女性向けマシュマロへの返信3

箱推しって本当に箱推しなんですか?

まず始めに「愛」は測れるものではないと一言だけ言っておく必要がある…

だって箱推しでグッズ全部買うなんて言ってたらそれこそ大変でしょ~?

箱推しにも種類があって
・全員が大好きで仕方ない人(例えば少人数アイドルグループとかで誰が一番好きな決められない人)=みんな好き
・なんかそのまとわりが好きで仕方ない人(一人で見るとそうでもないけど、全体のわちゃわちゃだとか在り方が好きな人)=グループが好き
・作品が好きだけどそれほどキャラに入れ込んではいない人(キャラは所詮ストーリーを動かすための装置なので愛着を持たない人)=作品が好き

なんかがいる。
箱推しをよく聞くのはアイドル方面やキャラ方面だから、箱推しという言い方がある時点ですでに単推しが優勢な環境にいると思う。

例えば野球では箱推しなんて言い方は使わない。球団単位で見ることが多いので、物事の最小単位がグループになっている。選手に贔屓はあれど、一人が極めて好き過ぎてその選手がいなくなったら野球に一切興味がなくなるレベルのことは起きない。というのも球団愛の前に、野球愛というものがあり、愛が何重にもラッピングされている状態だからだ。選手愛というものは広げても広げなくてもいい状態の包みで、別に開けていないからといって野球そのものの観戦にはあまり関係がない。

しかしアイドルやキャラ方面の愛はどうだろうか?
最近の推し活ブームの中で「推し」がいるのが当たり前の世の中になってしまった。何かに熱狂していなければいけない。、誰かを熱烈に愛していなくてはならないのは、箱推しの人間にとってはつらい現状でもある。

それは何故か。箱推しというのは信用されにくいからだ。その根拠はマロ主の投稿を見てもらえばわかる。

「推し」はもろに恋愛方面が関わって来る領域である。野球とは違い、剥き出しの愛がダイレクトに伝わる環境なのだ。愛の強さが試される環境と言ってもいい。誰かを本気で好きになることのない箱推しは、そういう感情の濃さでは単推しに負けてしまう。そしてその愛が疑われてしまう。別に曝け出す事だけが愛ではないのにだ。オタクの性癖開示と同じで気持ち悪い自分を晒すと、裸の付き合いよろしく他人に信用されやすくなる。その点、単推しはファン同士の交流において有利になる。

しかしよくよく考えてみれば誰が誰を好きだろうが我々には一切関係ない話で、別に競い合うものでもない。ファンはファンとして自分の推し方を貫けばいいのだが、ファンとしてコミュニティに所属するとそうはいかない。

これはSNSの悪い面でもあるのだが、同じファン同士が集まると、他人との差別化を図りたくなってくるもので、さらには愛をかけて札束の殴り合いも発生してしまう。そういうところをビジネスとして利用されてしまい、ランダムグッズなどの悪しき風習がまかり通ってしまう。

例えば、みんながみんな箱推しな世の中はどうだろう?そこでは誰が出ても当たりしか存在しない世界なので、交換という手段が要らなくなる。グッズにおけるレートというものもなくなり、中古ショップでつけられた推しの値段に傷つかなくても済む。買い物は単純に買うだけで終わり、買った後のストレスとも無縁の社会がやって来る。理想の世の中だが、やっぱりそうは上手くはいかねぇんだな、これが…

人間には多分愛するという本能がある。マロ主だって「箱推しといいつつ、どうせ本命がいるんでしょ~?」な態度であるから、オタク式一夫一妻制な考えである。とすると箱推しは一夫多妻制なので、どうせ全員を愛するなんて無理と踏まれている。私はハーレムを形成したことがないので、夫が妻を全員平等に愛することができるかはわからない。

しかし愛が多種多様であるように、全員に振り分けられる愛というものの存在も否定しがたい。例えば公園で遊んでいる子供たちを見る優しい老人の眼差しのような、強烈でなくても確かにそこに存在する愛はある。

みんながみんな恋人に対する熱のこもった視線を推しに送るわけではない。
友愛、兄弟愛、母性愛、父性愛、親愛、敬愛、人類愛、隣人愛、そして郷土愛……それぞれの想いを託して愛しているのではないだろうか。

そう言えば最近。自ジャンルのことを「実家」や「故郷」と称している人をよく見る。私にとっての文アルもそんな感じで、人生においてかけがえのない作品であり、自分のルーツでもあり、文豪が全員好きという稀なコンテンツであり、時折テレビでBGMが流れると無性に嬉しくなったり、界隈のオタクが元気だと自分まで元気になってくるようなジャンルである。

確かにその中にも推しはいるけど、だからといって他のキャラが大切じゃないわけでもなく、存在しているだけでなんか満たされるそういう何かがある。だから誰がアニメに出たって、舞台に出たって、グッズになったって構わないし、それで喜ぶ人がいるならいいやの気持ちになるのだ。多分箱推しってこういう気持ちなんだと思う。他人の幸せが自分の幸せ、誰が選ばれたっていい、奪い合うこともなく、競い合うこともなく、心が穏やかでいられる唯一の方法、それが箱推し…コンテンツ自体がもう育っていく孫を見るような感覚。

勿論箱推しにだって悪いところもあれば単推しにだって良いところがある。しかし最近のコンテンツというかビジネスのモデルから考えれば一番病みづらいのが箱推しなのかもしれない。いや違うな…メンバーに何かあった時、一人分の病みで済むか全員分の病みを与えられるかで全然違うしな…メンバーの脱退やグループの解散でもダメージ追うしな…

結局一番いい推し方なんていうものもなく、みんな公式に吸われてヨボヨボになるだけ…そうだみんなでおばあちゃんになろう…時間と死だけは平等だからさ…



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