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かしものかりものの教えで、だいたいの問題解決できる説

かしもの・かりものの教えで、だいたいの問題解決できんじゃね?という大胆な説を検証してみたいと思います。
そこまで真面目に読む内容ではないかもかも。

ハイボールの一杯でも飲みながら、気楽に読んでもらえたらです。

かしもの・かりものは、お道の教えの根幹をなす大切な教えです。

具体的に言いますと

→自分のもの
その他→神様からのかりもの

少々極論ですが、こう言えます。

おさしづ

人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。どんな理も受け取る中に、自由自在という理を聞き分け。
(明治22年2月14日おさしづ)

とあり、心一つが自分のもので、体はかりものであると教えられてます。

この考え方を徹底できるようになりますとですね、考え方がとてもシンプルになってきます。

さて。
について見てゆきます。

心とは

すぐに調べたくなるので、その根拠を載せておきます。スルーしてもらっても全然いいです。

こころ【心】
❶ 人間の体の中にあって、広く精神活動をつかさどるもとになると考えられるもの。
① 人間の精神活動を知・情・意に分けた時、知を除いた情・意をつかさどる能力。喜怒哀楽・快不快・美醜・善悪などを判断し、その人の人格を決定すると考えられるもの。 「 -の広い人」 「 -の支えとなる人」 「豊かな-」 「 -なき木石」
② 気持ち。また、その状態。感情。 「重い-」 「 -が通じる」
③ 思慮分別。判断力。 「 -ある人」
④ 相手を思いやる気持ち。また、誠意。 「母の-のこもった弁当」 「規則一点張りで-が感じられない」
⑤ 本当の気持ち。表面には出さない思い。本心。 「 -からありがたいと思った」 「笑っていても-では泣いていた」
⑥ 芸術的な興趣を解する感性。 「絵-」
⑦ 人に背こうとする気持ち。二心。 「人言ひとごとを繁みこちたみ逢はざりき-あるごとな思ひ我が背子/万葉集 538」
❷ 物事の奥底にある事柄。
① 深く考え、味わって初めて分かる、物の本質。神髄。 「茶の-」
② 事の事情。内情。わけ。 「目見合はせ、笑ひなどして-知らぬ人に心得ず思はする事/徒然 78」
③ 言葉・歌・文などの意味・内容。 「文字二つ落ちてあやふし、ことの-たがひてもあるかなと見えしは/紫式部日記」
④ 事柄の訳・根拠などの説明。また謎なぞで、答えの説明。 「九月の草花とかけて、隣の踊りととく、-は、菊(聞く)ばかりだ」

① 心臓。胸。 「別れし来れば肝向かふ-を痛み/万葉集 135」
② (「池の心」の形で)中心。底。 「池の-広くしなして/源氏 桐壺」
③ 書名(別項参照)。
(大辞林第3版)

調べてみると、こういうことみたいです。
【広く精神活動をつかさどるもとになると考えられるもの。】
↑ざっくりと、これなんでしょうね。

天理教事典を調べてみますと

 こころ 心について、
「人間と人間というものは、身はかりもの、心一つが我がのもの。たった一つの心より、どんな理も日々出る。」(さ22・2・14)
と教えられている。人間にとって、身体は親神の「かしもの」、親神からの「かりもの」であるのに対し、心だけが人間自身のものとして、それを自由に使うことが許されていると理解される。また、ここで知り得ることは、人間は親神とかかわって、さまざまな生活をつくり出して行くのであるが、その展開の軸をなるものが心、ないしは心の働きであるということである。
 心については、従来から、心の働きとして知・情・念の三つを挙げて説明する方法や、仏教の意識説(五官・五識と第六識や十二因縁)、またこれに近い意識と無意識の説、さらに思考と刷り込みの説など、それぞれ心の真実を明らかにしている。特に、日本の古来からの「こゝろ」(心)という言葉で言われてきたことについても、思想史的に究明されているところもある。「清明」「正直」(せいちょく)「誠」などの言葉で述べられていることは、心の真実を明らかにする上で、見逃すことはできない。しかしここでは、原典に用いられている心に関する多数の用語を、教えの基本的説明法の一つである「ほこり」の教説に則して分類し、心について教えられているところが少しでも明らかになるようにしたい。(以下めちゃくちゃ長いから略)
(天理教事典第3版)

まぁ、説明すると逆に分かりにくくなるのが、「」なるものの正体ですね。

ちなみに、心理学の世界では「」を明確に定義していない(!)そうです。これ、この文を書いてて初めて知りました。アウトプットって大事ですねー。

仏教界はをどう定義しているかといいますと

心とは、「対象を認識する機能」のこと

だそうです。チョーシンプル。
認識とは「知る」的な意味ですかね。
五感を使って、様々な対象を見る、嗅ぐ、聞く、味わう、感じる。そしてそれを認識してゆく。この機能が、「」。

そんなが、自分である。
それ以外、全部神様からのかりもの

神様からかりてるもの=神様のもの

こういうことができます。

つまり、心以外は全部神様。←めちゃくちゃ斬新かつ大胆な考え方ですね。

かりもの

かりものについて、天理教ホームページに載ってました。

かしもの・かりもの
↑興味があればどうぞ。

さて。かりものです。
人から借りているものは、大切に使いましょうというのは、だいたい小さい頃に教えられること。

DVDをレンタルして、無茶苦茶にして返す人はいてません。
友達におもちゃを借りて、めちゃくちゃに壊して返すと、2度と貸してはくれなくなるでしょう。

つまり、そういうことなんです。

・自分の身体→神様からのかりもの→神様のもの→大事に扱う
・配偶者→神様からのかりもの→神様のもの→大事に扱う
・こども→神様からのかりもの→神様のもの→大事に扱う
・誰かに何か言われる→神様からのかりものからのメッセージ→神様からのメッセージ→大事に聞く
・勉強で得た知識→神様からかりている知識→神様の知識→丁寧に使う

全てこの公式に当てはめてゆくと、あら不思議。全部大事で、全部自分のものである「」に向けた神様からのアプローチだなーと、わかってくるんです。

ここで、神様という存在について少しだけ触れておきます。

天理教の神様は、人間と世界を創造された創造主ですが、絶対者というよりは、人間にとっての「親」的な存在であると捉えられています。

だから、親神様と呼んでるんですよね。

教えに絶対的に従うということも大事なんでしょうが、親と子であることを踏まえると、ときには喧嘩したり、大事なことを教えられたり、常に見守ってくれていたりという、そんな感覚で思ってた方がいいんじゃね?と思ったりしてるんですよね。

だから、親からのメッセージを常に受け取っていると考えて、それに従うべきなのか、分からないから反発するのか、それは全て自分次第的なことなんじゃないかなーと。

で、かりものなんで、自分ではコントロールできないものなんですよね、基本的に。これ、かしものかりものの教えに接するときに、めっちゃ大事なポイントだと思ってます。借りてるから、自分のものでない。コントロールできない。これが大前提なんですよ。
これが前提でもててなかったら、どうしても自分でコントロールしたくなっちゃうんです。これ、場合によっては地獄を見ます。自分も、コントロールされようとしてる側も。

かりもの→自分のものではない→コントロールできない

これがわかってくると、余計なストレスが心にかからないようになるんですね。
だって、かりてるからね。いつ返すかのレンタル期間も貸主次第という。
こっちではどうしようもない世界だから。
で、なんのために貸してくれてるかってのが、
「心一つで陽気ぐらしができるように」
貸してくれているという。

むちゃくちゃシンプルな考え方だと思うんですよね。

借りているものを、貸主の思い通りに使うってのが、貸主にも借り手にもWin-Winなことになるんです。

だから、
体も、周りの人間関係も、投げかけられた言葉も、得た知識も、全て「陽気ぐらし」をするために使う。これができたら最強メンタルのできあがりです。

かりもの

・コントロールできない
・レンタル期間が不明
・神様のもの
・陽気ぐらしをするために貸されている

このことを心においておくと、なにか問題があっても、だいたい我がのものである心を取り直すことができます。

問題が起こったとき
「神様からのメッセージはなんだろう?」

思い通りにいかないとき
「神様はなにを教えようとしているのだろう?」

こういう風に我が心にフォーカスできるようになる。つまり、自分自身の成長にそのまま直結するようになる。結果、自分が成長し、自分が得をする。的な?

かしもの・かりものを通して世界を眺めると、自分の成長になります。

なんて素敵な教えなんでしょう。説立証できたかどうかは分かんないけど、人のせいにしないってのが、多分答えだと思われる。

おしまい。

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