『OCTO 2018』TANKA Ansthology Born in 1973

妹としてあることのひとつひとつ壊したい子がスキップで発つ

北口のドトール少し混んできて氷は水に戻ってゆきぬ

マスタードこぼれぬようにホットドッグゆらり浮かせて口へと運ぶ

スワイプを繰り返す指はさくら貝となりの人の爪はうつくし

ガラスの器にすべる豆腐はじっとりと腰から崩れて真夏をとじる

(井上久美子「イデンケン」)



おのおのが勝手な名前で読んでいる小さき川あり糸とんぼ飛ぶ

日本語を勉強しました、三年。と細き声にて語りくれたり

いくらでも眠れる秋の一日をなまことなりて深く潜りぬ

われとわれ出会いて一人のわれとなり真にだれかを待ちはじめたり

声変わりしたように低いわが声は秋の野良猫驚かせたり

(遠藤由季「四十五歳のおんなは」)



遊ぶだけ遊んで帰る制多迦と矜羯羅 月光の蛇口を閉めて

生きてゆくかぎり汚していく馬鹿が液体洗剤を買いに行く

ぬけぬけと風に煽られほろほろと綿毛のようにほぐれていたい

まぼろしの川を渡っていきました夢とわかっていたのに舟で

よくわからない、は言い訳にならないのかもしれない 飴を飲む夜

(佐藤りえ「ジョン・ケージの閻魔帳」)



うっそりとこころ離れば伝えざる言葉を夜の川に棄てにゆく

(離 さか)

胸中にひとを選別するときに闇夜の林に照るトンボ玉

満月は老ゆることなくそらにあり『黒羅』をひらく夜の安堵は

逝きしひとの歌集読むとき鳥葬の鳥はなずきに羽ばたき初むる

役割としての小言を言うまえの口蓋に風ひやりと当たる

(富田睦子「雨後の月)



海境に朝のひかりの満ちあふれとほくの国はきよらかに見ゆ

(海境 うなさか)

ながきながき散歩だつたといふことにするため足をはこびつづける

パンドラの箱のくらきにひそみたる希望といふはさみしきことば

さみしさを右肩に乗せあゆみ来るきさらぎといふなまへのをとこ

唐紙に書きちらしたるをんなもぢ魚およぎゐる春の水槽

(魚 うを)

(花笠海月「春の海、他」)



誰もみな深爪の手をポケットに隠して黙す午後の教室

パンケーキに滲みるシロップなによりもまず君は愛に耐えねばならぬ

水でないものをたたえたみずうみのおもてふるわすための音叉を

あるがままに 皮膚の下にてあてられたその日からわが傷を花と信じる

(あるがままに アル・クイア)

いずこへと問われたならば手をのべて「この世のほかであればどこでも」

(松野志保 BL歌集「最果ての花」抄)



たわむれに髪結い上げてつくづくと見るそれなりに老いたるうなじ

背負わされていしものの重さをひけらかすごとく歩めりある年の瀬は

「上がそう申しております」舌先でぽんかん飴をころがすように

かなしみの核に柘榴を実らせて拾うほかなし神の布石を

いまだ子をなさぬおんなの体温に胸をあずけて眠りゆくひと

(吉村実紀恵「Since 19XX」)



甘末の香る窓からほの明かり 詩の一篇に白い息吐く

秋に入りぬ家族のいないまひる間の庭の苺は葉緑冴えて

それぞれの鞄のなかにある鍵で家族を繋ぐ扉を閉じる

秋雨と妙正寺川を越えてゆく夜の築地の裏門燈る

フードリヒ・ステッドラーのペン先に重ねる線の滑らかな闇

(玲はる名「つぎはぎローラ」)




1973年生まれの73首と、「私の好きな近代の一首・現代の一首」をテーマにしたそれぞれのエッセイ。もっとまとまったかたちでたくさん読みたくなった作品もいくつかあって、よく持ち歩いた。

自分が好きなものには最初の何首かで心をとらえられるんだなと実感したのと、それは単に自分の「好み」というだけでもあるんだなということも思った。どの作品も読み応えがあって、自分の好みは置いておいたほうが豊かに読めるような気もした。また、それぞれの作者の連作観がなんとなく伝わってきた気がする。

苦さや、「ほんとうにこれでいいのか。」という「無数の問い」(佐藤りえ「発表ヲ要セズ」)の感覚は、この同人誌のどのページからもしんしんと伝わってきた感覚だった。「問い」が作品にどう現れているのかというスタイルはさまざまで、自分はそのスタイルや連作観、作品観に惹かれて読むことが多いのかもしれないなと少し思った。



『OCTO 2018』TANKA Ansthology Born in 1973

編集人/佐藤りえ  発行人/富田睦子


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?