見出し画像

10連休でぐちゃぐちゃだからこその、素敵な違和感が待っています。

夏休みとも、年末年始とも異なる「もらい事故」のような10連休。「10連休終わって元どおり復帰」なんてことはあり得ず、幸か不幸か、誰しもが別の人間になっていることでしょう。日々のリズムも狂うし、ひとつの時代が終わることになってるし、感慨に耽らないといけないのかもわからないし、否応無しに心身ともに環境変化に晒される10連休です。

それでも生き延びなくてはいけない動物としては、慣れない連休に翻弄されながらも、<揺るがないもの>の確かさを探し出し、すがりついていくしかないのです。それは、疲弊する自らの肉体の声に耳を澄ますことであり、カレンダーを知らない子供や動物の温度に触れることであり、幾千年も変わらず芽吹き続ける新緑を浴びることであり、ヒストリカルで血の通った名著や名盤に沈潜することであり、風や波や雲や月や地球を巡るものたちの位置を確かめることであり。

10連休でぐちゃぐちゃに乱れた自分を繋ぎ止めておくための、そんな<揺るがないもの>たちの確かさは、連休も後半になるとじわじわと細胞レベルで浸透を始め、いよいよ<揺るがないもの>なしでは生きていけない体になり、復帰を拒み始めることでしょう。

それでいい。それがいい。その違和感がいいのです。
10連休という、押し付けがましく恣意的で非自然的な、不規則な時間だからこそ出会うことができた<揺るがないもの>の確かさは、必ず復帰後の指針のひとつになります。考え方や立ち居振る舞いに、新鮮な変化をもたらしてくれるはずです。無理に戻そうとしなくていい。そもそも、できませんから。連休明けに世界の見え方が変わり、違和感に逡巡し、思索であふれてくるならば、それはそれは素敵なことだと思います。浅はかな人は「五月病」だと揶揄するでしょうが、10連休前の状態に無理に戻そうとする方がよっぽど「不健康」ですから。

迎えてみるまで10連休は嫌で嫌で仕方ありませんでしたが、ここまで書いてみたら、まぁ面白がり方もあるなぁと気づいたわけです。はい、もうすぐ連休折り返しですよ。