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易の思想と歴史~AI時代でさらに変わる読み解きの進化

「うらない」という言葉は「占」や「卜」が当てられていることが多いですが、実はこの読み方は純粋な日本語、つまり大和言葉からきた言葉であって、「うらない」というのは「裏合い」のことで「心合い」とも書かれます。

表に表れない裏の裏を知ることで、それとなく相手の心を探り知ることが「心合い」に通じるのだと思います。

一方で「易」というのは中国由来の言葉です。「易」は漢代の儒学者である許愼による字源辞典の『説文』によると「易は蜥易(せきえき)なり」とあり、これを根拠にトカゲを表わした象形文字である、と郭沫若氏は唱えています。

一方でこうした象形文字から捉える説に対して、後漢時代での練丹術の大家である魏伯陽などは「易は月日の陽陰剛柔に充る」と説き、陰陽の象徴である太陽と月の関係に由来があるとしました。

練丹術は不老不死、つまり不易を目指していますので、万物は千変万化して氣が巡り移り変わるという易の法理からはアプローチを異とします。

ですので儒学者とこのような違いが生まれたのかもしれません。今で言うところの理系と文系のような違いでしょうか。

易のルーツはモンゴル内陸部

さて易学の聖書ともいわれる『易経』が作られるはるか以前から、人間の営みの中では自然の中で偶然が生み出す占いの一つとして、易という行為が行われていることは殷代の卜辞が記された甲骨文が大量に発掘されたことにより、ハッキリとしています。

ではそれ以前に易を考えたのはだれであったのでしょう。『周易』では六十四卦によって森羅万象の一切を表わすとしていますが、意外にも「海」についての言及がありません。

もっとも大河は「坎(かん)」によって、沼沢には「兌(だ)」によって表わされていますが、海という無視することの出来ない存在に何も触れていないのは些か不自然でしょう。

これは殷を滅ぼした周は元々内陸部から発達した国にあって、遊牧時代を脱して農業国家となり、土地に定着して耕作をすることを始めてから徐々に暦に関する解説が『易経』に附記されていったためだと考えられています。したがって後世に派生した納音なっちんには「大海水」「海中金」などがあります。

易のルーツは西方の内陸部に住む人達が獣骨を灼いて、そのひび割れの象形で吉凶を占う、主にモンゴルの自然発生的な呪術儀式にあったと言われています。

もっとも一部の説によれば、さらに西方のバビロニア、アッシリアの楔形文字が西方アジアに移入されて、それがすなわち卦になったという指摘もあります。とはいえ類似性はありますが、はたしてどこまでが易といえるのかわかりません。

いずれにせよ獣骨を焼く占いはモンゴルのシャーマニズムで実際に行われていたようで、主に迷子になった家畜の行方を捜すなどの目的で羊の肩骨を用いて占っていたそうです。

ト術を立てるに易はいつ、どこでどうすればいいのかという判断を求めます。したがって、日時の観念から天文学が発達し、それを地上のできごとに結びつけて考えるようになり、その経験の積み重ねが何千年にもおよんで、易が誕生したと考えられます。

まず占いを立てる日時を干支で表わし、それに続いて貞者(卜術で尋ねる人)が家畜の肩甲骨や亀甲を焼いて、亀裂の上に記したあとを手がかりに十二支を挙げて意象をみます。

ちなみに殷王朝の九代の上甲からは王の名前にかならず十干の一つを取って付け加えるのが特色となっています。

たとえば上甲という王を祭るには甲(きのえ)の日、報乙という王を祭るには乙(きのと)の日と決められていました。

甲骨文の支

すでに暦法で干支が暦の上で重要だったことは明らかで、誕生日によって運命が左右されるといった考え方は、後世の九気学や子平に応用され儒教や仏教の影響を受けて「人生の処世術」と変化することになります。

実は易者のシンボルとして知られる筮竹を用いた占いは周代によるもので、亀や鹿の肩甲骨などは入手し難くなって草の茎を用いる事が主流となり、やがて漢になって庶民に易占が拡がったころから盛んになります。

この時期から易者にも権威が求められ、沐浴潔斎をして、香をたくばかりでなく、道具も水洗いをして、占う期日や服飾にも規則を選定するなど細かい決まりができるようになりました。

このような繁文縟礼はんぶんじょくれいによる形式化は漢民族の特異性からくるものと言えるかもしれません。

ところで「魏志倭人伝」には卑弥呼について「年中行事や遠くに旅をするなど何か事があるたびに骨を焼く占いをして吉凶を占う」と記述されています。

我が国で古くに行われていた「太占(ふとまに)」はこの時代の中国大陸では既にマイナーになっていた「亀甲占い」が海を渡って伝えられ、ひっそりと残されていたものと考えられます。(なお現在でも対馬で亀トが行われています)

もちろんルーツとなった古代モンゴルとは環境が全く異なりますので、そのまま移入されたわけではありませんが、当時の倭国の社会制度や思想の骨組みに易が重用されたのは間違いないでしょう。

易経の歴史と思想

『易経』の文章は用語や語法が全くの古体であって、極めて暗示的で比喩的な修辞が説明もなしに散りばめられているので、現代の我々がその真意をつかむことはほぼ不可能といっていいかもしれません。

周易の根底をなす『卦辞』は周の文王によって作られ、『爻辞』は周公によって作られたとされ、易学の解説書は数多ありますが、どの書をみてもその時代の思想を色濃く反映しています。

古来より「易経」の読み解き方は大きく分けて二つあり、これを「占術に用いる辞典」としてみるものと、人倫の道を説いた「哲学の書」であるとするものに分けられます。

元々易は内陸部の遊牧民族で行われていた習俗ですので、四方が海に囲まれた盆地のムラ社会で共同生活をしている多くの日本人にとっては、環境の違いから、原文をそのまま解釈しようとするのは不便があります。

現在ではいわんや「帝王学の教材」としてビジネスの面でよくとり挙げられることがありますが、裏を返せば『易経』を国王や宰相による儒教的な類の「道徳の書」と読み解けば、現在では時代遅れで、封建主義的である種のパターナリズムが内在している、という主張からの拒否反応があるのは違いないでしょう。

いまではネット上で多くの注釈書や原典解読がありますが、六十四卦のうち最後の卦である「火水未済(かすいびせい)」は「狐が川を渡ろうとしても尾を濡らしてしまい上手く渡れない」という卦辞から「未完成」という意味があります。

最後に「未完成」の項目があることも、『易経』の暗示と教訓に通底するところがあって面白いなと思っています。

読み解き方で変わる易の考え~分類して考える西洋人と関連付けで考える東洋人

ここからは易占いとは離れて、根本的な「認知構造」の違いに焦点を当てていきます。

西洋人は分類して考えるのが得意で、東洋人は関連付けて考えるのが得意な傾向にあるといわれています。これはある種の占い(陰陽五行)とMBTIの性格類型分析に対する考え方にも適しています。

1998年に清華大学心理学部主任の彭開平教授がカリフォルニア大学バークレー校在学中に比較を行うために1万人以上の中国人と西洋人の被験者を選択して、仕事への対応、社会適応、思想のバランス感覚のテーマについて研究しました。

彼がこのテーマで実験した方法は、生徒らに二枚の写真を見せたことです。
一枚目は鶏、二枚目は草です。
それから牛の写真をみせて次のように問いかけます。

「牛は草と同じグループか、それとも鶏と同じグループか」

その結果アメリカ人は一番目の分類を好み、中国人は二番目の分類を好むという行動の違いが顕著に出たということです。おそらく中国人は干支に関連すると捉えたのでしょう。

実験によって人種の間には認知構造の違いがあると結論づけました。

このような分類方法には文化の影響がさまざまな面で反映され、この民族ごとに異なる気質による論理は、占術の読み解きや宗教に対する考え方にも影響与えていることが想像できます。

たとえば「天に二日無く、土に二王無し」という比喩について、中国人はこの比喩に関連性があるとして、適切な文であると考えますが、西洋人は分析的に基づく分類は上位の分類であって、直感的な素質に基づく分類は下位の分類であると考えるため「太陽と土」の間にある王との関連について、この文の間には関連性がないと考えるそうです。

さらに言えば男女の比較や個人によってもこの判断力と直観に影響を与える認知構造についての違いがあるとされます。

たとえば、「家族の集まり」というと「温かさと笑い」をいつも連想していた人は、その話をするだけで顔に笑みが浮かぶかもしれません。

なかには一方で「家族の集まり」から連想されるイメージにネガティブな情景を持つ人も居るかもしれません。

このような認知構造が相容れないグループとの接触が争いに発展し、相違が原因で衝突が起こるケースは古くから宗教戦争などで度々起こりましたが、最近のSNSでも認知構造のギャップによる炎上が多く見られます。

さて、易の話に戻りますが、陰陽論では「陰極めて陽となす」とあり、最も離れた存在が実は最も自分の身近な存在の基であると考えます。

易経は精神的な近道であり、過去の経験に基づいて私たちが行う認知構造の「社会化」「一般化」によって時代の要請にかなう信念や概要を要約していることにほかなりません。

文化、社会規範、テクノロジーの進歩などの外部要因は、認知構造の解析に大きな役割を果たしますが、人類進化の観点からみると易にはまだまだ「未済」があると言わざるをえません。

AIによる認知構造の選り分けで易は進化するか


人工知能は膨大なデータを整理し、解釈して、反応するために過去の実践で得た膨大なデータを基に立てるため、ある種の占いに近い部分があるという意見があります。

集積したデータから特徴を把握したり、平均を出したり、比較や分類をしたり…そのように集計したデータを元に、法則性を見いだして未来を推測することで、占いで統計学を引き合いにだす人も居ます。

しかし、これには問題があり、人類の観点から見るとプログラムされた人工知能の精神構造は制作者の認知を基準にするため、関係性による分類が個人の経験、文化、遺伝、教育に基づく価値観の軸の変動により、納得がいかない結果の多くが引き起こされる可能性があります。

例を挙げてみると「母親」「ベビーカー」「車」を 2 つのカテゴリに分類する必要がある場合、「ベビーカー」と「車」が 1 つのカテゴリに分類され、両方が移動手段である場合、「子供たち」はどうなるでしょうか。

仮に「子供」をベビーカーと共に「車」のグループに分ける文化圏と「母親」と「ベビーカー」に分ける文化圏の違いは人工知能は判断しません。

このジャンル分けによる社会との不和によるストレスは例えば子供の「ハーネス」に対する考え方の文化的相違にも言えるかもしれません。

「母親」「車」「鎖」「犬」「ベビーカー」「子供」「ハーネス」…現実には無数の認知パターンを分析して取捨選択をすることが我々の脳の中では常に行われています。

実際、占いと同様にAIはデータにないことは、誰にも教えることが出来ません。逆も然りで、占者の言動はAIと同様に過去の経験から基づくものですが、その心底に眠っているのは占者の認知構造の引き出しからもたらされた情報の影響が大きいです。

したがって機会学習の偏りによっては日本人の悩みをアメリカ人の牧師に聞くような問題が起こります。

人工知能が文化的規範、社会的価値観、個人の信念を無視して認知構造をリセットしようとすると、中には有益な場合もありますが、多くの場合、とくに本人の理解がない状況でアイデンティティを否定するような誤解や過度の単純化が生じた場合、拒否反応が起きることは想像に難くありません。

多くのプログラマは英語を使用しますが、英語圏の認知構造をそのままに日本語でアウトプットしてみても「認知構造のギャップによるショック」が混乱や苦痛をもたらす可能性は否定できません。

これは先住民部族の認知構造を理解するために西洋中心のレンズを適用するとこと同様に、サポーターやメンタルケアラーである立場の貞人(人工知能)が「価値観のハンドルを握る」と言うことになり、場合によっては重大な倫理的問題を浮き彫りにする課題といえるでしょう。

認知構造を理解することは、心理学、神経科学、社会学、人類学、さらには哲学からの洞察を包括的に統合する必要がありますが、こうした問題に直面したときに占いが儒教、仏教、道教のいくつかの方法論を理解し、実践するうちにさらに改善することができたように、宗教のデータをAIの機械学習に使用すれば認知構造が個々人に寄り添い、進化することができるかもしれません。

最初の易のテーマからそれてしまいましたが、人工知能が機械学習するという最終目標には自身と真に「心合う」関係が築けるかどうかだと考えます。

都市伝説のAIジーザスではありませんが、万物を陰陽で読み解こうとする「易経」のみならず「セフィロトの樹」「曼荼羅」を学習させてグローバル的な世界の理解を得る預言者を育てることに近いのかもしれません。


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