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陸上女子 土井杏南 「作り上げた走り」で再び輝く(前編)【陸上】

かつての「天才少女」が低迷期を脱し、再び輝きを取り戻そうとしている。陸上女子短距離、土井杏南。7年前、戦後史上最年少となる16歳で五輪出場を果たし、将来を嘱望されたかつての「天才少女」はしかし、この数年は低迷。表舞台から遠ざかっていた。その土井が今シーズン、再び表舞台で躍動。きょう(11日)から始まるIAAF世界リレー大会で数年ぶりの日本代表復帰を果たす。しかし低迷期、土井は陸上選手としてのアイデンティティの危機に陥るほどに追い込まれていた…。将来を嘱望されながらも挫折し、再び表舞台に戻ってきたかつての「天才少女」の軌跡と現在地。そして見据える未来は。(文中、敬称略) 
【この記事は前編と後編の2本立です】

かつての「天才少女」

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元号が平成から令和へと変わった5月、筆者は埼玉県加須市へ赴いた。陸上女子短距離選手の土井杏南に会うためである。

土井は自分にとって特別な選手である。彼女を初めて取材したのは今から8年前。彼女はまだ高校1年の15歳、筆者も記者1年目の駆け出しだった。
中学時代から規格外のタイムを叩き出し、高校1年にしてインターハイを制した土井は、すでに陸上界では知られた存在だった。埼玉に赴任していた私はある暑い夏の日、土井が通う陸上の名門、埼玉栄高校を訪れた。それが取材の始まりである。

学校の一室で迎えてくれた土井のことは、今でもよく覚えている。小柄な姿に弾けるような笑顔。同級生と元気にはしゃぐ姿は「普通の女子高生」そのものであった。

しかし、ひとたびトラックで走り始めると、その驚異的なスピードには度肝を抜かれた。小さな体のどこにあんなスピードを出す力があるのか、とー。

陸上は、才能のスポーツである。トップに立つ選手は、やはり一定程度の身体能力があることが前提だと、ボンクラな陸上選手だった筆者は何度も痛感させられたものだ。
その点、土井の才能は圧倒的だった。
加えて「注目される方が力が出る」という勝負向きな性格でもあった。
指導する埼玉栄の清田浩伸監督も当時、「底が見えない。どこまで行くのか」とその将来性を嬉しそうに語っていた。
取材した内容は「高校生最速スプリンター」という企画となって放送された(ちなみにこれが筆者の記者としての処女企画となった)。
この時の位置付けは「今後の注目選手」。

翌年、陸上で戦後最年少のオリンピック選手になろうとは、この時はまだ夢にも思っていなかった。

戦後最年少の16歳で五輪出場 スター選手へ

翌年、土井は一気にスターダムに駆け上がっていく。
4月、広島県で開催された織田記念陸上。取材のため広島まで同行した筆者は、ここで高校新を連発する土井を目の当たりにした。
予選で11秒53の高校新。決勝ではそのタイムをさらに更新する11秒50。女子短距離のエース、福島千里に次ぐ2位となり、一躍その名を高めた。この頃になると、土井にサインを求める陸上ファンも現れはじめていた。目前で高校記録を次々と更新していく姿に、筆者も興奮を抑えきれなかった。

この年の快進撃は続いた。
5月、現高校記録となる11秒43。
その後の日本選手権では福島に食らいつき2位。スタートでトップに躍り出て「あわや優勝か」というレース展開は「土井杏南」の名を全国区にした。「走るたびに記録が出る」彼女は、傍で見ていても爽快だった。「破竹の勢い」とはまさにあのことだったろう。

そして夏、陸上で戦後最年少でのオリンピック出場が決まる。土井はスポーツ紙の1面を飾り、メディアの取材も殺到した。彼女はもう完全に「普通の女子高生」ではなくなっていた。筆者は当時、スターダムへと一気に駆け上がっていく土井が遙か彼方に行ってしまったようで(実際そうなのだが)どこか寂しい気持ちに襲われていたと記憶している。

「何だか、遠い存在になっちゃったね」
そう言うと、
「何言ってるんですか、そんなことないですよ」
土井はいつものようにニコッと笑いかけてくれたのだった。

そして土井はついに、16歳でオリンピックの舞台に立ったー
リレーの第一走者を務める彼女の勇姿を、自分はもうテレビの前で正座して見守ることしかできなくなっていた。

いち選手が一気にスター選手へと駆け上がっていくその様を取材者として間近で見るという経験は、そう出来ない。「記者冥利につきる」この上ない経験であった。

ーオリンピック出場という経験、陸上女子のエース福島を最後まで追い込んだインパクト、11秒43というタイム、そして何より「16歳」という今後の可能性を感じさせる年齢。当時の土井は間違いなく「ポスト福島」とも呼ばれる、将来を嘱望された選手だった。誰もがそう期待していたし、当然筆者もそう願ってやまなかった。本人も少なからずは、そういう思いを抱いていたはずだ。

それほどの可能性を感じさせた彼女はしかし、7年後の2019年現在に到るまで、100メートルの自己ベストを更新していない。オリンピックを経験したあの年が「陸上選手土井杏南」のこれまでのキャリアハイなのだ。

五輪後 期待されるも低迷

2013年5月の土井のシーズン初戦を取り上げたニュースが、筆者が土井を取り上げた最後のニュースとなっている。
翌年、土井は大東文化大に進学。筆者も埼玉から転勤となった。

転勤後も土井の動向はネット記事と彼女のツイッターで定期的にチェックしていたものの、忙しない日々の中でいつしか土井のことを思い出すことも少なくなっていった。

そんな頃、数年前のことだったか、ネットであるレースの土井の走りを見た。
素人目に見ても、往時のスピードは失われているのが分かった。左右のバランスが崩れ、他の選手を置き去りにしたスタートにも、かつてのスピードはない。名を知られていない選手に競り負けていた。当然タイムもふるわない。
ショックだったー。
いち取材者がショックを受ける。本人のショックの大きさは、如何ばかりであったろうか。

大学3年で臨んだ2016年の日本選手権で、土井はついに予選落ちを経験している。この大会はリオオリンピックの出場がかかっていた。
記事によると予選落ちとなった土井はその時、大粒の涙を流したというー。
その時の本人のツイッターには悔しさと、それでも諦めない強い気持ちが綴られている。

「・・・四年に1度の舞台でこのような結果になりうまく言葉が見つかりません。だけど私は諦めません。変わる時だと思います。元に戻るのではなくて進化して戻ってきます・・・」

―しかし、その後も低迷は続いた。

土井杏南の名前を記事で見つけることも、少なくなっていった。「苦しかった」と、土井は当時のことを振り返るが、それはまた後編で触れる。

陸上に限らず、アスリートの世界は競争が厳しい。毎年新しい選手が出ては消えていく。表舞台に立ち続ける難しさは、筆者の想像も及ばない困難なことなのであろう。その点、この間も陸上女子短距離のトップであり続けた福島千里の存在感ばかりが際立った。

彼女は諦めていなかった

このまま土井は、消えてしまうのかー
土井のことを思い出すことも少なくなっていた時、日刊スポーツのある記事が目に留まった。(『「消えた天才」土井杏南に光明 絶望経て再び駆ける』)。
食い入るように読んだ。読むと、高校時代の恩師、清田浩伸の元でまた練習を再開しているという。
土井のツイッターには、次のように書かれていた。

ー会いにいこう、と思った。

苦難から逃げず、立ち向かい、そして再び駆け上がろうとしている一人のアスリートの思いを、直接聞きたいと思った。
最後の取材から6年。筆者も去年、再び関東に転勤してきていた。

久しぶりに清田に連絡すると、「会うのが楽しみです」と返してくれた。

令和を迎えた5月1日。休みとなって晴れて自由の身となった筆者は、練習場所の埼玉県加須市の平成国際大学へと向かった。

直前に行われた織田記念陸上で土井はシーズンベストを更新し3位。
ー走りには、かつての力強さが宿っているように見えた。

後編に続く】

土井杏南:陸上女子短距離選手。陸上で戦後史上最年少となる16歳での五輪出場を果たし「天才少女」として一躍脚光を浴びた。その後の低迷期を経てきょう(11日)開催の世界リレーで数年ぶりに日本代表を果たした。100Mの自己ベストは11秒43(現高校日本記録)。現在、JAL所属。

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