画家としての飯田大輝
いやはや
次の絵何を描こうか?
感動しようと思って感動するのが無理なように
描こうとしてもまずは何かに心震えなければ始まらない
なにわともあれまずは心から
そのためには色んなものを観て聴いて考える必要がある、そして、たまには頭の中を空っぽにして過ごしてみたり、仕事に打ち込んでみたり
突破口はポジティブなことばかりじゃない
このままじゃ良くないとふつふつと思い始めた時、心に何かが生まれている
じゃーどうしようか?
何を描こうか?
何を表現しようか?これは間違っている
自分が前にでちゃダメ
表現の前にそこにある何かを大切にする事が大事だ、脚色する程に虚しくまさに偽物になっていく気がする、これは僕の技量のなさかもしれないが
人間的に自分を自分以上の人に見せようとする心が好きじゃない、その逆で、自分を下げて下げて何かを待っているような人間も好きじゃない
多分この二種は同じ事なんだと思うな
僕は嘘が苦手、下手だ、すぐバレる!笑
僕にも何かを脚色したいという欲がある、それは大体自分という人間を!!という感じなんだけど、これが芸術の邪魔をする
ややこしいのはこの欲によって自分がどういう人間なのかを知る手がかりになるという事だ
自分を上げるにしろ下げるにしろ、苦しくなるのは自分だから、いやでも思い知らされる
本来の自分よりあげて見せたい人は、自分に劣等感を抱き
本来の自分より下げて見せたい人は、自分に自信過剰だと思う
全ては逆、そう見せたいという事の逆に真理があるように思う
このような現象を他に見るなら、もしくは自分を客観的に見る分には、良い芸術の材料となる
そこに自分が埋没してしまうなら、甘んじてしまうなら芸術は虚しくなる
芸術家としては真っ直ぐにそれを見て、目を離さない強さが必要になってくる
というよりかは僕という画家の芸術(人生)に対する考え方である
それができれば苦労はしないが!笑
人間として、僕は確かに欠陥がある
芸術家としては素直でいたい
絵では嘘をつきたくない
本当の芸術というものを僕は追求したい
言い方によっては、芸術は本物ではないのだから嘘の塊と捉えることもできるが、それを作った本人にはそれが本当であるべきだ
周りの人がこれは変だとか、これは違うだとか、もっとこうした方が良いだとか、こうしない方が良いだのと
こんな言葉に振り回されて何もできなくなってしまうなら、それは嘘だったんだろうなと思う、それを信じてあげられるのは作った本人しか先ずはいないのに、見捨ててしまうのは虚しい
海外のことわざで
色んな人の意見を聞いて家を立てると歪になる!
というものがある
そうして出来上がった家を自分はきにいることができるだろうか?
誰の責任でもなく、自分の心の形が現れたことになる
結果としてそれは皮肉にも真実である
これはまた、違った筋の話かもしれないが、僕は芸術家として自分の意見を心を、持つことが必要である、芸術家としての筋の事だ
お互いがお互いを尊重しあい生きていく事には賛成だけど、尊重とは何だろうか?
尊重して黙る事だろうか?
僕が好きな長谷川利行やらなんかの芸術家達を僕が画家として尊重して黙る事?これは流石におかしい
尊重とはそういう事じゃない
尊重から何も生まれないのはおかしいとおもうんだよな
芸術家とし誰かを尊敬して尊重するとしたなら、どうするべきか、自分が同等か、それ以上のものを作ってやるという力がみなぎって来なければおかしい😌🙏
尊重の対義語は軽蔑か?
その両端の答えがともに何かを生み出す力が無ければおかしな話
この両端から同じものが生まれる事だってあるんだろうと僕は思う。
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対面「爺」
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