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令和にクジャの尻を追いかけた話4~突然の刺客~

羽生結弦選手がトランスクジャのテーマ曲である「破滅への使者」をプログラムに使用したことでFF9界隈は祭りのように賑わっていた。

一方私はと言えば、ゲームプレイ中にクジャの最終形態であるトランスクジャのネタバレを受けてしまい、内心では苦虫を噛み潰したかのような表情に。FF9プレイ中に羽生結弦にネタバレをされる。あり得なさすぎるでしょ確率的に!そもそも発売から二十年は経過している作品にネタバレもクソもないけれど!

気づけば羽生くんのトランスクジャ解禁から数か月の間、なぜか羽生結弦選手とFF9を駆けていったような心持ちになっている。これ以上ネタバレを踏むまいと必死になってプレイしたからだ。そしてなかなか終わりが見えない中、ようやくクリアしたのがテレ朝でのドキュメンタリー放送日前日…まさに羽生に始まり羽生に終わったFF9だった。その頃には頑張った自分へのご褒美としてドキュメンタリーを見ようという心境だった。そして聞く機会が少ない破滅への使者を楽しみにしていた。

破滅への使者。
クジャとのラストバトルでようやく聞けるようになる曲だ。
出だしはクジャのテーマである背徳の旋律で印象的だったパイプオルガンの荘厳さを感じる音色で始まるのだが、手拍子が終わる頃にドラムが主張し始め、それまでの讃美歌のように響いていたパイプオルガンも激しい曲調に代わり、掻き鳴らすようなエレキギターの音が絡みついてくるという異質さと忙しさを感じさせる曲である。

私は音楽の知識がないのでフィーリングだけで書いていくのだが、それまで想像していたクジャ像とは打って変わって、ロック調のある種の爽快さを感じさせる曲になっている。命の限りを知って、何もかも放り出したくなるような、ぶちまけるような、それこそ滅びの運命を知ってからのクジャの心境を表した、クライマックスでもクライシスでもカタルシスでもある曲で、失意の中にも激情を燃やす曲に聞こえる。クジャの抱える葛藤、自分だけが世界に受け入れられることのないが故に世界諸共を滅ぼそうとする悪意が入り乱れており、音を掻き鳴らすことで発せられる悪あがきのような、もがき苦しむようなメロディーに聞こえることもあれば、究極の開き直りにも聞こえてしまう不思議な曲である。しかしそこから、一変して命に連動しているかのようなピアノ部分が始まる。クジャの残り少ない心臓が脈打つように聞こえるピアノパート、迫りくるタイムリミット、命の限りを懸命に生きようとする強さと儚さと死にたくないという切実な願いが組み合わさったような繊細な曲へ変化する。その転調がクジャの歪みでもあって、二面性の表現でもあるのだと思った。もちろん私が勝手に曲から想像しているだけで、作曲家は何も考えていない可能性もある。しかしクジャという人物を知った後に曲を聴くとそう聞こえてしまうのだから音楽というものはすごい。

私はトランスクジャと出会った時にその音楽までも堪能しようと思っていたので、クリア後には当然そんなに聞き返せるチャンスもなく、FF9クリア後にすぐさま羽生くんのドキュメンタリーを見たのだけれども、その作り込みは想像以上だった。

ちょっと自分語り…
私は東日本大震災の被災者でもあったので現役時代の羽生結弦選手のことを特別な感情で応援していたのだが、その際、競技のフィギュアスケートが本当に応援するのが疲れるスポーツであり、自分の神経も擦り減ってしまうことに気づいてしまったので、日本中がフィギュアスケート熱で盛り上がっていた黄金時代を過ぎてからはあまり見る機会が無くなってしまった。たまに母親が見てるのをふ~んと眺めるくらい。それなのにまたフィギュアスケートを見る機会ができてしまった。

私は羽生くん(実はそんなに歳が離れているわけではないので、この呼び方が正しいかどうかわからない)がプロに転向するというニュースを見た時に、じゃあ今までの活動はなんだったの!?と思ったのだけど、どうやら競技ではなくなるという話だった。フィギュアスケートの採点については、素人の私から見ても色々な事情があるらしく一種の煩わしさがあったのだけど、プロには採点がなくなるという話だった。どんなに選手が心を躍らせる演技をしたとしても技術点に吸収されてしまったり、転んだりすると減点されるというのがどうも見ていていたたまれなくなる。(それでも目を背けないファンや立ち上がった時に拍手をしてくれるファンは本当に温かいと思う)あの熾烈さ自体が一種の芸術であり、頂点であることには変わりないと思うのだけど、私のように心が弱い人間は他人の一挙一動に神経が張り詰めてしまうのでどうせなら、もっと緩い活動で選手が楽しんでいるところが見れるかなと思った。

今回クジャの曲が使われたのは、羽生くんが制作総指揮を務める単独公演の「RE_PRAY」中であり、そのドキュメンタリーを見ていたらスポーツの域を超えてもはやクリエイター業なのではないかと思った。勿論すべてを羽生くんが担っているわけではなく一流アーティストの集いであるのだけど、それでも自分がしたい表現を実現させる能力がすごいと思った。「RE_PRAY」はモチーフがゲームであるのでFF9のクジャが選ばれたということだった。なるほど、単独公演であるし、競技のフィギュアスケートではなくアイスショーであるし、ゲームというオタクにとっては取っ付きやすい素材、そして自分の運命的存在のクジャがいる。これなら楽しく見られるのかもしれない。そう思っていたはずだった……トランスクジャを見るまでは…

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実はここまで書いておいて私はフィギュアスケートには疎いので「RE_PRAY」自体の感想を述べることはできない。なのでここあちゃんというフィギュアスケートファン兼ころくのファンの人が書いたブログ記事を読んで欲しい

RE_PRAY感想 ~羽生結弦という表現者~ https://batankyu.com/re_pray感想-羽生結弦という表現者/


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羽生くんが演じるトランスクジャ…
クジャが元々鳥との親和性の高いキャラであるので、まるで火の鳥や不死鳥を思わせる羽があしらわれた真っ赤な衣装にグッと来てしまった。これは完全にオタクの妄言であるのだけれども、クジャには自由になりたいという願望があって、その象徴が鳥であり、また永遠の命を望むクジャはかわいい小鳥の他に不死鳥に対しての特別な感情を持っていたのかと思ってしまう(フェニックスの力が宿った転生の指輪を身につけていたので……)

しかしトランスクジャは形こそ不死鳥になれれども、その在り方は不滅とは 真逆の存在であり、炎の代わりに命を燃やす。その身を纏う赤は死にかけた星が赤く光るのと同じで、まさしく命の輝きの色である。

羽生くんの演技がはじまった後、実は放心状態で何が起こったのか覚えていない。一度しか目に焼き付けることができなかったので、具体的に回転がどうこうなど評価することはできないのだ。それでも全体を通してクジャそのものを表現してくれたんだなってジワジワと涙が出て来た。

私は誰とも競争する必要がない、点数をつけられることがないフィギュアスケートを楽しくワイワイ鑑賞できるものとばかり思っていたのに、目の前に現れたのは苦悶の表情を浮かべる羽生選手で、そのハラハラ感はオリンピックの時と何一つ変わっていなかったからだ。審査員に評価されるわけでもなく、また大勢のファンに囲まれているのだから、それこそ羽生結弦が存在するだけで全肯定してくれそうな空間の中で、どうしてそんなにも苦しむ必要があるのか。これは表現への挑戦でもあり、限界への挑戦でもあり、自分との戦いでもある、そう思った。曲の終盤にかけてのジャンプの連続、そして演技終了後の酸欠、どこにも期待していたような緩さと温かさがそこにはなかった。自分はそのことにショックを受けたが、同時にクジャを選んだこと自体をなんだか理解できた気がした。

クジャというキャラは自分の運命に抗い続けた結果、生命としての可能性を広げていったキャラでもあるからだ。詳しくはFF9をプレイして欲しいのだけど、クジャは器としてだけ作られた肉体に自我が宿ってしまった失敗作であり、本来は廃棄されるはずであった。本編は無価値とされたクジャが世界に復讐する話でもあり、同時に迫りくる死を前にもがき苦しむ話でもある。

クジャというキャラは目的を果たすためにもとにかく力を欲したキャラクターであるのだが、トランスクジャというのは力が手に入った状態である。(クジャが白い方、トランスクジャが赤い方と覚えておくといいかもしれない)クジャが自分の未来を変えようと野心を燃やしている状態であるならば、トランスクジャというのは自分に未来がないことを知って世界を燃やし尽くそうとしている状態であり、破滅願望の塊でもある。

トランスクジャは有頂天の状態から地獄の底にまで落とされたキャラであり、ようやく願いが叶ったと思いきや、自分の残り短い寿命を創造主から告げられ、元々強かった死への恐怖が目前にまで迫っている限界状態でもある。そこにあるのは自分を置いて行ってしまう世界への怒り、生きとし生ける全てのものへの憎しみ、自分の運命に対しての絶望……私は羽生くんのトランスクジャを見た時にクジャの抱える苦しみを再現してくれているんだなと勝手に感じ入ってしまった。頭を抱える仕草や苦悶に満ちた表情、そして、全てを破壊しつくすような殺気。クジャの心の底からの嘆きとその生き様から溢れる美しさに共感してくれているのだと思うとなんだか無性に嬉しくなった。

私は解釈を捏ねらせるのが好きな妄言オタクの類であり、自身のクジャ解釈を捏ね繰り回して日々を過ごしていたのだが、ゲームのファンとして、クリエイターとして、表現者として羽生くんに素直に負けたなぁという感じ。だって自分の身を犠牲にして出された解釈には勝てるはずがない。私はクジャのことが好きだけど、クジャになり切れる訳じゃない。クジャとはどこか一線を画して俯瞰して眺めているのだからクジャそのものになられたら一溜まりもなくなってしまうのだ。オタクとして解釈バトルに負けた。ただそれだけ。同時に令和に与えられる最大火力のクジャ解釈を浴びた心地であった。それにオタクとしては公式ですら与えられることの少ないクジャの供給がここ最近でドッと押し寄せてくる現実が怖い。2023年から2024年にかけては間違いなくクジャYEARかもしれない。そしてクジャのオタクの一人に羽生結弦がいる。どうやって戦えばいいのだ……

今、ネットでクジャを検索していると「クジャ様」と破滅への使者に向かう羽生くんを応援しているファンの方が目につく。その様子がなぜかFF9をプレイしていた時の自分に重なってしまった。FF9のボスであるのにどうしても憎み切れないのがクジャであってプレイヤーはクジャという人格に、その生き方に感情移入をしてしまう。倒したくないのに愛しているからこそ終わりを見届けなければいけないキャラがクジャであり、プレイヤーは彼の生きた証を目に焼き付けないといけないのだ。最終戦でのあのハラハラ感、トドメを刺した後の虚脱感、それからの怒涛のラストスパート、感動のフィナーレ。自分はクリアした後に完全に燃え尽き症候群状態になってしまっていたのだが、羽生くんの演技を見た時にFF9の楽しかった、そして苦しかった思い出が走馬灯のように甦って、再び立ち直れるようになった。クジャが死んでしまった現実に打ちひしがれていたというのに確かにそこにクジャがいたのだ。「体は死んでしまっても、魂は滅びはしないよ」そんな台詞を思い出した。

追記
羽生くんのトランスクジャ刺繍入りブランケットを買いました。(プログラムにはクジャ様がいないらしい)
なぜならクジャがそこにいたから…スクエニさんは早くクジャのグッズを出してください。お願いします。

フィギュアスケートも舞台のように演出や空間まで堪能するなら、現地で味わうしかないんだろうなぁと思う。ちなみに最前列席は3万円らしい。

3万円払えば最前列でクジャ様を堪能できるんですか?!と思ってしまう私はだいぶ感覚がバグっているのだけれども、絶対に抽選に受かる気がしない。

しかしそんな時のために映画館でのライビュもあるという。

田舎民なので映画館すら近くにない私は、どうすればいいのか…やっぱり円盤でいつでも見れたらいいなと思うのだけど、こういうアイスショーは円盤が出ること自体稀だという。まさしく一期一会なエンターテインメント。どうする?チケット抽選してみる?ライビュ見てみる?フィギュアスケートのことはよくわからないけど、次はクジャ以外もちゃんと見てみたいな…



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