【百科詩典】とうきょうラブストーリー【東京ラブストーリー】

とまれ、『東京ラブストーリー』を観て、私がまず驚いたのは、22,3歳の主人公たちの可処分所得の大きさであった。(中略)
織田裕二はドラマの中で一度もカップラーメンを食べないし、ハンバーガーも食べない。
四半世紀前の若者はほんとうにリッチだったのだと思わず嘆息が漏れた。

けれども、それ以上に私が驚いたのは、勤務先の上司(西岡徳馬)の部下たちに対する甘さである。(中略)
いや、よい上司なのである。
部下のミスを咎めることもしないし、居丈高に恫喝することもしない。
「お前が責任とれよな。オレは知らんぞ」というような非道なことも言わない。(中略)
まるでものわかりのよい「お兄さん」である。
部下たちを暖かい眼でみつめて、彼らの成長を気長に待っている。
これが今から27年前の「トレンディな上司」だったのだということに私は胸を衝かれた。(中略)
四半世紀前には、若者たちの周りには「そういうものわかりのよい上司」が現にいたのである。
「ブラック企業」というような言葉も90年代はじめには聞いたことがなかった。
もちろん、人間の質それ自体はそんなに短期間では変わらない。
だから、変わったのは人間ではなく、時代の気分なのだ。
平成のはじめの頃は「まあ、いいじゃないか。いろいろ若い連中には考えはあるんだろうから。やりたいことをやらせてやれよ」というようなことを言うのが「政治的に正しい管理職」だという気分が支配的だったのである。
そしてそのような気分は四半世紀経って見事に、跡形もなくかき消え去った。

~内田樹『街場の平成論』