見出し画像

ひとのいたみがわからない /「縦の旅行」考、その2

昔の話である。
溺れていたのだが、掴む藁がなかった。
いや、正確には、「あったのだが、掴めなかった」。

画像6

今現在、膨大なハンディキャップを埋めて、不器用ながらそれなりに希望を持って犬掻きできているのは、(1)創作を続けてきたことで生まれた縁があり、(2)虐待があったとはいえ、経済的にはまぁまぁ恵まれていた家庭環境で、「女子だから」と言わずに施された教育があり、(3)いくらかの専門技能があり、そして、(4)人に助けられ、人を頼ることを覚える機会に恵まれ、(5)人の縁に気づく注意深さを学ぶ機会があり(6)どうにか公的支援にも繋がり、どうにか浮上できたからだ。あとは、おそらく、よくもわるくも根底に強烈な我を持っていることもあるのだろう。これらのうち、どれが欠けていても、今の自分はない。自分はおおむね幸せだし、運がよいのだと思う。

前回、カズオ・イシグロ氏のインタビューとコールアウト・カルチャーについて考えたことを書いたけれど、再び、これは、別の角度からの、自分の20代についての話。

南風先生の居候をやめてから3年ほど、家賃30000円の部屋で暮らしていたのだけれど、またしても(そう、またしても、なのだった。京都時代は、旧居からの退去で特殊清掃業者を呼ばれている) 生理用品が買えなくて床を汚し、「断食」と称して一週間食事をしないような時期が頻繁にあり(そして躁鬱からの過食嘔吐もあったため、体がむくみで滅茶苦茶だった)、水道と電気がしょっちゅう止まり、歯がぼろぼろになり、神社に水を汲みにいき、病気の野良猫みたいなありさまで暮らしていた。
住み込みのバイトは、運が悪くて派遣先の人間関係がうまくいかないと2週間で解雇だった。そんなこんなの貧困生活で学んだことのひとつは、「持たざれば施せない」ということだ。

そんな中で、年に2回ほど、ヴィパッサナー瞑想のリトリート(合宿)に通っていた。日本ヴィパッサナー教会の合宿は寄付制なので、お金がなくても参加できる。その代わり、何度か参加すると、食事などを用意するボランティアワーカーとしての参加が推奨される、という措置があるのだが……質素ながら三食昼寝つき(※昼寝ではない)の安定した生活を2週間弱続けられることへの感激と、うまく社会に貢献できないことへの代償感から、コース終了のたびにボランティアを希望して、そのたびに断られていた。

「あなたはまだ、落ち着きが十分でないから、人に施そうと考えてはいけない。座り込みなさい。まず自分を整えなさい。たくさん働いてお金を稼げるようになったら、そのときに思いきり寄付をしたらいいわ」
おおむね、このようなことを言われた。
日本ヴィパッサナー教会を行う上座部仏教の宗派(厳密には宗派ではない)はゴエンカ派と呼ばれるが、私は他の瞑想センターに参加したことがないので、知っているのはゴエンカ派のリトリートの講和のみである。
寄付制、これは言い換えると「参加中は施しを受ける立場になる」ことであるという。僧侶の托鉢を同じ。出家した僧は、「自分のものを持たず」、「我を滅却するために」托鉢を行う。施しを受ける行為には訓練が要る。それを学ぶべきとき、どのような使命感があっても、人はただ学ぶしかない。

あの時期があったから、支援に辿り着く手立てを打てるようになったのだろうな、という実感がある。

ここまで思い出したら、生活を立て直せた理由をもう一つ増やすべきだろう。生き方の一部として瞑想を学べたことだ。あの頃の私は、人の苦しみを救いたいとたいそれたことを思っていた。今も思っている。けれど、それをやるためには、まず、ただしく生きなければならない。自分が救われなければならない。自分が救われるためには、柔らかな心を持たなくてはならない。

ほし

さて。私は単純な経済的貧困、障害者として必要な支援を受けられない生活、支援に繋がれない生活、それがつらいということ、そこから抜け出す困難さを知っている。けれど、そのうえで、「浮かび上がれない貧困」を想像できるだろうか、ということをよく考える。

それは、どうにか立ち上がる杖がなく、学ぶ機会がなく、「落ち着きを取り戻す」機会を得ることがなく、迫害的な、あるいはお互いの手足を食い合うような―――貧困がもたらす精神の不安定は、悪意を呼び寄せる。そうやってすかんぴんにされた個体が支援に繋がることは、現在の日本の福祉制度においては極めて難しい。
さらに、窮すれば鈍ず。「支援を求める」のではなく、「暴力を振るい、他人を支配する」以外の生き方をしらない人間を相手にするのは、一般人には荷が重い。しぶとく這い上がる器量があればよいけれど、軽度でも障害があると、人は支援に繋がりづらい。いろいろなしがらみが生まれては絡まって、人は余計に出口を失う。

あるいは、沈んでいく貧困もある。

どうにか恵まれた、あるいは平均くらいのレール、客観的には絶望的な環境になくとも、精神的に自立できないが故に、常に意のままにならない他者に憤り、他人と自分を比べ、「より優れた人生のカード」が自分に配られないことに憤り、社会的弱者への憐憫にすら手当たり次第に嫉妬する。怒り狂う人を見たとき、多くの場合、他者の行動はふたつにわかれる。利用するか、距離を置くか。
そうなると、もう、そのひとのまわりには、ろくな人間が残らない。関係性の貧困から本当の貧困へと、老いに伴ってゆっくりと沈んでいく。そういうひとびとはいる。それもまた不幸の形には違いない。

読んで記憶に新しい、「ケーキを切れない非行少年たち」だとか、「子供を殺してくださいという親たち」だとか―――前者は、境界知能故に一般教育のレールに乗れず、犯罪を繰り返す少年犯の人々を、後者は家族と社会の陥穽に落ち込んだ重度精神病患者を、所謂「連れ出し業者」の視点から描くノンフィクションだ。読んでいて感じるのは、「岸辺に立たされている」感覚である。あるいは駅のホーム。かつてぎりぎり這い上がった岸がある。激流がある。そこにいたのは自分だったかもしれない、という静かな怖れ。

私が人生において「攻撃/虐待を受けた」と感じた経験を得たことは、いくつかある。家庭内虐待、警察沙汰になったつきまといと誹謗中傷、職場でのモラルハラスメント。そのひとびとは、拳を振り下ろしながら(7割直喩)、こういった。判を押したように、同じことを言った。

「私は傷ついている」
「お前は私を苦しめている」
「お前は人の心がわからない、痛みがわからない」

納得いかねえ、と思わなくもないのだ。それはつらい体験だったから。
この手の人々は往々にして、「自分に同情しそうな」相手をターゲットにするの、というのは後に得た学びである。彼らは、しがみつき、試し、責め立てる。意に添わぬという理由で罰する。「怒っている」人に吸い寄せられる癖を意識的にやめて、体裁上は距離を維持する処世に切り替えてから、そういった経験にはほとんど遭遇しなくなった。

彼らは溺れている。その苦しみを全力で想像することはある。憎悪はない。機会があれば、手を差し伸べよう、とはしている。けれど、怒れる人々を前にして私がそこにある苦痛を呑み込もうとした過程、助けたいと願い、行動した事実は、そのひとたちに伝わることはないのだろう。

私には人の心がわからない。彼らの怒りに同調できない。彼らの瞋恚を終わらせる力がない。私は神様ではないから。神様だったらよかったのにね。

noteサム4

苦痛や不安の最中にあるひとは、ときに、怒りゆえに、底の無い羨望と嗔恚ゆえに、「恵まれた」他者に、責罰を与えようとする。正当な権利意識めいたものをもって?というのは、前回の日記で書いたコールアウト・カルチャーの話に通じる。苦しみを共有すればわかりあえる、というのは幻想なのだ―――実際には、苦しみに耐えるちからのない人は、自分の苦しみがもたらすタナトスをもって他者を呑み込もうとする。その結果において、自他の破壊はあっても、救いはない。

苦しみ中にあっても安らかに生きている人はいる。そういう人々は、「他者との対話」が可能だろう。対話を繰りかえす中でどこかで救いを得られる可能性は、そうでない人々に比べれば高い。しかし、怒り続けるしかない人々はどうか。

他者が、分断をわたり、そこへ降りていくことは可能だろうか。語り合うことは可能だろうか。人の怒りに耳を傾けるとき、自分が傷つけられる覚悟を持たなければ、分断を渡ることはできない。そして、そのうえで、刃を向けられたときに自らを守る覚悟と、そのための力を持たなくては、岸まで戻ることができない。つねにそれをできるほどに私は強くない。

怒れる人々をただ「弱者」と定義し、彼らの懲罰感情に同調したとき、そのひとは、もとがいかなる聖人であろうと、扇動者に成り果てるだろう。それに比べたら(事態を悪化させないという意味では)(カズオ・イシグロ氏のインタビューにあったような)「分別ある振る舞いによって、富める者の債務を果たす」姿勢はまだましかもしれないけれど、それではおそらく怒れる人々には届かなくて、「分断を埋める」力としては弱いように思われる。

画像6

社会の進歩は確実に人間の幸福を底上げしたけれど、資本主義に零れ落ちた人々を救う力はなく、井戸に嵌った人間を助ける上で、家族というシステムも、また、十全はない(なぜなら、人間の不幸は底なしであるので、往々にして、関わった全員が同じ場所へ転げ落ちてしまう)。

必要なのは治水のためのダムであり、橋なのだろう。社会の包摂する力を、すこしずつ大きくしていくこと。もやいがなければ、溺れる人を救うことはできない。けれど、仕組みをつくることは簡単ではない。
ここまでの共同体や仕組みの限界を知った上で、どのような人であっても、掬いあげられる「かたちになった」社会を模索するしかないのだろう。手を伸ばして、手を掴める人が限られている以上は。

誰もが納得する解決はない。

「弱者に共感せよ」と謡いながら、ダムを壊し、混迷を深める仕組みが、この世界の至る場所にある。そのことを長引く不安な世情故かステイホームの鬱憤故か、日夜どったんばったんする世界の岸辺で、何を聴きとれるか、私を助けてくれた人々を含む世界のために何をできるか、日々を営みながらずっと悩んでいる。

******

袋綴じ。おいしいもののはなし。

ここから先は

263字 / 2画像

¥ 100

応援されるとげんきになります。わふわふー。