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本を書くこと。そして手段に固執する愛の話

「エンジニアリング組織論への招待」が発売されたあと、担当編集から「広木さんは仕事を辞めるってことについてどう思いますか?」と聞かれた。

それをうけて、仕事を辞めたくなるようなことでもあったんだろうかと考えた。出版される前にもけんけんがくがく、意見をぶつけ合っていたので、そういったこともあったのかと訝しんだのが、曰く彼女の友人の話であるらしい。

担当編集の友人がこの本を読んだ途端、上司の机に拙著を置いて退職を宣言したとのことだ。剛毅な話だ。このような他人の人生の選択に関して、僕は何の保証もできないので何とも言えない気分になったのだけど、しばらくしてなぜか嬉しい気持ちの方が込み上げてくるのを感じた。

その後、様々な方々が僕の本を引用したり紹介したりしながら、自分がどのように行動し、変化したのかを語ってくれるを目にするようになった。

先ほど検索したら、はてなブックマークされているだけで、100件近いブログで僕の本が紹介されている。その他20件以上のアマゾンレビュー。30件以上のブクログレビューなどがあった。

その中でも変わり種で、心が動いたものを紹介していきたい。

国税庁サイトのリニューアルへの反応を見て感じたこと,そして行動したこと
https://note.mu/pchw/n/n1cf850966907

この記事は、国税庁のサイトがリニューアルされ、リンクがきれてしまって炎上していた時の記事だ。自分でコントロールできることを探して、行動に変化させていくというテーマに則って、リンクを補完するためのサイトを作って公開したという記事だ。

本を読んで、行動をしてくれて、そして現実をよりよくするという、趣旨に合致するアクションが取られたことに純粋に感動してしまった。

パートナーと心の底から信じ合いたい全ての人に、読んでほしい本
https://note.mu/halmatsu86/n/n57661682e074/

この記事は、友人の奥様が書かれたものだ。互いを理解し、リスペクトするというエンジニアリングチームのエッセンスを夫婦関係に適用したことで、夫婦関係や周囲の家族関係が改善したという話だった。あんなややこしい本を読んでくれた上、自分ごとに活かせるという知性と感性に感嘆するばかりだけど、誰かの心に届くものができたのだと嬉しくなった。

技術書を読んで泣いてしまった。
https://anond.hatelabo.jp/20181108215617
知り合いの創作増田じゃないことを願う。自分の勘違いじゃなければ、これは僕の本のことだと思う。何処かの誰かを2名もやめさせたっぽい。担当編集の友人じゃないかと密かに邪推している。

この本には2年の時間がかかった。処女作だというのもあるが、1冊の本を書くだけであれば、ここまで一冊に入魂をする必要がなかったのかもしれない。本というものに対する偏愛がそこにはあるのだろう。自分が単著を書くのであれば、ただ筆力で語りたいと思った。自分が誰であるかとか何をしたかとかは関係のない、ただの個人として、特殊な体験談でなく、ありふれた体験から自身の思考力をかけてものを語りたい。

そして、誰かの思考と感情を揺さぶりたい。そう思った。

そういえば、中学生の時に、図書館にこもって社会学・宗教学・心理学・哲学・民俗学のコーナーに一日中引きこもって、ファンタジーゲームの原典や人文科学に興味を持って読み漁っていた。中二病というやつだ。

そういえば、僕は高校の時、文芸部にも所属していた。演劇の台本を書いていたし、深夜AMを中心にハガキ職人もやっていた。エヴァの論考でコミュニティをざわつかせたりしたし、ポエム板で散文詩をあげるクソコテとして専用ファンスレがあった。文章が好きだったのだろう。他にもゲームのスピードクリアに熱中したり、ロムデータやセーブデータの書き換えをやったりしていた。

そういえば、大学の時、情報処理系の試験の範囲に関して問題を解くだけではなくて本論文や関連書籍を一通り読んで、大学の図書館を使い倒していたことがあった。何らかの焦りがあったのかもしれない。

まだまだ黒歴史はあるのだけど、それを語りたいのではなくて、多くの人にとって「何でそんなこと知っているの?」「何でそんな無駄なことやっているの?」という話だ。全く効率的ではないし、全くロジカルでもない。

やる価値があるのか、はたまたないのか。そんなことは実のところどうだっていいのだと思う。

こういった無駄に思えた全てが何か意味を持って人に影響を与えていく。人生はきっとこういうものなのだ。

僕は最近、「目的と手段の転倒こそが愛」だといっている。すべてがより上位の目的に吸収される時、ひとは生きる意味なんてなくなってしまう。どこかで目的と手段が転倒して、手段のために生きるからこそ、人生には愛がつきまとっている。

言い換えれば、何かに執着して固執することがなければ、それは愛のない人生なのだ。少なくとも1つ、僕が何かに固執して執着してきた愛の形が、形になって、人に影響を与えられたのであれば、それ以上の喜びがあるだろうか。

エンジニアリングと組織の関係について、より多くのビジネスパーソンに知っていただきたいという思いで投稿しております!