芸術

頭の片隅にずっとずーっと居座っている者がいる

それは僕を見下したりもするし、引き上げようと手を差し伸べて来たりする

僕からしてもそれは恐怖でもあり希望であったりする

画家として今上野のぼろアパートでひっそりと描いて公募展に出したり個展をしたりグループ展に出したりしている

上野は優しい街で実はすごく冷たい

それは東京っていう広い枠で見ても同じことが言えるのだが、東京の地域性で多少の差を僕は区として分割して判断しているに過ぎない

西東京から越して来た僕は品川に来た

街はやけに息苦しくて住んでいる意味が僕には無かった、ゆういつの慰めが映画館と本屋だった

そして越して来た先が台東区の上野である

なぜか心がホッとして長く住み着いているが

別に対して遠くに来たわけではない、歩いて行ける距離なのに、自分の中ではやけに上野に対して親近感を持っていた

それは美術館があり僕の好きな洋画家達の生きていた頃の影を時折街角で見かけるからである

追いかけても決して背中も見せないが建物の角に影だけが見えるのだ

湯島の方に額縁の専門店がありそこの店主は90歳を超えている、後継はなくこの代で終わるだろうと言っていた横顔は悔いはないがどこか寂しげ

店主がまだ小さい頃、当時貧乏画家だった棟方志功が買えもしない額縁を見に店の前をうろうろしていたという

ボロい額縁を当時の店主が渡すと喜んでいたあの棟方志功が今となっては世界の棟方志功なのだから恐れ入る、と嬉しそうに語る

上野界隈は他にも僕の好きな画家の長谷川利行が徘徊していた

僕が二科展へ絵の審査に出すのにお世話になっている上野彩美堂は長谷川利行もよく訪れたという、聞いた話によると彩美堂の昔の店主が個人的にも長谷川利行と親交があったらしい

上野を歩いていると街角でばったりその方々に鉢合わせる様な気がする

いずれは僕も上野を徘徊する画家の影として誰かに追いかけ回されることになるんだろうか?と考えたりもする

考えれば考えるほど随分と迷惑な話だとは思う、成仏もできたものではないなぁ

しかし芸術は完成することはなく、生涯をかけて追いかけ回した画家達がすんなり執着なくこの世をされるとも思えない

もしそれを可能にするとしたら、残された絵画達をみた人々が心震わされ画家に感謝をする事によってであると僕は思う

しかしそんな有名な画家ばかりなわけがない

無名のままこの世を去った数多の画家達がいたのだと考えると僕は足がすくむ思いがする

それと同時に僕は愛情を持って先輩芸術家達に手を合わせたりする

芸術の火は消えずこんな底辺の画家の僕にまで届いている事に、芸術の優しさを見る


そんな芸術の優しさにいつまでもあぐらをかいて享受していても仕方ない

僕には僕にしか出来ない芸術の仕事があるのだと思って今日も

キャンバスをイーゼルにかけ眺める

パレットに絵の具を出し

とき油を注ぐ

筆を持ち線を引く

一つの儀式みたいだ

祈りのようだ

誰かに届くように心から願っています。

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