「事の顛末に関しての供述」(『人間嫌い』2017年より)

先に書籍の紹介をします。そのあと、本編です!

収録電子書籍情報:
『人間嫌い』
価格:¥280(税込)
著者:松倉弘城(Hiroki Matsukura)、竹内誠也(Seiya Takeuchi)
発行:竹松社(Chikushousha)http://chikushousha.wpblog.jp
販売:Amazon Kindle→https://www.amazon.co.jp/dp/B07375CLV9
発行日:2017年6月25日
ISBN:978-4-9909572-7-8

人間自体でありながら人間自身を嫌う、人間ゆえに逃れ得ない永遠の矛盾と葛藤を描く。二人の人間嫌いが人間の汚さを存分に詰め込んだ二冊目の共著「人間嫌い」を、ブックパブリッシングレーベル竹松社が発刊。

本編のはじまり、はじまり…。

「事の顛末に関しての供述」

 深夜に目が覚めてね、いや、深夜というほどの時間でもなかったような気もするんだが。友人と電話で少し話した後、自室で休んで、それで目覚めたんだ。眠りに落ちたのも日が暮れてからで、起きたのもまだ夜の内だったってわけだ。

 目覚めると何もかも打っ棄ってしまいたくなるような気分になっていたんだな。それで駅へ向かった。だがね、本気ではなかったと思うんだよ、打っ棄ろうってのは。もし本気だったらね、それこそパスポートと財布と、外は未だ寒いんでコートとだけ引っ掴んで家を出たはずなんだ。だけどだよ、その時の僕はそうだな、家のカギに図書館の本なんか鞄に入れてね。パスポートだって手に取らなかったんだから。無意識の自制がすでに利いていたものとみえる。

 駅に着いてね、隣の県の大きな街ならなんかあろうよって気がしたもんだからさ、たまたま出ようとしていた終電車に飛び乗ったんだ。その終着駅ってのが大きな街だったってことさね。でその大きな街ってのが金沢なわけだ。一時間ばかり電車には揺られたかね。うまく席に座れたからずっと本を読んでいた。件の図書館の本だよ。隣には中年の男が座っていてね。そいつも本を読んでいるって具合だ。ただ、ひとつ奇妙なのは読み終わったところからその男は本を剥いていくんだよ。引き千切って自分の鞄に詰める。やれ乱暴なことをするもんだなと僕は思っていたんだけどもさ。

 そんなことを続けているうちに僕はそいつを気にしながらも本の中にのめり込んでいってしまって、そうしているうちに金沢に着いたってわけだな。金沢も寒かったんだよ。そりゃやはり北陸だからね。そして思ったほどの光ってのは見えないわけだ。これはあとから分かるんだけどもね、金沢の繁華街ってのはつまり駅前にだけあるわけじゃないってんだな。むしろ駅前の繁華街、というか光ってのはこの街のおまけみたいなもんでね。別のところに本丸がある。このことはまたあとで突くことにして、まずは駅に着いてから僕がどうしたかってことだな。

 最初に駅の周りを回ってみたんだ。何か夜の、だいぶんの夜になってしまっているわけなんだけども、その時間でも何か面白いようなところや独りでも入りやすそうな小料理の店なんかを探してみた。でもよ金曜の夜だ。どこもここも誰かと一緒になった集団がたむろしているだろう。僕の居場所はなかったんだな。しかも寒さが堪える。風はないんだがね、沁みる寂しい寒さなのさ。もう三月も後半だってのに、北陸はやはりどこも寒いわけだともう一遍思ったよ。

 僕は駅から離れることにした。といってもだよ、何のあてもあるわけじゃない。隣の県なんだけども、この街にいる友人なんて一人でしかも妻子持ちだ。こんな時間に呼び出すなんてのは気が引ける。僕は京都や大阪ならよっぽどよく知っているんだけども、隣の県のことは何も知らないんだから滑稽で、どこへ向かったら光に出会えるかさっぱりなんだよ。英語がわかっているのに隣の国の北京語だとか朝鮮語だとかを知らないのに似ているかね。だからとにかく僕は駅を離れてむやみやたらに歩き回るしかなかった。

 正直言うと少しひやひやした気分を味わいたかったんだな。生きているのを味わいたかったというと大げさだね。でも少しは似た感覚だと思うね。生きているのを感じたいから少しの危険に触れてみたくなったんだ。そのためには少しばかり人が多くてごみごみして、何かに引っ張り込まれるか、面倒に巻き込まれるようなそんなところを探す必要があったわけさ。

 なんせ少し行くとね、そこに珍しく日を跨いで営業している喫茶店があってね。迷わず入ったよ。寒かったし珈琲をひっかけたかったからね。中に入って珈琲を頼んで、客層を眺めた。若い女の二人組と年を取った女の二人組がそれぞれにぺちゃくちゃやってるんだ。どちらも少し酒を入れたんだろうな、妙に上気していた。そんな感じで、なに、少し興が冷めるだろ。どこにでもある風景なわけだよ。店主が店を閉めるっていうんで店中にふれ回りだしたから、僕は言われる前に席を立ってね。それでその店からは去った。

 そこから少し行くとね、光が見えた。駅前とは比にならないくらいのまばゆさで、僕は少し安心したよ。このままじゃ出てきた街と変わらん具合じゃないか、しょせん北陸だとあきらめなきゃならなかった。あきらめるってのは嫌だったんだよ。わかるだろう、打っ棄るような気が少しはあって家を出たのに、あきらめるなんてのは、それは敗北さ。だから光の塊を見つけて、当初はさ、安心したんだ。

 その繁華街の具合はそうだね、京都の四条河原町から鴨川側、木屋町なんかのあたりによく似てるように感じた、人の量もそこそこ多いんだよ、これは最初の内さね。でもってこの感覚はあとで確信に変わるんだ。やはりね、金沢は小京都なのさ。ここでしょせんという言葉を使うね。僕の入った繁華街は実際河原町なんて名前のついてるところもあって、河にかかる橋の手前に広がっていた。木屋町の風情はそこにもあって、しまいには先斗にあたるような筋も在ったりして、実際の京都もよく考えりゃ、駅前よりも四条河原の辺りの方が栄えているじゃないか。人の量だってやはり小京都に似つかわしい量だよ、違うのは言語くらいで。もう全部わかったような気になっちゃって、なんだか興が冷めちまうわけさ。

 範囲も狭くてね、少し行くともう繁華街から出ちまう。で、僕としてはひやひやしたいわけだから深く入っていこうとするだろう。なおのことだめだよ。なんせ底の浅さが露呈しちゃうんだ。回っていると客引きもいてね。それがまた木屋町や宗右衛門界隈の奴らなんかに比べると非常に頼りがないんだよ。街は既視感にあふれていた。嫌なもんだよ。打っ棄ろうという気持ちがなえちまった。そんなときにね、客引きの内に東南アジアの出とみた、たぶんあれはタイさね、そうタイの出とみた女がいてね。これが「マッサージはどう」なんっていうわけだ。これはもうあれだ、ミナミの日本橋の辺りを走り回ってた頃のことを思い出しちまってね。あの頃、ミナミでマッサージ屋を走り回ったってのは、こっちが客になろうというんじゃなくこっちが金をあっちからむしり取ってやろうってことで行っていたわけだ。

 未だに夢でも見るんだがね、僕はある夕方時に一軒の雑居ビルの地下階へ潜っていったんだな。じめっていてそれで暗いんだ。雑居ビル自体がもういわく付きな感で満ちてるわけなんだけども、その地下階ってのはさらに酷くって間違いなく合法の生業でないってのがわかるわけだ。しかし、それでも仕事だというんでね、僕は潜っていったわけだ。地下階の廊下の階段から一番近いドアが開いていて、桃色の布が、変に柔らかい色の光と一緒に戸外に漏れてるんだ。ドアを引いたらすぐのところに女がいて、あれは中華系じゃあないかと思うんだが、僕の姿をすぐに認めて「お兄さんマッサージ」なんて言う。女は服のはだけ具合がひどくて、動くたびにいろんなところが見えそうになっているんだが、かまわないっていう様子でね。最初クスリの悪魔にでも憑りつかれたかのような目の色でギラギラと僕のことを誘っていたんだけど、しかしだよ、僕はすぐに仕事の話を始めてしまったから、一瞬ですべてが変わってね。女は敷物の洗濯物やなんやを始めちまうんだ。目の色もまるで地下階の廊下そのものみたいな色になって、時々こっちを振り向くんだがもう僕のことなんか見ちゃいない、捉えていないんだ、その目が。そんなことしてる間にシッシッなんてやって僕のことを追っ払っちまう。そんなことがしょっちゅうだったさ、ミナミにはそういうところが多かった。それでもあの時分は特別ひやひやしたこともなかった。それもあれが仕事だったからだろうね。

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