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ファクトフルネスとグレタ・トゥーンベリ


(2019年2月10日のブログ記事を転載、編集したものです)

ファクトフルネスのモヤモヤがグレタでふっきれる

金曜日の夜、スウェーデンで人気のTVのトークショー『スカヴラン(Skavlan)』にダニエル・エルズバーグが出ていた。

エルズバーグはメルリ・ストリープとトム・ハンクスが主演した映画『ペンダゴン・ペーパーズ/最高機密文書』で描かれた、アメリカ国防総省の機密文書のリークにより政府のウソをあばきベトナム戦争終結に向かう流れを作った人物だ。

そのエルズバーグがトークショーのインタビューの中で「私が今、世界で一番敬服しているのはグレタ・トゥーンベリだ」というのを聞いた瞬間に、ここ数週間スウェーデンの大手新聞紙上で再燃していた『ファクトフルネス』を巡る論争で感じていた私の心の中のモヤモヤがはれたように感じた。

エルズバーグは続けて「グレタが、”アスペルガー症候群であるということが私のものの見方や勇気を持った行動につながっている”と言うのを信じるなら、世界にはもっとアスペルガーの人達が必要だ」と付けくわえた。

その時、グレタ・トゥーンベリと『ファクトフルネス』の著者のハンス・ロスリング、それにダニエル・エルズバーグ、この3人の強さと信念と使命感が私の中でつながった。そして彼らが私の背中をそっと押してくれたように感じた。自分の信じる方向に進みなさい、と。

売れに売れている『ファクトフルネス』

さて、『ファクトフルネス』を巡って私が感じていたモヤモヤとはなんだったのか?

世界で100万部以上、日本でも今年に入って発売されるとすぐに20万部を売り上げた『FACTFULNESS ファクトフルネス 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣』。スウェーデンでも発売開始から10ヶ月たっても、常にノンフィクション書籍売上上位を占めている。

この本の中で著者のハンス・ロスリング(残念ながらこの本の出版を待たずに亡くなってしまった)は、根拠のないネガティブなものの見方はやめ、焦らずにしっかりと信頼できるデータを集め、地球温暖化のような問題は長期的に取り組むべきだと教えてくれる。

答えは二者択一ではないし、ドラマチックなニュースや不必要なレベルで警鐘を鳴らす活動家に注意して、今できなくても総合的な分析に基づき考え抜いた決断で段階的な行動をしよう、と私たちを諭す。

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ファクトフルネスの世界観は正しいのか?

TEDのプレゼンテーションなどを通じて、世界的な「教育エンターテイナー(ハンス自身の造語 ”Edutainer”)」となったロスリングを称賛する声は、彼の本国であるスウェーデンでも非常に高い。が、同時に彼を批判する声もなくならない。

ロスリングの手法に対する批判の主なものを3つほど拾い上げてみると、まずは①単純化されすぎた世界観と恣意的なデータの使い方への指摘がある。

例えばスウェーデン語版の第2章で「増え続けている16のよいこと」にある「民主主義」のグラフは、数多くの厳しい指摘を受けたためかすでに英語版などでは他の指標に置き換えられている。絶滅しなかった動物たちの背後で、数多くの絶滅していったものを取り上げていないという批判もよくきく。

冒頭で触れた3週間程前からのスウェーデンの大手新聞紙上でのファクトフルネスを巡る論争の始まりも、スウェーデン・ルンド大学の社会学者が書いた「ハンス・ロスリングのポジティブな世界観は正しくない」という記事だった。ここでは、平均値の使い方や健康を寿命の長さだけで切り取り、健康寿命や精神疾患を含めた見方をしていない点などが指摘されていた。

ロスリングの名誉のために付け加えると、世界の状況を表すすべての数字を一つの本にまとめることは不可能であるし、またこの本はそれを目指したものではなく正しく世界を捉える方法を示したものであることも忘れてはいけない。

世界は「悪い」と「良くなっている」が両立した状態であることは本の中でも何度も指摘されており、またロスリングがジャーナリストは中立的ではないと言っているのとまったく同じ理由で、この本の中で引用されるデータは彼が伝えたいメッセージを読者に届けるために使用されているわけで、完全な中立を目指した本でもない。

『ファクトフルネス』の世界観は正しいか正しくないかではなくて『ファクトフルネス』はひとつの世界観を示している、というのが正しい受け取りかただろう。

ファクトフルネスとグローバリゼーション

次によくある批判は、②ロスリングは経済至上主義者と結託して現状を肯定することで、グローバリゼーションをさらに推し進めようとしていると指摘するものだ。

ビル・ゲイツが、アメリカの大学卒業者のうち希望者には全員『ファクトフルネス』をプレゼントすると決めたように、スウェーデンでも経済界を代表する財閥の一つであるヴァレンベリ家が、高校3年生全員に『ファクトフルネス』の電子書籍のダウンロードが無料でできるように手配した。

これらの流れから資本家や大企業側が、将来に対して悲観的になりがちな現代の若者をブレインウォッシュするのにこの本が使われているとの批判がある。(参考記事「ロスリングの本を信じてはいけない」Altonbladet )

ロスリングの「世界は先進国と途上国に分断などされていないし、ほとんどの人は中間層として以前よりも暮らしぶりはよくなっている」との指摘はすんなりと理解できるが、経済格差のネガティブな側面が「分断本能」の説明であいまいにされてしまっているのではないか? という批判には、私は同意したい。

そうすると、私がすべきことはロスリングの論法を批判することではなく、もっと自分で信頼できるデータを集めて現状を把握し自分の考え方をファクトに基づいて整理していくことだ。ハンス・ロスリングが私達に伝えたかったのもこのような考え方ができるようになりなさいということなのだから。

ファクトフルネスと気候変動問題

そして最後になったがもっとも熱く繰り返し語られるのが「③ハンスは気候変動問題と真剣に対峙していない」という点だ。気候変動はファクトフルネスで取り上げられる質問中、唯一世界中の人が正しく理解している項目でもある。

ネガティブな状況は明らかなのに、そこに楽観的なものの見方を導入しゆっくり解決していった方がよいとはどういうことか! という批判がこれにあてはまる。

ロスリングは、福島の原子力発電所でもチェルノブイリでもまたDDTやテロの危険性といった問題でも人々は恐怖と危険を混同して間違った行動をとっており、それはデータに基づいた分析結果から導かれたものではないという。取るべき行動があるとすれば状況を正しく判断するのに足りないデータの整備を進めるべきで、恐怖にかられた根拠のない決断をするべきではないのだと。

この問題をどう捉えるべきだろうか?

私がグレタに惹かれる理由

結局、私は『ファクトフルネス』を読んでも何も学習しなかったのかもしれない。

グレタ・トゥーンベリが語る現状と今取るべき行動に、ロスリングが指摘する「ネガティブ本能(ものごとを悪くみてしまう本能)」と「焦り本能(本質をつかまないまま焦ってまちがった行動をとってしまう本能)」で反応しているだけなのかもしれない。

私の世界は二者択一。気候変動が喫緊の問題であるなら変革への行動は今すぐとるべき」と語るグレタ・トゥーンベリは、問題だとは思いながら具体的な行動をとることを留保し世界が一日でもこのまま続いてくれればと祈りながら現状を変えない私達大人や政治家、経済システムを厳しく批判する。

一方ロスリングは、今できなくても総合的な分析に基づき考え抜いた決断で、段階的な行動をしようといってくれる。しかし、私達はこの問題について総合的な分析ができる情報のすべてをいつ手にいれることができるのだろうか? また仮にできるとしても、それまでは段階的な行動を取るだけでいいのだろうか?

グレタ・トゥーンベリは、今行動するべきだとの信念を持って我々に挑戦する。

状況が急激に変わりつつある現在、この時点で手に入るだけのデータをもとに分析したらロスリングの気候変動問題への見方ももしかしたら変わっていたかもしれない(彼が世を去ったのは2017年2月)。気候変動は様々な要因がからみ、刻一刻と変わる予測がとても難しい複雑な問題だからだ。

それにロスリングも既に本の中で我々レベル4にいる人間がするべきことは明らかだといっている。「二酸化炭素排出量はすぐに削減するべきだ」と。

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そう、そして彼の言う通り、世界はよくなっている。

私たちは(そしてダボス会議の大人たちも)今、グレタ・トゥーンベリの言うことに耳を傾けることができるという点において。そして、彼女の出現とその影響力の広がりもSNSがなければ起きなかったことで、これも近年の状況変化がもたらした「増え続けているよいこと」の一つだ

『ファクトフルネス』の本当の魅力

『ファクトフルネス』の本の内容をどうとるかはその人次第だが、できる限り多くの人が読むべき本であるのは間違いない。

スウェーデンに住み社会問題に多少関心のある人達は、ハンス・ロスリングが過去十数年かけて全力で啓蒙してきた『ファクトフルネス』な世界の捉え方には既に少しは慣れている。すると一番最初に彼の話を聞いた時の目からウロコが落ちる経験はもう済ませてあるので、本のもっと細かいところが気になるのも当然だ。

しかし『ファクトフルネス』の本当の魅力はそれとは別のところにある。これは世界の見方を教えてくれる本であると同時に、ハンス・ロスリングの熱い伝記である。

データに基づき正しく世界を捉えることを妨げる10の本能の選定にあたっては、数多くの認知科学者の著作からも影響を受けたと説明されているが、その根幹はロスリングの個人的な経験にある。

そしてその経験の多くは不安や失敗に満ちており、現状の把握を間違うことで自分がしてしまった過ちを他の人々には経験させたくないという、彼の熱意と使命感がカリスマ性を与え私たちの胸を打つのだろう。読了後に涙が頬を伝うこの人間味に溢れたビジネス書は、一人のプロの職業人がすべてを掛けて信念をもって行動した記録でもある。

ハンス批判を彼は喜んでくれるだろうか?

この文章の冒頭で言及したダニエル・エルズバーグは、15歳の時に父親の運転する車が事故を起こし、自分は生き残ったのに同乗していた母親と妹が死んでしまったという体験から世界は一瞬にして変わることがあると理解するに至った。

その経験が、ひいては権力者は瞬く間に私達の世界を変えてしまうパワーを持っており、それがよくない方向に向かおうとしている時には食い止めなければいけないとの思いとなり、ペンタゴンでの自分の行動につながったかもしれないと話していた。

エルズバーグの自身の悲劇に起因する世界観や、ロスリングの職業上の体験からくる使命感、またトゥーンベリの持って生まれた特性など、突き動かされる力を内に秘めた人のメッセージと行動は力強い。

しかし、彼らのようなドラマチックな体験や信念ではなくとも私たちもひとりひとり、これまでの自分に固有の経験に基づいたものの見方や思うところは持ち合わせている。

それは多くは「事実に基づかない思い込み」かもしれないし、大抵は特に波風立てるほどのことではないと思ってしまうだろうし、また特に誰かに反論したいわけでもない、というような理由をつけて往々にしてわざわざ口に出したりしないのだけど。

でも……、私はこれからは勇気をだしてわざわざそれを口にだそう、波風立ててみよう、と思う。

例えば『ファクトフルネス』が、今、日本で絶賛の嵐で、そしてこの本は今誰もが読むべき本であるという点には心から同意するけれども、「ハンスが言うようにデータがそろうまで待ってから判断していたら、間に合わないこともあると思う!」ということを(私にしては大きな勇気をもって)大きな声で話そう。

「今、説明したところなのに、君は何もわかっていない!」と彼をイライラさせてしまいそうだが「少なくともあなたの本は、私の行動を変えてくれたのですよ」と言えば、天国で少しは喜んでくれるかもしれない。
「ハンス、ありがとうね!」


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