インスタント芸術ではなく、血と骨のある芸術を

今更だけど、去年乃木坂にある新国立美術館で、行われた第103回二科展にて入選し、展示された僕の絵画「生きとし生けるものへ」についてのメッセージがとある団体から入っているのを見つけた

別に大した期待は抱いていないが見てくれた人がたしかにいたのだということは充分励みになる


それと同時に、画家を志す上で、やはりお金というものはどうしても描き手を苦しめるものとなるということを実感してる

お金がなければ、画材が買えず

出展もできず

個展もできず

モチーフ探しの画家旅行にも行けない

そのお金を絵画で生み出そうと考えるのだが、そううまく行くものでも無い

だからバイトをしているわけだが

「それはプロとは呼べない」

「現実見なよ」

と言われてしまう始末である

プロだとかアマだとかそんな感覚的なものを考えてはやって行けない

気持ちはいつでもプロなのだ

そして現実を見ろという言葉

現実を見て行動しているに決まってる

極端な話、芸術を志していない人からすれば非現実的なだけであって、僕達芸術家は現実と正面から話し合ってこのまま進んでいこうという話し合いを日夜行なっている

これは僕が思うことだけれど、芸術に、魅せられた人が現実を見て芸術から足を洗おうものなら埋めようの無い穴が確かに心にあき、現実を生きるにはあまりにも絶望的な気持ちになるだろうと思う。

折り合いをつけた人だけが生きていけるんだろ

芸術家には芸術家の現実というものがある

第1、みんなのいう現実を見たとしたらつまり、どういう事をするべきという事なのだろうか?芸術家は現実を見てどうするべきなのだろうか?

現実を見て芸術を志すのが画家の役割であるように僕は思う

そこにはその人なりの意思や情熱が確かに練りこまれている

だから

はっきり言ってそんな事どうでもいい事なんだろうと僕は思う

それがどうした?とさえ思う😂

現実を見ろよと言われたら、わかったもう少し見てみようと伝えればそれでいい

その人が現実を見てなにをしている人なのか?には興味が湧く

現実を見るだけなら誰にでも出来るのだ

現実を前に自分が今なにをするのか?したいのか?を考え行動選択をできる人がまさに今を生きる人なのである

僕達芸術家は人に言わないと思う

「現実を見ろ」なんて言葉は。

芸術で語るのが芸術家

わざわざ口に出したところで人それぞれの現実があるという事を理解しているからである

僕にとっての今の現実は

お金が無いが、絵を描いて、発表してまた絵を描いて、死ぬまでに自分がどこまで描けるのかを自分自身が見てみたい、今の自分の思いや言動、行動ひとつで確実に未来の芸術が変わっていくのがわかっている

今が大切なのだ

そのためにいろんなものを見て感じで体感して、芸術に昇華したいと思っている

そしてその芸術が誰かの目に映り何かを語りかけたならそれほど感動的なことはないだろうと思う

僕は語りかけられ、芸術家の道へ進んだ

感謝しています。

それに画家を志している以上、口には出したく無いが、僕には間違いなく才能があると思っている

今がどんなに厳しい状況だろうと、僕は自分を信じている

後はそれを証明するだけなのである

承認欲求も確かにあるが、それだけでは満たされないものがある

承認されるだけの努力と情熱を傾ける事が出来ているのか?が大切なのである

売れればいいというものじゃ無い

ラーメン屋とカップラーメンじゃ多分カップラーメンの方が売れてる

そういう優劣の問題じゃない

間違いなく今日も芸術日和だ!

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