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独特な渡邊家

私は静岡県のど田舎の二女として、田舎でのびのびと育ちました。
秘密基地を作ったり、外国から流れ着いた綺麗なビンを浜辺で拾って、キャンドルホルダーに改造したり。
弟と裏山でインディージョーンズごっこをしたり。

ただ、我が家は厳しかった。
朝は早く、暖房も最低限。
身支度はしっかり、言葉遣いなどもしっかりたたきこまれた。笑
O型丸出しの私には、それなりに辛かった。

そんな渡邊家は、江戸初期に京都より静岡に。
富士川を利用し、木曽などの森から川を使い、東海道から良質な木材を江戸や京都に運ぶ材木問屋だった。
敷地内にある蔵の中に書庫があり、江戸からの記録が沢山残され、今は資料館になっている。


東海道宿々組合取締役を務めた事もあり、沢山の京から江戸を行き交う人々が宿として利用したそうだ。
面白い宿泊システムとして、芸術を志す人は宿泊料金を頂かず、作品や踊りなどを頂いていたそうだ。
中には琉球使節のセンスや、オランダのダチョウ卵の殻で出来たワイングラスもある。

祖父の代までは、女性が蔵に入る事は許されなかった。
劣化も進む、文化財や伝承を守るために母が古文書を学び、今は沢山の大学の研究員の方、博物館の方などが訪れている。

渡邊家の家訓は、江戸からのものだが、勉強になる事も多い。

・個の利益だけでなく、地域や仲間に尽くす事。

・人との対応では常に笑顔である事。

など当たり前のようだが、いつも心に留めておきたい。

江戸に栄えた私の故郷は富士山が美しく、素晴らしく日本らしい景色が広がる。

いつか、地元でも宿泊施設を経営してみたいな。

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