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ジム・マッケルビーのメディアと広告の企み

先週ストックホルムで行われたメディア・サブスクリプションのイベントで、時価総額200億ドルを超えるフィンテック米企業スクエアの創業者ジム・マッケルビーの新しいプロジェクトに関するプレゼンテーションを聞く機会があった。

出版メディアの秘密会議

「今を去ること3年前、私は大きな課題を抱える人たちの秘密会議に招かれたのです」と、思わせぶりでいたずらっぽい口調のジム・マッケルビーが話し始めたのは、現在彼がアメリカの新聞、雑誌といった出版メディア(以下”パブリッシャー”と呼ぶ)とP&Gなどの大手広告主を巻き込んでテストを始めている「インビジブリー(Invisibly )」という名のサービスについて。

秘密会議にマッケルビーを招待したのはパブリッシャーたちで、彼らは「需要は堅調で供給も安定し、同レベルの高品質製品を生み出せる新規競合参入もないのにマネタイズできなくなってしまった」という悩みを抱えていた。

機能しなくなった見えざる手

経済の学位もあるマッケルビーは、需要と供給の「神の見えざる手」が、この業界でなぜ機能しなくなったのかが理解できず信頼できる経済人などに意見を求めてまわった。

それまでメディアと広告についてはあまり知識のなかった彼がたどり着いたのは行き詰まったとしか表現できない広告をめぐるお金のやりとり。そこでは多くのゴマカシが平然と行われ、非効率な技術を使って効果のないメッセージを届けるために大金が注ぎ込まれていた。

マッケルビーによると、投入されたデジタル広告費の70%は広告主とメディアの間の様々なレイヤーにこぼれ落ちていき、パブリッシャーの収入となるのは広告費の3割にしかすぎない。また消費者は関心も関連もない大量の広告に無意味にさらされているのが今のデジタル世界の現実だと彼は切り捨てる。

タイタニック号の救命ボート

マッケルビーはさらにコンフェランスの主題でもあるコンテンツそのものを課金すること=デジタル・サブスクリプションも問題を解決しないという。持続するための経済的規模を確保できないだろうというのが彼の持論だ。

(ニュースメディアの)みなさんが集まってこうやって会議をしているのは、沈みゆくタイタニック号の上で話し合っているようなものです。船が沈んでいく今その瞬間に、筋トレでパワーアップしたら他の人を押しのけて救命ボートに乗ることができるよ、とかそんな方法のことを

(マッケルビーの発言)

ScrollやLaterpayとは異なるマイクロペイメント

マッケルビーは、これまでも零細事業主のクレジット決済(スクウェア)やIT人材のマッチング(LaunchCode) など、新しく社会に顕在化してきた問題のいち早い解決に力を注いできた。

その彼が次に選んだ解決しなければならない問題がパブリッシャーのビジネスモデルで、自分の資産と3年の月日に50人のエンジニア体制で作り上げようとしているのが「マイクロペイメントの新しい形」だ。

マッケルビー自身ペイ・パー・ヴューの課金方式はこれまでうまくいった試しがないといっているが、それはこれまでサービスの価値を決めていたのが提供側のみであったことが原因だと断言する。

レストランでは私たちは自分にとって価格分の価値のあるものを選んでお金を払う。デジタル・コンテンツと広告とユーザーの関係もユーザー自身が価値をコントロールできる枠組みがなければ成功しない、と彼はいう。

「未来のテクノロジーは人間が中心でなければならない」(マッケルビー)

成功したガラス工芸職人でもあり(!)、数多くの事業を手掛けその境目を軽く飛び越え統合していくルネッサンス時代の知識人のようなマッケルビーは、「ソリューションの中心は人であるべきだ」とプレゼンテーションの中でくり返し語っていた。

消費者がコントロールする自分の価値と広告

インビジブリーはアメリカでインビテーション・オンリーのクローズした形でテストを行う。マッケルビーは数多くのパブリッシャーと有力広告主を熱い語り口でくどき落としたそうだ(パブリッシャーの73%が口頭で参加を表明とインビジブリーは発表)。

テスト期間中もインビジブリーのサービスの中身は姿をかえていくだろうしコンフェランスのプレゼンテーションでも細かい仕組みの説明はなかった。

そこで、日本ではまだほとんど報道されていないインビジブリーの概要を今入手できる下記のビデオクリップとハーバード大学ニーマン・ラボのKen Doctor氏の記事を参考にまとめてみよう。

システムの枠組みをざっくりまとめると、広告主は嗜好や関心といったプロフィールがはっきりしたユーザーの同意のもと広告を確実に届けるユーザーは「広告を見ることと引きかえに無料でコンテンツを手にいれる」か「広告は見ないでコンテンツにお金を払う」かを自分で選べることができる。

Scrollに似ているようだが、スクロールのようにユーザーが登録して使うサービスではなくインビジブリーはあくまでユーザーにはインビジブル(見えない)だ。そして「広告を見ることとコンテンツの料金を対価で交換する」と書くとピンとくる人もいると思うが、この方法は今のテレビやNetflixでも次の収益化の手段として使える仕組みだ。

インビジブリーについてもう少しわかっていること

コンフェランスでの話や、インビジブリーのサイトのQ&Aの説明からも引用してもう少しだけ具体的にみていこう(下記画像もこちらQ&Aのページから引用)。

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パブリッシャーのサイトに訪問者がくるとそのユーザーに固有のインビジブルなデジタルウォレットが作られる。記事を読み始めようとすると、ユーザーは広告(上の例では高クオリティな動画が想定されている)をみるか、広告をスキップして記事を読むためにお金を払うかをきかれる。支払い方式についても記事単体、一日読み放題など様々なオプションが提示される。

広告をみた人には、将来的な購買力を持つ「自分という商品」を広告主に提供したことに対して、広告主からユーザーのデジタルウォレットへと密かに支払いが行われる。そしてユーザーはその後、記事を読むことでその広告主から受け取った「見えない」対価を(自分からは見えないまま)パブリッシャーに支払う。

広告をみたユーザーにはその後簡単なアンケートをしたり感想をきくことなどで、さらに広告のターゲティングとプロペンシティ(傾向による予測)の精度を上げる仕組みもあるようだ。

そしてこのシステムが最適化し続けるのは広告だけではなく、パブリッシャーの提供するマイクロペイメントのメニューやタイミングにも及ぶ。マッケルビーはこのインビジブルな仕組みを自らクリーピー(気味悪い!)と呼んでいるが、仕組みは合法で私たちが今生きる世界の現実だとも話す。

よくある広告ネットワークの一つ?それとも救世主?

アドテック、広告ネットワークの進化系の一つと言ってしまえばそれまでだが、これまでのアドテックは広告主のお金とパブリッシャーの場所代のやり取りにしか関心を払っていなかった。一方、インビジブリーはパブリッシャーによるデジタル課金とユーザーにコントロールをもたせる仕組みを組み込んだ点で大きく異なる。

たとえ広告に関するお金の流れはユーザーの預かり知らぬところで行われていたとしても、ユーザーは広告に関する決定を自ら行う選択肢と購読料支払いの決定権を持っている

参加したコンフェランスでは、それまで主にヨーロッパのパブリッシャー達が地道に各社の「救命ボートに乗る方法」のプレゼンをおこなっていたのに、マッケルビーはそこにさっそうと現れみんなを魅了しながらもどこか煙に巻きつつ、また会場の外で待つスウェーデン人の妻とストックホルムに住む義母のもとへと去っていった。(インビジブリーはGDPRがややこしいヨーロッパへは当分参入しない感じだった)。

パッションにあふれ、子供のようないたずらっぽさをなくしていない彼のメディアと広告のたくらみ(いや、救世策?)は成功するのだろうか? 

テックカンパニーがパブリッシャーになるより、テックなパブリッシャーが増えてほしい

インビジブリーが今のエンジニア50人体制から100名体制にして開発をすすめてもこれがパブリッシャーのサイトに組み込まれるサービスである以上、サービスの普及はパブリッシャー側がどれほどインビジブリーのシステムを理解し一緒に組み込むためのリソースを投入できるかにもかかっている。個人情報の取扱など、効果をだそうとすればするほど複雑な実装になるのは間違いなさそうだ。

ロマンチックな考え方かもしれないが、広告のビジネスモデルがかわることでパブリッシャーがもっとイキイキするなら、パブリッシャーはもっとテックな企業になりインビジブルなやり方も試してみてはどうだろう。ここでも高品質な記事・コンテンツはこのモデルが機能するための前提条件であることは変わりない。

マッケルビーのたくらみにだれが賛同しているのかは蓋をあけてみるまではわからないが、しばらくはインビジブリーの動きを追っていくことにしよう。

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