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「コンセプトもステートメントもない文章」を書こうと思う

長らく書くことから遠ざかっていた。
理由はざっくりと、「自意識が邪魔をしていた」のだと思う。
いつからか、誰かからジャッジされることを想像すると、「書かなくてもいい。寧ろ書かない方がいい」と、書くことから意識を遠ざけるようになっていた。
ソーシャルメディアを始めとする情報過多の現代社会の罠にまんまと嵌ってしまったのもあるし、単に三十路を過ぎて、無邪気に手当たり次第に表現すればよい訳でもなくなってきたというのもある。

でも、やっぱり今書きたいと思っている。
理由は単純で、書かないと自分が「unhappy」だから。

スウェーデンに来てもうすぐ9年。
一応アーティストを名乗りながら生活している。

この国の大学で学んだ後に、運良くハローワークの担当者が協力的な人だったので、アーティスト業とうまく両立できる仕事を見つけることができて、かつアーティストへの支援制度が充実しているのもあり、制作を続けながらそれなりの生活ができていることには日々感謝している。

それでもここ数年間、バーンアウト寸前の状態を行ったり来たりしている。

理由は…多分こんな感じだ。
1.アートを仕事にする難しさ
2.外国人として住む疎外感
3.スウェーデンの多くの人が抱えるストレス
4.コミュニティーの欠如
5.先に述べたソーシャルメディア時代特有の「自意識」

1について。数年前から、アーティストを辞めるという選択は常に頭の中にぐるぐるしている。
私にとってアーティストとして活動することは、「好きなことを仕事にする」というような楽しいものではない。
定期的にやってくる助成金の申請書の締め切りに追われ、更にその結果に一喜一憂、その繰り返し。
誰に頼まれたわけでもない自分のプロジェクトに、自ら責任をもち、意義あるものと信じ込んでモチベーションを上げ、終わった後に「本当にやった意味があったのだろうか」と疑問をもち、落胆する、その繰り返し。
お金に余裕があるアーティストは限られている。そして、マーケット以外でのアートは、主に政府からの援助に頼ることになるから、アートコミュニティーのお金も限られている。お金がないなら、アーティスト同士の協力がとても重要になってくるのだけれど、多くのアーティストは個人主義でエゴイスティックなのが現状。お手伝いを頼んでも断られるかドタキャン。それなら、自分一人でやった方がマシと個人主義のループに陥る、その繰り返し。
だから、昨夏に違う分野でキャリアを積めそうな可能性を見つけて「これでアーティストを辞められる」と思った時に大きな解放感を味わった。しかし、その直後に芸術家委員会から二年間の助成金をもらえることになって、あっさり「もう少し続けてみよう」と思い、今に至っている…

2について。外国に住んでいることは自分の選択なので、出来れば文句も弱音も溢したくない。
「住まわせてもらっているだけでも感謝しなさい」という言葉が頭に浮かんでくる。
でも、いつまでこの国を「外国」と思うのだろうと。そしていつまで「外国人」として住まなくてはいけないのかと。言語力やコミュニケーション能力だけでは埋まらない溝は年々深まっていく。そしてそれを無視し続けることに疲れてきている。

3について。スウェーデンというと、のんびりとした雰囲気をイメージするかもしれないが、私の周りでは、ストレスに悩まされている人が非常に多い。
絶えず「忙しい」と嘆き、現状の生活に満足していない人がほとんどだ。これも、アーティストという仕事に関係していることは間違いないけれど、他の国のアーティストと比べても、ストレスを抱えている人の比率が高いなと感じている。
私は時々「ヨガに行くことにもストレスを感じる人たち」と冗談を言うが、現状はかなりそれに近いと思う。少し悲観的なところは国民性なのかもしれないが、私は見事にこの影響を受けて、自分で自分を追い込むことが上手になった。

4について。社会民主主義の考えを元に社会保障と福祉国家を築いていたスウェーデンの特徴は、個人主義&合理主義だと思う。家族じゃなくて、会社じゃなくて、助けてくれるのは「国」。今のところ、私自身はこのシステムから恩恵しか受けていないようなものだけれど、このシステムは多くの孤独な人たちを生み出していると確信している。
このシステムのおかげで、多くのことを個人でするのが可能になった分、一人でして当たり前なことも増えてしまったのだと思う。だから、出来ないのは社会ではなく自分のせいだと、自分を追い詰めてしまう人も少なくない。これは3のストレスとも密接につながっている。

5について。この自意識の過剰については、昨今のポリティカルコレクトネスの蔓延が深く関係している。親しい友人同士以外の場では、本音がなかなか言えないというか、言ってはいけない雰囲気である。皆を配慮する姿勢は素晴らしいことだと思う。そして、他人がどう思うか、感じるかということについて想像をめぐらすことは重要なことだと思う。
ただし、それ故に「正しさ」ばかりを唱えていると、また批判の対象になることを恐れて、表面的なことしか言えなくなると、理想と現実が二つに割れて修復不可能になる。
こう思われるんじゃないか、あの人はこう捉えるんじゃないか、と考えばかり巡らせていると、黙るのが一番、ということになる。これは政治のことに限らず、ソーシャルメディアにおける日常の報告も然り。

先月末から3ヶ月仕事を休ませてもらって、スウェーデンを離れています。
タンザニアで二週間過ごしてから、今は南カリフォルニアの山の中にいます。大自然の新鮮な空気を吸って、気持ちが普段より大きくなったので、書きたいことを好きなように書けばいいんだと思ってこれを書いています。

これから、自分のhappyな気持ちを少し取り戻すために、ここでぼちぼち「コンセプトもステートメントもない文章」を綴っていきたいと思います。

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