ここから。

今までに体験した事がない精神的な圧迫感を感じました

しかし僕はまだ余裕があります

去年の僕じゃ耐え切れなかったと思います

今年これが来た、という事に思う事があります

今の僕にこれが必要な事だったのだと腑に落ちます、多分前々から心は備えていたんだろうと思います

そう考えると僕はまだまだこれからです

精神的な圧迫ももうちょいあってもまだ耐えられます

泣きっ面に蜂、という言葉があります

嫌な事が二度重なる

しかしこれは備えていれば、想像の範囲内であれば精神的にはまだ、余裕が生まれるはずです

僕は思うんです、まだまだこんなもんじゃないだろう?と

もう一発くらい食らってやろうという精神です

どうせならとことんぶっ壊れて仕舞えばいいとさえ思います、投げやり、自暴自棄、とは違います、何が起きても負けない力をつけたいのです

自分に自信を持っていたいのです、絶望した時、心に再び火を灯せなければ本当の絶望です

火を灯す意志があれば希望も生まれます

こんな大層なことを言うには、僕の精神的なものなど鍛錬にも入らない、ささやかな事です

思えば自分で考えて、ことを大きくしたに過ぎないように感じます

何もかもが自分の芸術のためです

自分が作り上げたものを根底からひっくり返されたのです、とてつもない苦痛でした

しかし、余裕があるんです

こんな自分がムカつくんです

なんでこの程度?

全部吹き飛ばされたのに?

たかだか僕の芸術はこんなもんだったの?

自分が悔しいんです、僕が嫌なんです

ぶっ壊されても何も変わらない自分が嫌なんです、惨めなんです、哀れで、虚しいです

なのに、やっぱり絵を描くことは本当に幸せなのです、こんなもんじゃないと前へ前へと進もうとする自分がいます

人生をかける価値があるように思えます

しかし、全くそんな価値がない様にも感じます

芸術なんて、精神の崇高さや、純粋さや、偉大さで、決まるものじゃーないと思うのです

ましてや、技術や技で決まるものでもないと思うのです

何も決まらない事が良いのです

これは?となんとなくふと思うものでいいのです、何も大層に大声で、美しいっ、とか、素晴らしいっ、とか、そう言うものじゃないと思います

言葉に収まる様なものなら文学でいったほうがいい

言葉とは違う視覚から精神へのコンタクト、コミュニケーションが絵画というものだと思います

文学を、読んで感動した時、絵画を見て感動した時、言葉が出ずに、心がただ、揺れ動くのを、感じてそれに浸ることしかできません

それで良いのです

音楽だって同じでしょ?言葉で説明し直さなければ、理解していなければ、ダメなんて事はないのです、心が揺れ動くのをただ感じることしかできないのです

独学、歴、肩書き、その他のそれらしきものたちですら、芸術を測れるものではありません

これらはジャンルでしかないのです

独学で絵を描き続けたというジャンルの画家とか

何年絵をやり続けた画家というジャンルや

どこどこに入選したことのある画家というジャンル

正しい道もないし、間違いでもありません

それがどうした?です

絵を描きながら、共に流れて行く人生という時間が自分の芸術に作用して行きます

芸術が人生に作用したりもします

芸術という言葉なんて関係ありませんよね、実際

そんなもんじゃないはずです

芸術を覗く窓がこんなにも小さいのは、僕たち人類の進歩の余地がまだまだあるという希望に他なりません

僕もまた、まだまだこんなもんじゃないのです、逆に言えば今はこの程度なのです、悲観することなく、前へ前へ

ただただ今をしっかり生きる事

起こる全てに感謝します😌🙏

#芸術 #芸術家 #画家 #言葉 #人生 #生きる #飯田大輝




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?