『静かな小舟』パスカル・キニャール 小川美登里 訳

それは誰の耳にも届いてもならず、自然からもあらゆる社会階層からも隠されねばならないのである。
「口ではけっして言えないことを
 書き記すのをどうかお許しください」


(自分)という何かぼんやりした周辺を指すもの。(自分)がさまざまなものの記憶がまとわりつき混乱することで束ねられた何かだとして、とても大きく、言葉にしようがない、〈秘密〉という、ゆるく薄く、でも密閉されていて破けにくい膜にくるまれている。その水辺。この本を読むために、そんな想像をした。自分がもっていると信じている何かを働かせ、何かになって読むこと。〈秘密〉という膜にくるまれた束としての身体になる、読むという体験のなかで。

ある悦びから産み落とされたはずのもので、ひとつの完成を目指すもの。そのために、ひとつの大きな秘密をもつもの。秘密の膜にくるまれて反響している何か。それを書き、痕跡を残してしまうことは取り返しのつかない失敗でしかなく、自分が膜の外に出ていると信じながら、そばにいるものを慰め届けようとして思わず出てしまった声とはやっぱり違う。

読んだことも、思ったことも、何もかも秘密にしたい本があり、でも、秘密にしたいそれを、自分のためにやっぱり理解したい、顕すことで。というループのなか。生まれる前に戻れない。消えられない。ということを不思議がっている束の見る風景、その状態。


パスカル・キニャール 小川美登里 訳『静かな小舟』(水声社)


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