山沢栄子 私の現代(大谷記念美術館)

印象に残っている写真は、赤色がかすかに映り込んだ銀色と白のぬめっとした無機質な何かの表面の写真、針金みたいなものの一部の大写しとそれがつくりだす影の写真、黒地に白抜きされたタイトルと木の肌で構成されたレコードジャケットのようなタイトルページとその内容、別々のものたちの色、影の関わりを切り取った詩としての写真など。

晩年である1970-80年代の抽象写真シリーズ〈What I am doing〉と一緒に、作家が抽象写真に流れこむそれまでの写真、人物や風景を撮った写真や同じ時代、同じ場所に生きた作家の作品もあったのがよかった。抽象写真シリーズを何の支えをもたずに見るというのは難しくて、その世界を見るには、写すには、辛抱や工夫がいるのだと思う。

抽象写真に至るまでの写真で気になったのは、柿だったか、その柿っぽさを消して物体と物体、そこにそれを見る目の関係を加えた構図の不可思議さが写されている写真や、アメリカの暗い写真。ポートレートは立ち止まって長く眺めた。山本安英の写真、部屋に入り込む光のなかでこちらを、こちらの向こうを見つめる写真家の写真。

写真が未来も過去も抱え込んでいることや、人の目の危うさ、暴露されているもの。いちいち心を奪われ見ていてはそれで人生が終わってしまうから奪われないように目を逸らしたその、ほんとうは奪われてみたかったあふれるほどたくさんの対象たちのこと。

山沢栄子は長野に疎開していた時代があった。順を追って見ることで、その頃の空気感がすこし自分に近くなった。

そのあと神戸に行った。



生誕120年 山沢栄子 私の現代

大谷美術館 2019年5月25日(土)〜7月28日(日)

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