髙橋淑子『うゐ』(ながらみ書房)

待つことは蒼茫の果て信ぜしむたとへばそれらが凶事たりても

(凶事 まがごと)


たっぷりと深い、黒い墨を感じること、長く深い夜が見えなくなるほどに。筆を握る自分の腕の感覚、身体の器官や機能の感覚も消えてしまうほどに。自分がなくなってしまうほど。

何に包まれているのか、夢のなかなのか、いったい何をどうやって包み映している存在があるのか、その存在をどうして感じるのか、身体が空になり昏昏とした時間を受け入れ埋もれてゆく何者かに自分がなるとき、よろこびと恐怖の境などあるものか。光に眼がくらんだままの世界で得る安心感や幸福な気分は、あれは、なんだったろうか。光に縋り貧しくしがみついてしまうあの感覚や、生きた心地も自分の心身も忘れてしまった。


散文を読んで気持ちがいいのは境界が透明でクリアになる、ような感覚、色のある感覚、理解する、理解したいと思う自分に安心する感覚。雑音がすべて聞こえなくなる感覚。歌の聞き方に近い感覚で読むことができたらきっと気持ちがいいだろう、境界線と層がいくつも姿を現し錯綜し、今までここにあった雑音もすべてひとしく聞こえる時間、音にまみれて自分を失う。何か大事なベース音を感じるのだけど、音の線を感じるのだけど、身体が乗っ取られている。自分が自分の何と引き合わせてこの音に打たれているのか分からないで不安にもなる。

戻れるだろうかと思う。我に返ったとき、我に返った世界はなんてつまらなく、危うい、けなげで難しい世界なんだろうと思う。



緋の花の俄かに腐りてゆく室を子宮といふや花売りの声
(室 むろ)


あかねさす山葡萄の実のむらさきに口中も手も染まりをりにき

この夜を小さき男児に食はさむと真白き真白き鶏卵選ぶ
(男児 をのこ)



深く、ゆたかな、怖いような夜が秋がどこかにある、と、耳のうしろでひそかに聞いている、それを信ずるような感覚。

その夜と、我に返っているべき時間との境にも、何か魂がそよいでいる時間がある。



ゆふぐれが樹樹を溶かせるみづうみにわれ沈めしは金の斧なり
午後の陽が黄ばみはじむる塀の上に猫はやはらかきものを食みをり



髙橋淑子歌集『うゐ』(ながらみ書房)


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