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Christian Boltanski [Lifetime]

Christian Boltanski [Lifetime]

クリスチャン・ボルタンスキー [ライフタイム]/国立国際美術館



私の忘却の順に。


使いようのない鍵束の腐るまで野に風鈴も喚いていたり
(アニミタス(チリ) Animitas-Chili 2014)


左にはわたしのすべて右の目の端には今し溺れゆく鳥
(ミステリオス Misterios 2017)


髪を撫で抱き寄せてほめてあげたい 知らない男の生の証しに
(発言する Prendre la parole 2005)


こんなにも愛したことはないはずだ 醜い、臭う、なんて卑しい、
(ぼた山 Terril 2015)


嬉しかった、醜い全身の嗚咽をわたしに見せてくれたこのことが
(咳をする男 L’Homme qui tousse 1696)


逝くときに必ず立ち会う者は要る 寒い虚ろの胸へ耳を寄す
(発言する Prendre la parole 2005)


もう少しここに居ていい 何もかもを憎み愛した小部屋の闇に
(ぼた山 Terril 2015)


なんという無為な生命であったろうまったく人はたくさん歩いた
(黒いモニュメント、来世 Monuments + After 2018)


バザールを早く抜け出すことだけを 生まれる前から怨むのみの生
(黒いモニュメント、来世 Monuments + After 2018)


死を抱うるあなたの下を通るときひんやりとそれだけが残りいる
(カゲロウ Éphéméres 2018)


螢子の時間に灰と迷い入るほんとうに何もできない螢子
(心臓音 Cœur 2005)




・アニミタスはチリにある。ボルタンスキーは、チリ、星にもっとも近い場所といわれる地にアニミタスを表現—無名の記憶を集め、掻き混ぜ、再生装置をつくった。か弱い600個の風鈴は、ススキ野原のような、原野をイメージさせるこの野で風に吹かれつづけている。風と共鳴し音楽を響かせ、多くの風鈴がもう外れてしまったかもしれない。ボルタンスキーは現地で、この装置の自然消滅をお願いして帰ってきたという。


・黒いコートに耳を寄せている人がいた。私も耳を寄せた。何か呟きつづけていた。ほかのすべての声を発しないものたち。語りつづけ、うらみごとや疲れたという呟き、悲鳴のような長い溜息を聞かせるともなく聞かせるものたち。家族にも、誰にも聞かせることのないことを、もう二度と会うことのない何かに聞かせてしまう。そのときそのことばは居合わせた私が聞き、理解しなければいけない。誰かが逝くのだと思う。見届ける者が必要で、立ち会ってしまった私は見届け方をかろうじて覚えているはずだ、溺れ、崩れてゆくそれがどこにいるか理解し見届けないといけない。そんな気持ちを搔き立てられる。思うことはただし簡単で、もう遅い、聞いてやるべきだった話、聞いてやりたかった話のうらみにのしかかられている。


豊島の「心臓音のアーカイヴ(2010)」から持ってきたという〈誰か〉の心臓の音が打ち続けていた。心臓音は風鈴に変わり、咳に変わり、嗚咽に変わる。会場を歩く私の足音もまた何かの心臓音であってしまう。闇の濃い恐怖により安心が支えられ、深い安心に私の恐怖や不安、憎しみや恨みが支えられていると感じる。そのことに懐かしさを感じる。


・精神的距離について。あまりに遠く、自分には〈行けない〉場所があるということについて。行けないのではなくやはり〈行かない〉のだとボルタンスキーはいう。

その場所があるということ、それはそこにあると知っていて、いつかこの私がそう思えば行くことができると知っていることが大切だという。それは巡礼と同じことです、と。


・展示を見終え、関連するものとして置いてあったもの。ホロコーストについて、「死にいたる美術展」のカタログ、アーレントの本など。

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