芸術の芽
僕はこの3年間絵を描いて来た
絵画を描く為だけでは無いけれど、旅行先では常に画家の目を持って景色を眺めたし
聴いたし、考えた
旅行としての思い出も、絵画にする事で自分の中でより色濃いものになっているのは確かだ
日常生活だって僕は画家の目を持ってる
3年前に画家になったから!じゃない
もともとそうだったものが画家という明確な形を得たと思う
僕の部屋のベッドに横になると目線の先に広島の弥山から眺めた瀬戸内海の風景画が見える
僕はそこに一度しか行ったことがないが、あの時の感覚は今でも肌で感じる
この景色が今のこの瞬間も変わらずあの場所に行けば見れるという感覚はただの旅行先で見たという思い出よりも少し違った感動を僕に与えてくれる
僕が描く絵画は全て僕が行き、見て、聴いて、触って、実感したものだ
僕は自分の絵画に嘘はつけない
知ったかぶりもできない
自分が感じた以上の事を僕は絵画にできない
僕は自分の感受性を信頼している
それが他の人に理解できなくても仕方ないし、あるいはつまらないものとして素通りされてしまっても仕方のない事なのかもしれない
しかし、人同士はもちろんのこと、出会う本や、舞台や、歌や、景色やらなんかは何かしらの縁があって僕の元に来た
それならば、僕の描いた絵画も、何かしらの縁があってどこかに行くんだろう
その一つのきっかけになるのが今年の10月にある飯田大輝「醒め方を知らない夢」展であってほしいと願います
少しでも多くの方に
今日が芸術日和だと感じてもらいたいです🙏
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