長子

ポケットのヘアピンは冷ゆ黒き眸を伏せつつ人が語りはじめて

弟の足は布団をはみ出してただ月光に冷やされていく


とみいえひろこ/わたしの知らないおとうと(上) 田村穂隆/弟スケッチ(下)

(長子ネプリ 「優先」/企画・編集 のつちえこ)



上の歌で終わり、下の歌ではじまる。

ある日弟ができて、わたしは姉/兄になった。わたしはすでに言葉を知っている、人との関わりを知っている。弟が泣く理由も暴れる理由もよく知っている。自分もそうだったから、と思う。また、どこまで許されるかも知っているし、困ったら誰かが助けに来てくれるということも知っている。わたしのほうが弟よりもたくさんのことを知っている、と思う。

けれど。弟のやり方はわたしのようなゆったりしたやり方とは全然違う。弟の泣くほんとうの理由をわたしは知らない。何者か分からないけれどこの者はこのように生きることができるのか、このように危険を察知することができるのかと思う。このようにものを見る者がいるのか、と思う。この者はいったい何なんだろう、何をどう見ているんだろう。得体が知れなくて怖くなり考えこむけれど、考えても彼が何をどう見ているのか、やっぱり全然分からない。わたしのような考え方では分からない。そんなことは当たり前なのに、ゆったり優雅に考え込んでしまう。

姉/兄となったわたしは、おのずと、姉/兄であろうとして、姉/兄のモデルを探しはじめる。手本となるものはないと気付く。わたしが姉/兄でなくても、名前がなくてもなんとなく存在を認められていた季節は終わってしまった。ぐずぐずと自分がそうであるべきかたちを探しているつもりが、いつもいつも何歩か遅れた自分の足元ばかりをみている。そういう癖がついた、と思う。

暗闇に月光の差す部屋。

わたしも弟も、これに似た風景を知っている気がする、それぞれ違う知り方で。わたしは一瞬気まぐれに、眠っている弟を上から見る。知らないものをはじめて見るようで怖い、と思う。

弟は、目が見えないときから、生まれたときから、生まれる前から、このわたしのことをずっと見ていた、と気付く。自分の知らないものばかりを、おそらく自分でもまったく分からないやり方で、この人はずっと見てきた。



さみだれのあまだればかり浮御堂

おとのなきあしたへゆきとおとづれむ


青畝(上) 方眼子(下)

(『graphic / design 01』(左右社))


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