佐竹游『草笛』
水底の冷たさ恋ふる魂が川にあそびにゆきたがる夜
星冷ゆる夜には君と野兎のやうにひとつになつてねむれる
「にごりえ」のお力の言葉、離れず
〈これが一生か、一生がこれか〉道ゆくに喉を落ちてゆくことばあり
(喉=のみど)
性欲より切羽詰まれる思ひにてわれをもとむる人をもとめき
詩のこころ乏しきわれに神は見す夕空を焼く銅の雲
(銅=あかがね)
「胸の火」について。
天上のうすみづいろを吹く風が朝戸出のわが頬を撫でゆく
「胸の火」というタイトルにドキリとして、「胸の火」がこの歌集のキモのようにも感じて読んだ。けれど、とくにこの一連に描かれているのは自分や人ではなかった。詠われていたのは鳥、オヤマリンドウ、蜜蜂、猫、化鳥たち。対象の姿や生き様がスケッチされる。見つめ、そばに飛んでいき、それらに同化し、われを消したい火のような思いが流れていることを思う。「胸の火」では書き手は風に撫でられ、そのまま心ごと奪われて対象のもとへ飛んでいってしまった。
一冊を通して浮かび上がる人物がいて、誰もがそうであるように分裂や矛盾や生活を背負っている。脈々と、細々と、しつこく命をつないできたもの、花や芝居や物語や歌の命のようなものが、細かなピースのようにその人物の像を支えている。
花がとてもまぶしく感じられた。圧しつぶされそうな花、侵入される花、咲いてにおう花。空や枝、花を取り巻くものらとの関係のなかであらんかぎりに醜くなった姿が情念深く見つめられ、描かれていた。花は、水中や天上、地に低い場所や昔に根を張り、交錯する枝枝に支えられ、独自の様式を編み出すことでながく生き延びている。ひたすら受け身で世界に裸でさらされながら何度も滅び、種だけをつなぎ、そこにいるだけで世界の見え方を変える花の生き方や様式は、そのしぼみ方や咲き方、におい方などに表れ、存在感になる。
人が花に触れ、花を拾う。この人は、自分が毀れる、燃えてしまう、浮かされていると感じる時間を持つ。胸の火に花を当て、魂を冷やし、生き延びる。
冬枯れの欅の枝と枝の間金糸のごときものかがよへり
(欅=けやき 間=あひ)
わが祈り凝るごとくに梅のはな古木の幹にしろくひらけり
(凝=こご)
幹に枝喰ひ入るごとく抱きあひ〈それより先〉をせずして別る
佐竹游『草笛』(現代短歌社)
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