為兼、

為兼のページを開くとすごく落ち着く。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/tamekane.html


どうしてこんなに落ち着くのか。古い歌を読もうとぶつぶつ早口で小さな声で呟く、何度もわたしはうしなう。はっとなにか、歌のかげが過ぎ去ってしまったあとのさびしさの前にいる。無言や、うしなったもの。真暗な、ひろい宇宙にひとり放り投げ出されてしまう。

人の機微も自分の心も小さなもの。恋なら恋、いのちならいのちと、ひとことで済ませる感覚に安心する。さまざまな思いを削ぎ、捩れやねじれ、なみだという現象の熱さやことばの透明感だけがのこされ、流れつづけているような感覚に。


赤ちゃんの微笑みというものは生理的な反応で、その微笑み自体には本来意味がない。関係性のなかで、周囲の大人の側が赤ちゃんの微笑みに意味を見つけ、読み間違え、それを繰り返すことでわたしたちはこの現実のなかで生きる基盤をつくっていくという。人間として生きやすいように、思い合う力や、共有するものを見る力を育んでいく。そのなかで、ひとりひとりがその底で、微笑みというものの得体の知れなさに畏れを持ち続けているようにも思う。割り切れないもの、ほつれ、後ろ暗さ、孤独感といったものは、眼底でいつも自由に揺蕩っている。意識するほど囚われる自分の存在への矛盾や、その自分を大きく包む不安や焦り、フレームのない心。人はそれらが溢れ出しひろがりそうになるのを、型にがちがちにはめていくことで心に方向をつくり、深く落ち着かせてきたのかと思う。


横書きで、雑多なことを抱えたまま読むのが今の自分のキャパシティなのだろう、本をひらいて読もうとすると、やっぱりこんなことしている場合じゃないという気持ちにとらわれてしまう。心がざわついて読めなくなりすぐ閉じてしまうけれど、読めないなあというさびしさは残る。古典を本の形にまとめるときの細かな工夫に惚れ惚れして、現実に戻る。うしなうということをわずかに増やした心身で。

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