の英語教諭、脇浜義明と部の教え子、つまりは定時制の生徒たちである。作品では「わけありの」生徒が通う部活動の場ー「道場」と呼ばれるが、その道場を舞台に、ボクシングを介した生徒と教師との格闘、ぶつかり合いの日々が描かれていく。

この中にはヒーローは出てこない。せいぜいが、県大会で優勝するくらいの、いわば全国的には無名の選手たちである。ドラマのような分かりやすいサクセスストーリーが描かれるわけでもない。しかしそこには、やはり「ドラマ」が存在し、そのドラマは著者の手によって生き生きと活写されている。「わけありの」少年たちがボクシングにひたむきに向き合う。その過程では勝利もあれば、壁を乗り越えられず投げ出してしまうー「挫折」という表現で語られる敗北体験もある。そういった中で少年は成長を遂げ、教師はそれを見守る。

タイトルの「リターンマッチ」とは、敗者復活戦、の意味である。「わけあり」の生徒たちの「リターンマッチ」の場であるこのボクシング部を指した言葉であるのだ。そして同時に、このボクシング部は教師、脇浜にとっても「敗者復活戦」でもあったかもしれない、と語られる。どういうことか。それは是非一読頂きたいが、その一端に触れた文章を引用する。

…様々な事情から定時制高校にやってきた少年たちにとって、ボクシングが「敗者復活戦」だったとすれば、脇浜にとっては、授業や教育活動や組合活動では得ることの出来ないものを、もろの肉体のぶつかり合いのなかで得んとする試みであった。黒板の前や言葉のやり取りでは得られるもの。・・・彼はぶつかり合いを選んだのである。それは、脇浜にとっても、リターンマッチであるのかもしれなかった。(本文より引用)

 この作品の魅力は一言では語りつくせないのだが、一度何かに負けた人が『何くそ』と、挑戦する姿の描写に、僕は惹かれたのかもしれない。思い起こすと、これを読んだ高校生の頃の自分も、ひどく鬱屈していた。そういう精神状態におかれたあの時の自分が、何かしらの共感をこの作品から得ていたのかもしれない。

作品の魅力を語る上でもう一つだけ、紹介したい箇所がある。これまでに何度も繰り返し読んだ場面である。「ゴンタクレ」だった部の生徒たちが高校生活を終え、4年間打ち込んだボクシング部を去る場面である。

「ゴンタクレ」だった生徒たちが教師の脇浜に感謝の気持ちを表す。そしてその気持ちは、「贈り物」という形をとった。文章もまともに書けなかった「わけありの」生徒たちが書いた「手紙」と共にー

…花束と、ボールペンと、この一通の手紙が、部発足以来四年間、脇浜がこの間に支払ったものの報いであった。それは些細なものであるが、しかしそれは、教師冥利に尽きることの、これ以上ない報酬でもあったろう。
 あのペテン師めが・・・下手な字を書きやがって・・・。目頭を熱くしながら、脇浜は何度もその手紙を読み返した。

 たったこれだけの引用と僕の拙い文章では充分に伝えられないのだが、いい文章だと、つくづく思ってしまう・・・。

作者によると、この「道場」に通った日々、つまり取材期間は3年あまり。対象に魅力がなければこんなに長期間、一つの取材対象に通い詰めることは普通は出来ない。3年以上にわたって作者を惹き付け続ける何かしらの魅力がこの「ボクシング部」にはあったのだ。その魅力が一体何なのか?一言では言い尽くせない。それを描くのにこの1冊が費やされているのだ。

章立てのタイトルを上げていく。
第一章 夜学
第二章 道場
第三章 攻防
第四章 硬派
第五章 敗北
第六章 亀裂
第七章 夏

 一つとして無駄な部分はない。誰しもが味わうのであろう人生の起伏とも言えるもの、そしてそれは、普通はその場にいた当人たちにしか決してわかり得ないものであるが、作者の手によって、生き生きと記録されている。

 取材者の存在価値の一つは、知られざる情報やドラマを掘り起こすことにあると考えている。見過ごしてしまいそうなものであったとしても、そして手間がかかることであったとしても、それを丹念に、根気強く、時間をかけて取材を重ねてそれを記録として残していく。
 
自分もこんな仕事をいつかしたい、そう思わせる魅力がこの本には宿っているのだ。

時間があれば、ぜひ手にとってご一読頂きたい。

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